1978年11月、ベルノ店の顔として。
ホンダ プレリュードが発表されたのは1978年11月24日で、販売が始まったのは翌25日。型式はホンダ SN、ボディ形式は2ドア・フィックスドクーペと呼ばれた。
寸法は全長4,090mm、全幅1,635mm、全高1,290mm、ホイールベース2,320mm。全幅は5ナンバー枠の1,700mmに対して65mmの余裕があり、全高はこの時代のクーペとしても低い部類に入る。エンジンを縦に置かないFFレイアウトという点で、1,750ccのCVCCを含めてアコードと基本コンポーネンツを共有していた。
| 全長 | 4,090mm | |
|---|---|---|
| 全幅 | 1,635mm | 5ナンバー枠内 |
| 全高 | 1,290mm | |
| ホイールベース | 2,320mm | |
| 車両重量 | 890kg | 最軽量仕様 |
| 総排気量 | 1,750cc | CVCC |
| 最高出力(MT) | 90PS | 5,300rpm グロス |
| 最高出力(ホンダマチック) | 85PS | 5,300rpm グロス |
| 最大トルク | 13.5kg-m | 3,000rpm |
| パワーウェイトレシオ | 9.9kg/PS | 890÷90、算出値 |
| グレード数 | 4タイプ | XT/XR/XE/E |
| 5ナンバー枠に対する全幅の余裕 | 65mm | 1,700−1,635 |
| 発表 | 1978年 | 1978年11月24日 |
| 発売 | 1978年 | 1978年11月25日 |
| 駆動方式 | FF(前輪駆動) | |
| ベルノ店設立 | 1978年 | 1978年、同年に新チャネル |
| 2代目との全長差 | 205mm | 4,295−4,090 |
| 2代目との重量差 | 155kg | 1,045−890 |
| 2代目とのホイールベース差 | 130mm | 2,450−2,320 |
| 5代目との全長差 | 430mm | 4,520−4,090 |
| 5代目との全幅差 | 115mm | 1,750−1,635 |
積んだのは1,750ccのCVCC、複合渦流調整燃焼方式。排出ガス規制への答えを燃焼室の形で出した、当時のホンダの主力エンジンである。最高出力はMTが90PS/5,300rpm、ホンダマチックが85PS/5,300rpmで、最大トルクは13.5kg-m/3,000rpm。グロス表記の時代の数字なので、後の世代とそのまま足し引きはできないが、890kgの車体に90PSなら、パワーウェイトレシオは9.9kg/PSになる。
なお、グレードはXT/XR/XE/Eの4タイプが用意された。東京地区の標準現金価格は、安い順にXTが116万円、Eが126万円、XRが138万円、XEが140万円だった。電動式ガラスサンルーフはEタイプを除いて標準装備で、国産車で初めての電動式として売られている。オプション扱いだったのはホンダマチックの3万円高とエアコンの17万円高のほうで、屋根が開くこと自体は追加料金の対象ではなかった。
同じ1978年に、ホンダはベルノ店という新しい販売チャネルを立ち上げている。初代プレリュードは、その店から売り出された。新しい店と新しい車名が同じ年に揃っているという事実だけが、記録として残っている。
もっとも、国内での受け取られ方は芳しくなかった。「はっきり言ってオヤジグルマ」「日本では失敗作」という評が後年の媒体に残っているが、4年後に出た2代目は、同じ車名のまま、デートカーと呼ばれる車になる。
1みんなの写真
1982年、鼻先を下げるために目を隠した。
2代目の発表は1982年11月25日、発売は翌26日。型式は1.8がホンダ AB、2.0がBA1に分かれる。
全長4,295mm、全幅1,690mm、全高1,295mm、ホイールベース2,450mm。初代から全長で205mm、ホイールベースで130mm伸び、車両重量は890kgから1,045kgへ155kg、率にして17.4%増えた。デビュー時の最廉価グレードは136.0万円だった。
