2年で、67馬力が110馬力に。
1981年10月29日に出たホンダ シティは、全長3,380mmしかない背の高い箱で、1,231ccから絞り出す出力は67馬力。Rタイプが78万円という値付けと、月8,000台という計画からすると、この会社が狙っていたのは尖った一台ではなく、街に数を出す実用車のほうだった。
エンジンには自分で名前を付けている。コンバックス。COMPACT BLAZING-COMBUSTION AXIOM の頭を並べた造語で、日本語では高密度速炎燃焼原理。狙いは、CVCCエンジンを足がかりにした高圧縮比化。新しい形の燃焼室を組み合わせ、内径を絞ってピストンの行程を伸ばす。ホンダの言い方では「超ロングストローク(超スモールボア)」で、要するに細長い筒になる。そして出発点は、高圧縮比だった。
11か月も経たない1982年9月20日、その細長い筒にターボチャージャーが載る。シティターボ、100馬力。標準のRタイプが67馬力だから、1.5倍。ホンダの言い方では「無鉛ガソリンを使用する過給エンジンとしては世界でも類を見ない最大過給圧0.75kg/cm2、出力50%アップ」。
呼び名も新しく作っていて、エンジンとターボとPGM-FIを束ねてハイパーターボと名づけたうえ、念の入ったことに、リリースの末尾には語義まで添えてある。「※ハイパーとは超越、非常なといった意。スーパー(SUPER)の上をいく表現。」スーパーの上、と自分で宣言したその車が、同時に「ターボ車としては最も廉価な設定」でもあり、109万円で車重690kgだった。
そこから1年1か月後の1983年10月26日にターボIIが出て、100馬力は110馬力へ、過給圧0.75kg/cm2は0.85kg/cm2へ、トルク15.0kg-mは16.3kg-mへ動いたが、排気量は1ccも増えていない。2年のあいだに、同じ1,231ccから取り出す力が1.64倍になった。
では、なぜそこまでやったのか。理由らしきものは、ずっと前から一貫している。シティというクルマの設計思想が「機構最小・機能最大」で、その考え方がいちばん濃く出ているのがこのエンジンだ、という立て付けになっていた。「ミニマムなメカニズムから、極限とも言うべきマキシマムなパワーを可能にする。つまり、1.2Lにして最大のパワーを得るためには、どうすれば良いか。全ては、ここからスタートしました。」
土台は小さくない。シティシリーズは1983年9月までに累計219,791台が街へ出ていた。22万台近い実用車の系列の、いちばん尖った先端にターボIIが載っている。
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過給をかけて、圧縮比も上げた。
混合気は強く潰すほどよく燃えるから、圧縮比——ピストンが下りきったときと上がりきったときの容積比——は高いほど得になるのだが、潰しすぎると点火を待たずに勝手に燃え出し、ノッキングを起こす。
ターボはそこに追い打ちをかける。空気を押し込むぶん燃焼室の中はもともと高い圧力から始まるので、過給機を付けるなら圧縮比は下げるのが定石だった。
実際、初代シティの高圧縮比は、1982年にターボを載せた時点で7.5まで落ちている。ところが翌1983年のターボIIは7.6。過給圧を0.75から0.85kg/cm2へ上げながら、圧縮比のほうも0.1だけ戻しているのだ。
なお、その判断の根拠になる図が、資料には2枚ある。1枚目は圧縮比と、ノッキングが起きない範囲での最大過給圧の関係で、「燃焼室のアンチノック性能にかかわらず、圧縮比を下げるほど過給圧を上げられる」。ここまでなら、下げれば下げるほど得という話になる。
2枚目が、その先を言う。「圧縮比を下げ、過給圧を上げていく方が、ある圧縮比までは出力が向上することがわかります。」
ある圧縮比までは。つまり下げ続ければどこかで出力は伸びなくなるのだが、それは潰す力を捨てすぎると押し込んだ空気を燃やしきれなくなるからだ。7.6という数字は定石への反逆ではなく、下げすぎた側から0.1だけ引き返した着地点だった。
