賞の文面は「アメリカで」だった。
1984年、アメリカの Car and Driver が944に与えた評価が「Best Handling Production Car in America」である。文面にあるのは in America という限定で、比べられたのは北米市場で売られていた量産車だった。
そして1984年の時点で、220PSのターボはまだ世に出ていない。名が挙がっているのは163PSの自然吸気944のほうになる。差は57PS、リッターあたりに直せば88.7PS/Lと約65PS/Lで、出力の欄だけを見比べるなら話にならない。にもかかわらず評価の対象になったのは曲がり方の側で、しかもそれは単発の出来事ではなかった。
同誌の Ten Best を並べ直すと、944は1983年から1985年まで3年続けて名を連ね、944ターボが入るのは1986年になる。北米で売られていた量産車から毎年十台を選ぶ枠に、この系譜がいずれかの形で残り続けていたことになる。賞の文脈で主役だった期間は、163PSの側に3年、220PSの側に1年という配分で、出力が57PS上がってから評価が上がったという順序にはなっていない。
曲がり方の土台にあるのは、前回扱った構成そのものである。944ターボの整備書が示すDIN軸重は前640kg、後640kg、和は1,280kg。受賞した自然吸気944の軸重は別にあるが、エンジンを前に、変速機を後軸側に置くという骨格は共通している。エンジンを前輪の後ろ寄りに置き、変速機を後軸側にまとめるトランスアクスルという構成で、924から944、そして968へ受け継がれた形式にあたる。リアエンジンの911とは配分の成り立ちが逆であり、加速でも制動でも、荷重が動きはじめる出発点が違っていた。
640という数字が前後で揃っていれば、四本のタイヤに配られる仕事量も揃う。その状態のクルマに与えられたのが「アメリカでいちばんよく曲がる量産車」という名の評価で、賞の名前に馬力は入っていない。
もっとも、賞状に書かれた範囲と、そのクルマが届いた範囲は別のものだ。この一台が北米の十台に選ばれていたころ、同じ骨格はすでにフランスで24時間を走り終えていたし、数年のうちには、日本のメーカーが同じ性質を看板に掲げはじめる。賞の文面が示すのは出発点のほうで、このクルマの曲がり方がどこまで通じたかは、その外側に書かれている。
もうひとつ、受賞した側は軽かった。ターボの1,280kgに対して自然吸気944はおよそ1,180kgと記録されていて、100kgほど軽い状態で、同じ骨格を使っていたことになる。163PSのほうが選ばれたという事実は、この100kgを抜きにすると据わりが悪い。出力を足せば速くはなるが、足したものはどこかに乗る——前回の640/640が教えるのは、結局そういう話でもあった。
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1981年のル・マンに、944の名前はない。
1981年のル・マン24時間。エントリーリストに載っていたのは Porsche 924 GTP という名前で、944ではなかった。中身については、ポルシェの言い方がはっきりしている——「Although the car was billed as a Porsche 924 GTP at the 1981 race, it was really the new 944」。
ステアリングを握ったのは2名。1977年に ポルシェ 936 でル・マンを総合優勝している ユルゲン・バルト と、1980年と1982年にWRCのドライバーズタイトルを取る ヴァルター・ロール。ロールはトランスアクスル系のポルシェをラリーでも走らせていて、924 カレラGTS でステージを駆けた記録も残る。ラリーで名を上げた側と、耐久で名を上げた側が、同じ一台を24時間押し続けた。
結果は総合7位。24時間で給油ピットストップは21回、テクニカルトラブルは0件という内容で、公式の記述はこうなっている——「This camouflaged 944 completed the 24 hours with just 21 fuel pit stops and without any technical issues, finishing seventh overall」。この一台が、のちに 944 GTR Le Mans と呼ばれるクルマである。