数字だけ見れば「一回り大きく重くなった」で終わるが、この世代の主題は全高1,295mmという公称値ではなく、ボンネット上面の高さにある。固定式のヘッドライトは、光軸の高さが法規で決まっている以上、レンズの上端ぶんだけフードを持ち上げてしまうが、格納式なら点灯時だけ必要な高さまで起こし、使わないときは板の下に沈めておける。低い鼻先と灯火の法規は、この形式なら同時に満たせる。
エンジンは1気筒あたり3バルブ、合計12バルブのCVCC系。ブレーキには、日本で最初の4輪アンチロックブレーキが与えられた。1982年に4輪分のABSを量産クーペに載せたこと自体が、この世代の攻め方を示している。
1985年6月20日には2.0Siが追加される。1,958ccのホンダ B20A型DOHCで、最高出力160PS(グロス)。初代の90PSから7年弱で70PS上積みされた計算になるが、測定法と排気量が両方変わっているので、単純な技術進歩の指標としては読めない。
この世代が「デートカー」という言葉と一緒に記憶されているのは、リトラクタブルとガラスルーフと、助手席に誰を乗せるかという話がセットだったからで、技術の説明だけでは足りない部分が確かにある。ただ、その空気を作ったのが、低い鼻先のために目を隠すという一つの判断だったことは押さえておきたい。
2代目は1982年11月の発売から2年でマイナーチェンジを受け、1985年6月には2000ccのDOHCモデルが加わっている。3代目の開発作業は、その手前——2代目が出て1年あまり経った1984年の春に始まっていた。
1987年、後輪を8万円で動かす。
3代目の発表と発売は1987年4月9日。リリースの見出しは「世界初 舵角応動タイプ ホンダ4輪操舵システム搭載のFFスペシャルティカー」だった。
型式は4WSの有無で割れ、非装着がホンダ BA4、装着がBA5になる。
| 4WS非装着の型式 | BA4 | |
|---|---|---|
| 4WS装着の型式 | BA5/E-BA5 | |
| 4WSオプション差額 | 8万円 | 2.0Si・2.0XXに設定 |
| 4WSの制御入力系統 | 前輪舵角のみ(機械式) | |
| 国内月販計画 | 4,000台/月 | 1987年 |
| 全長 | 4,460mm | |
| 全幅 | 1,695mm | 5ナンバー枠上限 |
| 全高 | 1,295mm | 2代目と同値 |
| ホイールベース | 2,565mm | |
| 2.0Si 最高出力 | 145PS | B20A型、ネット表記移行期 |
| 発表・発売 | 1987年 | 1987年4月9日 |
寸法は全長4,460mm、全幅1,695mm、全高1,295mm、ホイールベース2,565mm。全幅は5ナンバー枠の上限まで使い切り、全高は2代目と同値のまま据え置かれ、全長だけが165mm伸びた。初代からの9年で、全長は370mm、率にして9.0%長くなった計算になる。
4WSの機構は舵角応動型の機械式で、入力はハンドルの操舵角だけ。電源が落ちても後輪は同じ角度で切れる。入力が1系統しかないという事実が、4代目以降と比べるときに効いてくる。
2.0Siと2.0XXのどちらにも4WS装備車が設定され、差額は8万円だった。世界初を名乗る機構が、グレードを跨がずに8万円のオプションとして買える位置に置かれている。発売時の国内月販計画は4,000台/月で、この数字は6代目の300台/月と並べたときに意味が変わる。
2.0SiのB20Aは145PS。2代目の2.0Siが160PSだったので数字は下がっているが、これはグロスからネットへの表記移行期にあたるため、出力そのものが落ちたとは読めない。
TIPS
狙った速度域が、代ごとに20km/hずつ上がった。
足まわりを担当した主任研究員は、当時こう言っている。初代では160km/h、2代目は180km/h、そして3代目は200km/hの世界でドライバーの意志に反応してくれる足を目指した。形式も同じ順に変わっていて、初代は前後ともストラット、2代目はフロントだけダブルウィッシュボーン、3代目で前後ともダブルウィッシュボーンになる。