では、何が0.1を返させたのかというと、エンジンの外側にある部品である。
ターボで押し込まれた空気は、圧縮されるぶん熱くなる。熱い空気は膨らんでいるぶん体積のわりに酸素が少なく、しかも高温はノッキングを呼ぶので、燃焼室へ入る前に一度冷やす手が要る。そこに置かれたのが空冷式インタークーラーである。
構造は入れ子になっている。「細かいフィンの中に、もうひとつのインナーフィンを持った、アルミ製」。そこへ、鼻先のいちばん風圧が高いところから引き込んだ走行風を通す。
落ちる温度は45℃。
45℃下がれば空気は縮むので、同じ圧力でもシリンダーに入る酸素が増え、同時にノッキングまでの余裕も生まれる。その余裕は、過給圧の上積みと圧縮比の回復の両方に出ている。7.5から7.6への0.1が、その片方だった。
燃焼室そのものにも手が入っている。「ターボII専用に燃焼室形状をいちだんと進化させ、アンチノック性能をさらに向上させた」。しかも諸元表の燃焼室形式の欄は、「副燃焼室付ウェッジ形」。排ガス対策として生まれたCVCCの副燃焼室を抱えたまま、そこへ0.85kg/cm2を吹き込んでいたことになる。
ついでに言えば、この0.85kg/cm2という数字には但し書きが付いていて、「無鉛ガソリン車で、世界最高の過給圧」と書かれている。無鉛はオクタン価で不利だから、ノッキングとの戦いはそのぶん厳しい。つまり、条件を付けたうえでの世界最高だった。
熱負荷だけが60%増えていた。
エンジンの中身は、ほとんど入れ替わっている。1982年にターボを載せたとき、すでに「90%以上の部品を新設計」していた。その9割を作り直したものを、翌年もう一度鍛え直している。手が入った範囲は「エアクリーナーからサイレンサーの出口まで、吸・排気系のすべて」。
TIPS
ドッカンターボ、と呼ばれた。
1980年代のターボ車には、ドッカンターボという呼び名が付いて回る。低い回転では過給がかからず、ある回転を越えた途端に背中を蹴られる、あの出方を指した言葉になる。面白いのは、Honda自身がそれを売りにしていないことで、資料に並んでいるのは逆の主張のほうだった。「過給圧をエレクトロニクスで制御しているためムダがなく、急加速や高速域からの追い越しの際でも、過給圧が素早く立ち上がります」。ドッカンを消そうと書いてある。ところがその同じ車に、4,000rpm以下で全開にすると10秒だけ圧を上乗せする仕掛けが付いている。消したかったはずの蹴りを、1つだけ意図して残したことになる。
面白いのは、部品ごとに「なぜ替えたか」がセットになっているところだ。
クランクシャフトには、ねじれを吸収するダンパーが追加された。気筒が爆発するたびに軸はわずかにねじれ、出力が上がればそのねじれも大きくなって金属が疲れるので、その振動を抑えるための部品になる。
シリンダーヘッドは、アルミにチタンを混ぜた合金に替わっており、その理由も「60%も増加する熱負荷に対処するため」と書いてある。
そして、この60%が、ほかの数字と並べてみると突出している。出力は100馬力から110馬力で10%増、トルクは15.0から16.3kg-mで8.7%増、過給圧は0.75から0.85kg/cm2で13.3%増、車重は690から735kgで6.5%増。どれも1割前後なのに、燃焼室が受ける熱だけが6割増える。
過給圧が13%動いたときに、熱負荷は60%動くと見積もられていた。この非対称がそのまま材料の選択になり、高温でも粘りを失わない合金でなければヘッドがもたない。
そして蓋のほうは、逆に軽くなっていて、材料はマグネシウムだった。「レーシングマシンなどで使われているダイキャスト製マグネシウムヘッドカバーを採用、アルミ製にくらべても1/2の軽さ」。1.2Lの実用車のカムカバーが、レーシングマシンと同じ材料で作られていた。