同じ1981年のル・マンで総合優勝したのは、二度目の現役に戻された 936 だった。インディ由来の2.65リッター ツインターボを積んだその車が14周差で勝っている。旧いプロトタイプが引き戻されて総合優勝をさらった年に、次の量産車は別のゼッケンを付けて、同じ24時間を走っていたことになる。
944の生産が始まるのは1982年だから、実戦に出たのは市販開始の1年前にあたる。24時間を21回の給油と0件のトラブルで走り切ったという記録は、総合7位という順位以上に、この車体が何をして順位を拾ったのかを示している。スーパーカー消しゴムを机の上で転がしていた世代が免許を取り、給料で買える現実のスポーツカーを探しはじめたころ、その現実側の解答用紙の一枚が、ここに置かれていた。
640/640と、50.5対49.5。
1985年10月、マツダ サバンナRX-7 が2代目(FC3S)に替わる。654ccの燃焼室を2つ持つ13B型ロータリーにターボを組み合わせ、当初の最高出力は185ps(ネット)、1989年のマイナーチェンジで205psへと20ps上げている。GTのパワー・ウェイト・レシオは6.54kg/psという数字が示されていた。
944ターボと同じFRで、重心と配分を看板に掲げた一台でもあった。マツダの言い方はこうだった——「前後重量配分は、50.5対49.5で、フロント・ミッドシップの思想を継承し、走りにいっそうの磨きを掛けた。」
前軸側の比率だけを取り出すと、944ターボが50.0、RX-7が50.5。片方はDIN 70020で測った軸重から出た数字、もう片方はマツダが公表した比率で、測り方が揃っている保証はない。それでも、重さの置き方を看板にするという一点では、ドイツの2.5L直4ターボと広島の2ローターが、同じ場所に立っていた。
燃焼室の大きさを並べると、これも妙に近い。944ターボは2,479ccの直列4気筒だから1気筒あたり約620ccで、13B型の単室容積は654cc、差は34ccにとどまる。片方はレシプロの1気筒、片方はローターが仕切る1室で、機構としては似たところが何もないのに、一度に燃やす量はほぼ同じという並びになった。振動を消す方法は正反対で、944ターボは2本のバランサーシャフトで直4の2次振動を打ち消し、13B型はそもそも往復運動を持たない。
つまりこの二台は、同じ「前後を揃える」という到達点に、まったく違う道から着いている。ポルシェはエンジンを前に残したまま、変速機と最終減速機を後軸側へ置いた。ラガーイは、この構造について「The transaxle structure was designed to improve the weight distribution. The goal was 50:50」と語っている。マツダのほうは、そもそも小さくて低いエンジンを前輪の後ろへ押し込んでいる。前者は重いものを離して配り、後者は重いものを真ん中へ寄せた、ということになる。
| DIN車両重量 | 1,280kg | per DIN 70020 |
|---|---|---|
| 前軸重(DIN) | 640kg | |
| 後軸重(DIN) | 640kg | |
| 前軸荷重比 | 50% | 丸めた結果ではなく割り切れた値 |
| 総排気量 | 2,479cc | |
| 気筒数 | 4気筒 | 直列 |
| 1気筒あたり排気量 | 620cc | 概数 |
| 最高出力 | 220PS | 欧州仕様 |
| 最高出力(kW表記) | 162kW | 同じ値の別表記 |
| 最高出力(英馬力) | 217hp | 同じ値の別表記 |
| 最高出力発生回転数 | 5,800rpm | |
| リッターあたり出力 | 88.7PS/L | 算出値 |
| ターボチャージャー | 1基 | |
| バランサーシャフト | 2本 | 三菱から供与された技術と同型 |
| 自然吸気944の最高出力 | 163PS | 1982年・2.5L 8V 欧州仕様 |
| 自然吸気944の車両重量 | 1,180kg | 初期型 |
| 944の生産開始年 | 1982年 | |
| 944の生産終了年 | 1991年 | |
| 944の生産期間 | 9年 | |
| 944シリーズ総生産台数 | 163,302台 | |