1991年、5ナンバー枠を踏み越える。
4代目の発表・発売は1991年9月19日。
全幅1,765mm。5ナンバー枠の1,700mmを65mm超え、3代目の1,695mmからは70mm広がった。5ナンバー枠に収まる派生を用意せず、最初から3ナンバーだけで売っている。当時の自動車税制と購入層を考えれば、小さな切り替えではない。デビュー時の最廉価グレードは214.5万円。この世代に付いた肩書きは、ひとこと「3ナンバー専用ボディ」である。
ただし、枠の外へ出たのはこの代が最初ではない。
その1年前、1990年10月に3代目へ加わったSi Statesが、すでに3ナンバーだった。積んでいたのは輸出用のB21A型で、排気量2,056ccで、国内仕様のB20Aより98cc多い。3,000台の限定で、価格は237.1万円だった。5ナンバー枠に収まることを前提に12年作ってきた車が、3,000台だけ先に外へ出てみせた形になる。4代目が全車で枠を越えるのは、その翌年である。
面白いのは、幅を広げた代わりに長さを縮めている点で、全長は4,460mmから4,440mmへ20mm短くなった。初代から5代目までを見るかぎり、全長が前の世代より短くなったのはこの1回だけになる。ホイールベースも2,565mmから2,550mmへ15mm詰まり、全高は1,290mmまで下げられて、初代と同じ数値に戻った。同じ範囲で、全高が前世代より下がったのもこの1回しかない。
幅を広げて、長さを詰めて、背を下げる。数字の動きだけを見れば、クーペとしての比率を作り直した世代だったということになる。
そして、2代目から9年続いたリトラクタブルヘッドライトがここで消える。固定式に切り替えながら全高を1,290mmまで下げている。格納式でなければ鼻先を下げられない、という前提のほうが崩れた。低さのために目を隠すという解法が、9年で役目を終えた。
4WSのほうは残ったが、中身は入れ替わっている。ハイパー4WSと名付けられた電子制御式で、制御の入力は舵角制御・車速制御・操舵角速度制御の3系統。3代目の機械式が舵角1系統だったのに対し、「どれだけ速く走っているか」と「どれだけ速くハンドルを切ったか」が加わった。低速の車庫入れと高速のレーンチェンジで後輪の振る舞いを変えられるようになったわけで、機構が複雑になったぶん、機械式の「電源が落ちても同じに切れる」という素直さは手放している。
エンジンではDOHC VTECが200PSを出し、Si VTECに載った。同じ世代の非VTECのSiは160PSで、VTECの有無で40PSの差がついている。初代の90PS(グロス)から13年で110PS上積みされた計算になるが、グロスとネットの違いを挟むので、上積み幅をそのまま技術進歩の量とは読めない。
そして、4代目の生産は1996年11月に終わる。
1996年、看板がATTSに替わる。
5代目の発表・発売は1996年11月7日で、ここで看板がひとつ掛け替わる。
4WSは、ここでも消えていない。1996年のリリースは「4WSの制御をさらに進化させ」と書いていて、SiとSiRにメーカーオプションとして残っている。2001年の諸元表にも4WS車の型式がある。外れたのは機構ではなく、看板のほうだった。この世代が自ら名乗ったのは「最新テクノロジーを結集したスペシャルティクーペ」で、結集した先頭に置かれたのは、もう後輪ではない。
この代で外れたのは、看板だけではない。
助手席のシートバックを前へ倒すレバーが、センターコンソール側からも操作できるようになっていたのは2代目からで、3代目と4代目まで引き継がれていた。パーツリスト上の名前は「ウォークイン・ノブ」。後席へ乗り降りするための機構である。これが無くなるのも5代目だった。
後輪を切るという売り文句と、助手席へ手を伸ばす設計が、同じ代でそろって消えている。デートカーと呼ばれた時代の装備が、1996年に一度に外れたことになる。
代わりに載ったのがATTS、アクティブ・トルク・トランスファー・システムで、搭載グレードはType S(北米ではType SH)。後輪を切るのをやめて、前輪の左右にトルク差をつけることで車の向きを変えるという、まったく別の解き方に乗り換えた。