出口の側にも1つ、面白い部品がある。触媒をエンジンの直下に置いて、ターボチャージャーとのつなぎ目に蛇腹を入れてある。熱で伸び縮みする配管の応力を逃がし、ついでに振動と音も抑える。110馬力の排気管の途中に、静かにするための蛇腹が1本通っていたことになる。
こうした積み重ねを、ホンダはひとことでこう呼んだ。「110馬力ターボパワーをみごとに生かしきる、逞しく、ムダのない、マッスル構造です。」マッスルという語が選ばれたのが、1983年である。
10秒はシフトアップ1回分。
スクランブル・ブースト。4,000rpm以下でスロットルを全開にすると、10秒だけ過給圧が約10%上乗せされる。装備としてはそれだけの話で、それだけ書けば済んだはずだが、この「10秒」には括弧がひとつ付いていた。
「クルージング以外で、各ギヤをシフトアップする平均的な時間。80km/hなら約220mの距離。」
220m
80km/hで10秒間に進む距離(約)
公式の括弧内注記から。追い越し1回分の距離が、そのまま仕様になっている。
括弧の中がすべてを言っている。10秒はキリのいい数字として選ばれたのではなく、1つのギヤを引っ張ってシフトアップするまでの平均的な時間として選ばれた。80km/hを10秒なら計算上は222.2mで、それを切り捨てて「約220m」としてある。
追い越し車線に出て、前の1台を抜いて、また左へ戻るまで。その1往復ぶんだけ余分に押してくれる。カタログの数字ではなく、運転席の感覚のほうから仕様を切っている。
TIPS
10秒を、体で測る。
手元の時計で10秒を数えてみると、思ったより長い。Hondaはこの長さを「各ギヤをシフトアップする平均的な時間」と定義した。いまの車で試すなら、高速の合流で加速を始めてから追い越し車線に乗るまでを数えてみるといい。だいたい10秒前後に収まる。1983年の技術者が、何を基準に仕様を切ったのかが体で分かる。
これを成立させているのは、排気を逃がす弁の制御だった。
ターボは排気の勢いでタービンを回すから、放っておくと回りすぎる。そこで排気の一部を迂回させて、過給圧を抑える弁が付く。ウェストゲートという。ターボIIは、この弁をコンピューターに叩かせた。「あらかじめコンピューターに記憶させてある目標過給圧と、圧力センサーを使って検出した過給圧とを、たえず比較しながら、フリークエンシーソレノイドバルブを0.04秒という周期で、きめ細かく駆動させ」る。
0.04秒周期は逆数を取れば25Hzだから、秒25回、圧力を測っては弁を直していることになる。これが1983年の1.2Lで、「これにより、過給圧をギリギリまで高めることに成功したのです」と結ばれている。
さらにその先がある。狙う圧力そのものが、走りながら書き換わっていた。
「吸入空気温度、冷却水温、エンジン回転数に応じて目標過給圧を設定した、新しいプログラムマップをセット。」
気温の低い朝と、渋滞で水温が上がった午後では、ノッキングの起きやすさが違う。だから狙う圧力も変える。固定値に寄せるのではなく、そのときの条件に合った値に寄せる。いまの車なら当たり前だが、これが1983年の1.2Lに載っていた。
| 作動条件(回転数) | 4,000rpm以下 | スロットル全開時 |
|---|---|---|
| 持続時間 | 10秒 | シフトアップ1回分 |
| 過給圧の上乗せ | 10% | 約 |
| 80km/hでの走行距離 | 220m | 約 |
| ソレノイドバルブ駆動周期 | 0.04秒 | 25Hz相当。ウェストゲート制御 |
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8ビットが、9つの眼を読む。
その計算をしていたのがPGM-FIで、ホンダ独自の電子燃料噴射装置になる。説明の仕方が変わっていて、人の体に喩えてあるのだ。眼と、頭脳と、手。
眼はエンジンの状態を読む部分で、回転数と吸気管の中の圧力、この2つから燃料の量を割り出す方式を採った。空気の量を直接測るのではなく、圧力から逆算する。そのぶん「シリンダーのより近くで運転状態の変化を検出するため、ほとんどタイムラグがありません」。眼にあたるセンサーは9つ付いている。