| 発売1年後のポルシェ総生産に占める比率 | 51%超 | 1年で過半を超えた |
| 968の登場年 | 1992年 | トランスアクスルの最後 |
| 924の発売年 | 1976年 | |
| 924の排気量 | 2L | |
| 924の気筒数 | 4気筒 | |
| 924のドイツ発売時価格 | 23,240マルク | |
| 924価格の911比 | 50% | 約。プアマンズの根拠とされる値 |
そして両車は1991年に揃って世代を終え、944は968へ、RX-7は3代目へ移る。前後を揃えることを看板にした二台が、同じ年に世代を替えたことになる。944の側は9年、RX-7の側は6年。どちらも、次の世代で排気量を広げるか、過給の効かせ方を変えるかして、出力の側へ舵を切っていく。前後の配分を看板に掲げる時代は、この年でいったん終わっている。
掲げた数字が、三社で違った。
1983年、日産 フェアレディZ が3代目(Z31)になる。新開発のV型6気筒VG型を2Lと3Lで用意した世代で、日産の説明は「コンパクトな新開発V型6気筒エンジン『VG型』2L・3Lが採用され、車両全体の重量配分が改善し、運動性能に劇的進化をもたらしました」というもの。表に出た数値は、前後配分ではなく空気抵抗係数0.31のほうだった。形はロングノーズ・ショートデッキという古い文法のままで、そこにCd値を乗せてきたところが、いかにも1983年だった。1985年には、このZ31が全日本ラリー選手権のシリーズチャンピオンを獲っている。
トヨタ側の動きは1986年2月。セリカXXから車名が独立して トヨタ スープラ(A70)になり、3リッターDOHCターボの7M-GTE型230PSを頂点に、直列6気筒を4種そろえた。シャシーはトヨタ2000GT(1967年)以来の本格的な4輪ダブルウィッシュボーン式で、同年6月にエアロトップが加わり、1987年1月には海外向けと同じブリスターフェンダーのワイドボデーが3リッターのターボリミテッドに載る。フェンダーを膨らませるという手つきそのものが、944ターボの後輪まわりと同じ時代に属している。
230PSと220PSの差は10PSしかない。ただし排気量は3.0Lと2.5Lで0.5L違い、気筒数は6と4で2気筒違うので、リッターあたりに直すと7M-GTEが約77PS/L、944ターボが88.7PS/Lという順序が入れ替わる。直4で直6の頂点に10PSまで詰めた側と、直6の余裕で230PSを出した側で、同じ数字の作り方をしていない。
ここで並べた三台のうち、前後の配分を比率で示したのはマツダだった。日産は0.31というCd値を前に出し、トヨタは2000GT以来という4輪ダブルウィッシュボーンの系譜を前に出し、マツダは50.5対49.5という比率を前に出した。944ターボの640/640に正面からぶつかる数字を出していたのが、RX-7だった。
看板の選び方には、それぞれの得意が出る。Cd値は風洞の数字で、ダブルウィッシュボーンは機構の名前で、前後配分は測ればすぐ出る数字だ。Cd値も機構の名前も、前後配分とは別のことを説明している。1985年の日本で、944ターボの640/640と同じ土俵に数字を置いていたのが、ロータリーエンジンを積んだ広島のクーペだった。
TIPS
スープラを1986年2月より前で探すなら。
トヨタ スープラ(A70)が「スープラ」という車名で独立したのは1986年2月で、それより前は「セリカXX」にあたる。だから中古車の記録やカタログを1985年まで遡ると、同じ系譜がスープラでは引けなくなる。ブリスターフェンダーのワイドボデーはさらに後で、1987年1月から3リッターのターボリミテッドに載った。
サイレントシャフトという名前の輸出。
三菱自動車の沿革には、サイレントシャフトというシステムがポルシェ、ボルボ、サーブの3社へ技術供与されたと残っている。直列4気筒が構造的に抱える振動を、回転する軸で打ち消すという考え方が、日本から欧州へ渡っていたことになる。
前回扱ったとおり、944ターボは2本のバランサーシャフトを持つ。名前としては同じ話に見えるし、供与先の3社にポルシェの名が入っているのも事実だが、その技術が944のシャフトにそのまま使われたかどうかは公式に明記がなく、ここでは繋げて断定しない。確かなのは、直4で2.5Lまで排気量を上げ、そこにターボをかけて220PSを出すという設計が、振動をどう始末するかという問題と切り離せなかったという点である。