ただ、FF車の前輪に左右でトルク差を与えると、そのままでは転舵トルク——ハンドルを取られる力——が発生してしまう。原因はホイールセンターオフセットという寸法にあって、従来の43.7mmから25mmまで詰めることで、左右のトルク差が操舵に及ぼす影響を抑え込んだ。削った量は18.7mm、率にして42.8%にあたる。制御の話ではなく、ハブとサスペンション形状の寸法を作り直す話になっているところに、この機構の本質がある。
ATTSの原理そのものは、1996年に突然現れたものではない。1987年、シビック・シャトルを右後輪だけで駆動する1輪駆動車に改造して、左右のトルク差が車の向きをどう変えるかを実験している。改造車で現象を確かめてから商品に載るまで9年かかったことになり、3代目が4WSを売り出した年に、次の次の答えの実験が始まっていたという順序になる。
9年
実験車から商品化までの年数
1987年にシビック・シャトルを右後輪だけの1輪駆動に改造して原理を確かめ、1996年11月のType Sで商品になった。
寸法は全長4,520mm、全幅1,750mm、全高1,315mm、ホイールベース2,585mm。4代目から全長は80mm伸び、全幅は15mm狭まり、全高は25mm上がった。初代の1,290mmから18年かけて、5代目までで最も背の高い世代になり、低さを競う方向はここで止まる。初代からの全長増加は430mm、18年で10.5%。全幅は115mm、ホイールベースは265mm伸びている。
SiRのH22Aは200PSで、4代目のSi VTECと同値。型式はBB5/BB6/BB7/BB8に分かれる。
2001年、生産終了。1978年11月から数えて23年で、プレリュードという名前が一度カタログから消えた。
そしていま、この5代目が歴代で中古相場の最高値をつけている。出たときにどう迎えられたかと、30年後にいくらで売られるかは、別の線で動く。
2025年9月5日、47年目のプレリュード。
PRELUDE Conceptが世界初公開されたのは2023年10月25日、ジャパンモビリティショー2023の会場で、このとき2025年の市販化が告知されている。2025年7月31日に発売前の情報がホームページで先行公開され、9月5日に発売された。コンセプト公開から店頭までの期間は、ほぼ宣言どおりの約1年10か月だった。
空白が何年だったのかは、公式の中で数え方が割れている。Honda SPORTS DRIVE WEBは生産終了を起点に「24年」、公式ストーリーは英語版も含めて「約25年(about 25 years)」としている。生産終了か販売終了かで起点が変わるので、どちらも間違ってはいない。読者が自分で数えるなら、2001年から2025年までが24年、販売の最後の個体が出た時点から数えれば25年に近づく、という理解でいい。
型式はBF1。2ドアクーペで、47年を経て初代の2ドア・フィックスドクーペと同じ形に戻った。パワートレーンは2.0L直4+次世代e:HEVで、エンジンは主に発電を担当し、駆動はモーターが受け持つ。ここにHonda S+ Shiftが載り、変速機を持たないe:HEVに段つき感のある変速フィールを与える。
シャシーはホンダ シビック タイプR(FL5)由来。24年ぶりに戻ってきたクーペが、ハッチバックの技術資産の上に立っているという構図になっていて、初代がアコードと基本コンポーネンツを分け合って生まれた事情と、ちょうど対になっている。
| 車両価格(税込) | 6,179,800円 | 2025年9月5日発売 |
|---|---|---|
| グレード数 | ワングレード構成 | |
| ボディカラー | 4色 | ムーンリットホワイト・パールを含む |
| インテリア設定 | 2種 | |
| エンジン排気量 | 2L | 直4+次世代e:HEV |
| 月間販売計画(国内) | 300台/月 | 2025年9月時点 |
| 発売約1か月の受注 | 2,400台 | 2025年10月6日時点 |
| 受注/月販計画比 | 8倍 | 約8倍 |