頭脳のほうは、8ビットのコンピューターだった。扱える数は256段階で、いまのスマートフォンとは比べようもない。その器で9つのセンサーを読み、複数の地図から燃料の量を引き、4つの気筒へ順番に吹き分けていた。
そしてもうひとつ、当時のホンダらしい一行が続く。「当然、万一の場合にも自走できる、フェールセーフシステムも組み込んでいます。」
当然、と書いてある。センサーが1つ壊れたら動かなくなる、という作り方をしていない。壊れたなりの値で走らせて、家までは帰す。1983年の1.2Lのエンジン制御に、その思想が入っていた。
手にあたるのは噴射の部分で、4気筒順次噴射方式。4本のインジェクターから一斉に吹くのではなく、点火の順番に合わせて1本ずつ、その気筒が空気を吸い込む瞬間に合わせて噴く。一斉に吹くより制御は面倒になるが、燃料が吸気管の中で無駄に留まらない。
8ビットで9つのセンサーを読み、4気筒へ順番に吹き、壊れても家までは帰れる。これが1983年の1.2Lに載っていた中身だった。
その仕組みは、運転席からも見えるようになっていた。警告灯の欄は「排気温、PGM-FIユニット、ブレーキフリュード、チャージ、オイル」。1番目が触媒の温度、2番目が燃料を計算しているコンピューター。エンジンの中で起きていることが、ダッシュボードの豆球として外へ出ている。
ついでに言えば、インタークーラーにもPGM-FIにも、同じ一句が添えられていた。「あのホンダF-1にも搭載されている」。1.2Lの実用車のカタログに、F-1が2回。ホンダがF1へ復帰したのも、同じ1983年である。
歯車には手を入れていない。
10馬力と1.3kg-mを足したのだから、歯車も見直したはずだ——と思って諸元表を見ると、そうなっていない。
1速2.916、2速1.764、3速1.181、4速0.846、5速0.655、後退2.916、減速比4.066。この7つの数字は、1年前のシティターボとひとつも違わなかった。
| 発表日 | 1983年 | 10月26日 |
|---|---|---|
| 発売日 | 1983年 | 11月10日 |
| 新車価格 | 123万円 | |
| サンルーフ仕様の価格差 | 4万円 | 高い |
| 総排気量 | 1,231cc | 初代シティから1ccも増えていない |
| 内径(ボア) | 66mm | |
| 圧縮比 | 7.6 | 初代ターボの7.5から0.1戻した |
| 最高出力 | 110PS | |
| 最大トルク | 16.3kg-m | |
| 過給圧 | 0.85kg/cm2 | |
| 初代シティターボの過給圧 | 0.75kg/cm2 | 0.1上がっている |
| 初代シティターボの最高出力 | 100PS | |
| 初代シティの最高出力 | 67馬力 | 過給機なし |
| 車両重量 | 735kg | |
| 車両重量(サンルーフ仕様) | 745kg | |
| パワーウェイトレシオ | 6.68kg/PS | |
| 全長 | 3,420mm | |
| 全幅 | 1,625mm | 初代の1,570mmから広がった |
| ホイールベース | 2,220mm | 指一本触れていない |
| フロントトレッド | 1,400mm | |
| リアトレッド | 1,390mm | |
| 最低地上高 | 160mm | |
| 最小回転半径 | 4.6m | |
| タイヤ | 80H。初代ターボは165/70HR12 | |
| ホイール | 5J×13インチ | |
| 減速比(ファイナル) | 4.07 | |
| 燃料タンク容量 | 41L | |
| 10モード燃費 | 17.6km/L | 運輸省審査値 |
| 60km/h定地燃費 | 27.4km/L | |
| 乗車定員 | 5名 | |
| 月間販売計画(国内) | 3,000台 | |