3社
三菱のサイレントシャフトが技術供与された欧州メーカー
ポルシェ、ボルボ、サーブの3社。944ターボのバランサーシャフト2本と同じ名前で話が繋がるが、直接の採用関係は公式に明記がない。
三菱側の直4も、同じ時期に上へ伸びていた。1984年6月、4G63型のシリウスDASH——Dual Action Super Head——が 三菱 ギャランΣ と スタリオン の2車種に搭載される。可変機構をシリンダーヘッドに持ち込んで低速と高速の両立を狙う手つきは、ターボの過給圧で一気に押す944ターボとは違う方向だが、解こうとしていた問題は同じ、つまり4気筒でどこまで行けるかだった。
ポルシェは排気量と過給で、三菱はヘッドの機構で、それぞれ直4の上限を押し上げにかかっていた。同じころ、別の大陸で、同じ形式のエンジンが引き上げられていたことになる。
TIPS
Dual Action Super Head。
1984年6月、4G63型のシリウスDASHがギャランΣと三菱 スタリオンの2車種に載った。頭文字を並べた名前が公式の沿革にそのまま残っているところが、この時代らしい。直4でどこまで行けるかという問いに、三菱はヘッドで答え、ポルシェは2.5Lと過給で答えた。
924が背負った二つの事実。
プアマンズ・ポルシェという言い方は、914も924も存在しない時代から使われていた。伝えられている最初期の例は1956年で、ドイツでは フォルクスワーゲン カルマンギア が「the poor man's Porsche」と呼ばれている、という紹介のされ方だった。つまりこの言葉は、安いポルシェではなく「ポルシェっぽいクルマ」に向けて始まっている。
同じ呼び名は914にも、そして1976年の ポルシェ 924 にも付いた。ドイツでの発売時価格は23,240マルクで、911のおよそ半額という位置にあった。もともと フォルクスワーゲン EA425 として始まった開発経緯があり、中身は アウディ 由来の2.0L直列4気筒だった。「本物のポルシェではない」という批判は、あの呼び名と一緒に残っている。944も、後年までこの言葉で括られてきた。
| ドイツ発売時価格 | 23,240マルク | |
|---|---|---|
| 911に対する価格比 | 50% | およそ半額 |
| 総排気量 | 2L | Audi由来の直列4気筒 |
| 気筒数 | 4気筒 | |
| 発売年 | 1976年 | |
では944ターボはどうか。2.5Lの直列4気筒は アウディ 由来ではなく、ポルシェ自身の設計である。そこにシングルターボを1基かけて220PS、リッターあたり88.7PSまで持ち上げ、軸重は前640kg、後640kg。
924に「本物ではない」という評が付いたとき、そこにはエンジンが他社のものだったことと、値段が911の半分だったことが並んでいた。944ターボは、このうち前者を自力で外している。1985年の時点で、エンジンはポルシェ製、軸重は前後同値、そしてその骨格は4年前にル・マンの24時間を走り切っていた。残ったのは値段の話だけになる。
もっとも、値札の話だけで決着が付くわけでもない。924に貼られた23,240マルクは、911のおよそ半額という位置を示す数字だった。944ターボにいくらの値札が付いていたかは、ここでは並べない。並べたところで、中身の話とは別の軸になる。
言い切れることは別にある。1981年にル・マンを総合7位で完走したのはこの車体であり、1984年にアメリカで曲がり方を評価されたのは同じ骨格の163PS版だった。値段の序列が下だったことと、中身の序列が下だったことは、別の話である。
DUAD SELECT
924と944の違いを、自分の手で確かめる3冊。
蔑称が引き継がれた順序を追うと、924と944ターボの中身の差が説明の中心になる。トランスアクスル系3代を通した資料と、実車を見る段で使う整備系の本は役割が別で、両方あると数値の出どころまで自分で辿れる。VOL.1の軸重640/640も、こういう種類の資料に載っていた数値である。
924から968までを一冊で通して追えるので、Audi由来の2.0Lとポルシェ製2.5Lの断絶を確認する土台になる。