| WLTCモード燃費(報道値) | 23km/L | 報道では22〜24km/L |
| 空白期間(SPORTS DRIVE WEB表記) | 24年 | 生産終了起点 |
| 空白期間(公式ストーリー表記) | 25年 | 約25年 |
| コンセプト公開 | 2023年 | 2023年10月25日 |
価格は617万9800円(税込)のワングレード。ボディカラーは4色、インテリアは2種。2代目の最廉価136.0万円(1982年)から見れば約4.5倍、4代目の214.5万円(1991年)からは約2.9倍になる。1982年と2025年では貨幣価値も装備内容も違うので、この倍率を「値上がり」と読むのは乱暴だが、同じ名前の車に払う金額として見れば、482.0万円ぶんの距離がある。
日本国内の月間販売計画は300台。1987年の3代目が4,000台/月だったので、13.3倍の落差ということになる。同じ車名、同じメーカー、38年。
ところが発売から約1か月の2025年10月6日時点で、累計受注は約2,400台に達した。月販計画の約8倍である。クーペを買う人がいなくなったのではなく、売る側が見積もる人数が少なくなっていた、と読むこともできる。
WLTCモード燃費は、報道で22〜24km/Lという値が出ている。
13.3倍
3代目と6代目の月販計画の差
1987年の4,000台/月に対して、2025年は300台/月。ただし発売約1か月の受注は約2,400台に達した。
なお、駆動方式はFFを保っている。初代から、3代目の「FFスペシャルティカー」を経て、BF1もまた前輪駆動で出てきた。リトラクタブルは9年、ATTSは5年で消え、4WSは3世代14年を渡ってから消えたが、前輪で蹴るという一点だけが、名前が消えていた24年を挟んでも変わらなかった。
プレリュードは、CMで何を売ってきたか。
寸法と出力を並べると、この車が何を変えてきたかは分かる。ただ、何を価値として売ろうとしたかは、別のところに残っている。
初代のCMで流れたのは、タケカワユキヒデが歌う「PRELUDE」だった。曲名が、そのまま車名である。
2代目はラヴェルの「ボレロ」を使い、コピーは「FFスーパーボルテージ」。クラシックの反復と、技術を指す造語が同じ画面に並ぶ。デートカーと呼ばれるようになるこの世代が、売り文句の側では駆動方式を前に出していたことになる。
3代目は、音楽でも人でもなかった。後輪が切れる映像そのものを前面に出している。ハンドルを切ると、後ろのタイヤが向きを変える——説明を足さず、動いているところを見せた。
機構の説明をせずに伝わる、と判断できる機構だったということでもある。6世代のCMを並べたとき、売り物が機構そのものだったのはこの1代だけになる。
4代目はアイルトン・セナが出た。1988年から4年にわたってF1で勝ち続けたドライバーを、国内のクーペのCMに立てている。売っているのは車の構造ではなく、その名前が連れてくるものだった。
5代目はビゼー『カルメン』の「ハバネラ」。音楽に戻る。
DUAD SELECT
43.7mmから25mmへ、の裏を取る。
ATTSの要点は制御ではなくホイールセンターオフセットという寸法にあった。当時のムックには、その構造図とType Sの諸元が載っている。本文で触れた数字を自分で突き合わせたいときに、いちばん近い資料がこれになる。
ATTSの構造図とType Sの諸元が載る当時の号で、43.7mm→25mmという寸法変更の文脈を確認できる。
モーターファン別冊 ニューモデル速報 プレリュードのすべて(5代目/BB系)
発行: 三栄(モーターファン別冊 ニューモデル速報)・対象: 5代目プレリュード(BB5・BB6・BB7・BB8、1996年11月発売)・掲載: 主要諸元表・構造図・入手: バックナンバー
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初代SNから5代目BB8までのカタログ図版を世代順に通して見られる。寸法の変化を図で追える。
ホンダ プレリュード 歴代モデル解説ムック(名車アーカイブ系)
対象世代: 初代SN(1978年)〜5代目BB8(2001年生産終了)・内容: 当時のカタログ図版と解説
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初代プレリュードが積んだ1,750cc CVCCを、触媒に頼らない道として選んだ会社の考え方が分かる。
本田宗一郎 夢を力に(日経ビジネス人文庫)
版元: 日本経済新聞出版(日経ビジネス人文庫)・形式: 文庫・内容: 本田宗一郎の自伝的回顧
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美しいスペシャルティカー、技術を見せる車、走りを訴える車。軸は世代ごとに移っていて、同じ場所に留まった回がない。駆動方式だけが47年動かなかったこの車は、売り方の側では一度も同じ手を使っていなかったことになる。
歴代の数字を1枚に並べる。
6世代を縦に並べると、増え続けたものと、途中で折り返したものと、一度も動かなかったものに分かれる。
増え続けたのは全長で、4,090mm(初代)→4,295mm→4,460mm→4,440mm→4,520mmと、4代目の20mm短縮を挟みながら初代から5代目で430mm伸びた。ホイールベースも2,320mmから2,585mmへ265mm。重量は890kg(初代)、1,045kg(2代目)、1,180kg(3代目)。9年で290kg、初代の約1.3倍になっている。
一方、途中で折り返したのは全高である。1,290mm→1,295mm→1,295mm→1,290mm→1,315mm。18年動いた幅はわずか25mmで、しかも最後に上がって終わっており、低さの競争は5代目で止まっている。
さらに、看板技術の寿命も並べておきたい。リトラクタブルヘッドライトが1982年11月から1991年9月までの9年、ATTSが1996年11月から2001年までの5年。4WSだけは1987年4月から2001年まで、3代にまたがって14年続いている。世代が変わるたびに目玉を掛け替えてきた車のなかで、後輪を切る機構だけが2回の代替わりを越えた。
販売チャネルも変わった。初代と同じ1978年に立ち上がったベルノ店は既に存在せず、6代目はHonda Cars全店で扱われる。「ベルノに行かないと見られない車」という条件が消えたことは、カタログをもらいに自転車で店へ行った世代にとっては、たぶん寂しい話でもある。
TIPS
玩具の発売日は、実車の人気計器になる。
6代目BF1は2025年9月5日発売で、タミヤの1/24キットが9月13日、実車発売の8日後に出た。同じ9月にトミカNo.10も新規金型で登場している。新型が出たとき、模型の初回出荷がどれだけ早いかを見ておくと、メーカーの外側がその車をどう見積もったかが分かる。
プレリュードが捨てなかったもの。
初代SN(1978年11月25日発売)は4,090mm×1,635mm×1,290mm、890kg、1,750cc CVCCで90PS。6代目BF1(2025年9月5日発売)は2.0L e:HEVとHonda S+ Shiftを積み、617万9800円のワングレードで出てきた。
この車が捨ててきたものを数えるのは、足したものを数えるより早い。リトラクタブルヘッドライトは9年、ATTSは5年、4WSは3世代14年。どれもその代の看板として売り出され、次の代までに外されている。看板にならなかったものも同じで、助手席へ手を伸ばすウォークイン・ノブは2代目から3代続いて、5代目で消えた。CMでさえ、音楽から技術へ、技術から人へ、また音楽へと、一度も同じ手を使っていない。
残ったのは、カタログで大きく扱われたことのない一行だった。駆動方式、前輪。
2025年のBF1は、エンジンが主に発電へ回り、駆動はモーターが受け持つ。1978年の1,750cc CVCCとは、動力の作り方そのものが違う。それでも地面を蹴るのは前輪である。名前が消えていた24年を挟んで47年、この車が手放さなかったのはそこだけだった。

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