Porsche 924/944/968 The Complete Story
対象年式: 1976〜1995年・言語: 英語
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944ターボを実際に見に行く段で確認する項目が章立てで整理されている。
Porsche 944 - The Essential Buyer's Guide(Veloce)
対象: ポルシェ 944(1982〜1991年)・言語: 英語・章構成: 購入前チェック項目別
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VOL.1で扱ったDIN軸重640/640が載る種類の資料そのもので、整備トルクから配分まで自分で引ける。
Porsche 944 サービスマニュアル(Bentley/Haynes)
対象: ポルシェ 944系・記載例: DIN軸重 前640kg・後640kg・言語: 英語
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1年で、半分を超えた。
944の売れ方は、当時のポルシェにとって尋常な数ではなかった。発売初年度を終えた時点で、944はポルシェの総生産の51%を超えていた——「After its first year of sales, the 944 accounted for more than 51 per cent of total Porsche production」。入口の下位モデルとして売られたクルマが、1年でポルシェの生産の半分を超えていた。
163,302台
1991年までに生産された944の累計
約9年で年平均およそ18,100台。社史最多の座は、ボクスターとケイマン、911カレラ(997型)が現れるまで動かなかった。
1991年に生産を終えるまでの累計は163,302台。1982年からの約9年で、単純平均すれば年およそ18,100台という規模になる。社史でもっとも成功したスポーツカーという座は、ボクスター(1996年登場)とケイマン、そして911カレラ(997型、2004年)が現れるまで、944が保ち続けた。翌1992年には968が後を継ぎ、924から続いたトランスアクスルの系譜はそこで終わる。
ボクスターとケイマン、そして997型の911カレラが現れるまで、ポルシェの社史でもっとも成功したスポーツカーは911ではなく944だった。911が看板であり続けたことと、944が数を支えたことは、矛盾しない。看板は看板として置いたまま、数のほうは別の車が引き受ける。1980年代のポルシェは、そういう形をしていた。
総生産の半分を超えるということは、その時期にポルシェの工場から出た車の二台に一台以上が944だった、ということである。プアマンズ・ポルシェという言葉は、値札の順番なら言い当てていたのだろうが、会社の中での重さについては逆を指していた。944はポルシェの下に置かれた入口ではなく、その時期のポルシェを立たせていた土台であり、944ターボは、その土台がどこまで伸びるかを示した一台だった。
そして163,302台という数は、北米だけで出た数ではない。
アメリカの、外側で。
1981年、この骨格はフランスのサルトで24時間を走っている。21回の給油とトラブル0件で総合7位、市販が始まる前年のことだった。1984年には北米で、毎年十台を選ぶ枠に名が挙がる。1985年の日本では、前後50.5対49.5という数字を掲げたクーペが現れ、日産はCd 0.31を、トヨタは2000GT以来の4輪ダブルウィッシュボーンを看板にした。
そして1991年までに163,302台。ポルシェが自ら「the most successful sports car in the company's history」と呼ぶ座は、ボクスターとケイマン、997型の911カレラが現れるまで動かなかった。賞状に刷られた in America という三文字は、このクルマが評価された最初の場所を指しているにすぎない。
フランスで24時間を走り、日本で同じ性質を追いかけられ、世界中で16万台が路上に出た。曲がり方の話から始めるしかないクルマとして、944ターボはそこに立っている。

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