動いたのは足元のほうになる。165/70HR12から185/60R13へ。太さと扁平率が変わったぶん、タイヤの外径は535.8mmから552.2mmへ、3.1%だけ伸びた。
外径が伸びれば、同じ回転数で進む距離が増える。ギアを触らずに、5速の足を長くしたのと同じことになる。100km/hで巡航したときのエンジン回転数を計算すると、2,637rpmから2,559rpmへ、78rpm下がる。(いずれも規格寸法からの計算値。実際の転がり半径は荷重で変わるので、実車の回転数とは差が出る。)
歯車には手を入れず、結果として5速の足が伸びた。なぜ13インチだったのかは、エンジンの側からは見えてこない。
89.4PS/L
1Lあたりの出力
初代シティRタイプが54.4PS/L、シティターボが81.2PS/L。2年で1.64倍になった。
1Lあたりの出力で並べると、2年の進み方がよく見える。初代シティRタイプが54.4PS、シティターボが81.2PS、ターボIIが89.4PS。同じ1,231ccから取り出す力が、1.64倍になった。
一方、燃費のほうは10モードで17.6km/Lにとどまっている。先代の18.6km/Lから1km/L落ちている。ところが60km/hの定地燃費は27.0km/Lから27.4km/Lへ、わずかに良くなった。45kg重く10PS上がった車が、一定速度で流すぶんには先代より燃料を食わないが、これは5速の足が伸びたぶんにあたる。
坂も強くなっている。登坂能力は0.58から0.66へ、13.8%増。出力が10%、トルクが8.7%、車重が6.5%しか動いていないなかで、坂を登る力だけが1割を超えて伸びた。トルクの山を3,000rpmに置いた設定が、そのまま出ている。
諸元表を下まで降りると、地味な行も見えてくる。潤滑油容量4L。0.85kg/cm2を吹き込むエンジンが、オイル4Lで回っていた。価格は東京・名古屋・大阪で123万円、福岡と仙台が125万円、札幌が126万9千円。仙台と札幌には寒冷地仕様分の5千円が入っている。サンルーフ仕様は4万円高、ボディソニック仕様は13万5千円高で受注生産だった。2年前、67馬力のRタイプは78万円である。
TIPS
型式は、力を区別していない。
車検証の型式の欄を見ても、その個体が何馬力なのかは分からない。1983年の時点では、110馬力のターボIIも、100馬力のターボも、63馬力のEタイプも67馬力のRタイプも、全部まとめてE-AAだった。別の記号が与えられていたのは商用のシティプロ(L-VF)だけで、つまり型式が分けていたのは出力ではなく、乗用か商用かのほうになる。のちにもう一段だけ分かれて、フェンダーで膨らんだワイドボディがE-FAになる。ここでも基準は力ではなく、車体の幅だった。ナンバーを取るための記号は、最後までエンジンのほうを見ていない。
この車の第一の特徴として掲げられていたのは、ホンダ シティ ターボIIの「(1)FF1.2Lターボの極限に挑んだ110馬力ビッグパワー」という一行だった。極限に挑んだ、と自分で言っている。
その一行が指す110馬力は、2年前の67馬力と同じ1,231ccから取り出した数字になる。そこへ届かせるために足したのは、吸気を45℃下げるインタークーラーと、25Hzで叩かれるウェストゲートと、下げすぎた側から0.1だけ戻した圧縮比であって、排気量には最後まで手が付いていない。
DUAD SELECT
110PSを作った人が、5年後に書いた本。
諸元表を読み終えたところで、その先の話に進む前に1冊だけ挙げておく。桜井淑敏の『ゼロからの挑戦』は1989年11月刊、237ページ。シティターボの開発責任者からF1プロジェクトの責任者へ移った当事者が、移ってから5年後に書いたものである。1989年の本なので、古書か図書館が現実的な入口になる。
1,231ccは、動かなかった。
同じ排気量から、2年で1.64倍の力を取り出している。同じ排気量のまま、10か月あまり後に100馬力、その1年後に110馬力。内径66.0mm・行程90.0mmという寸法は、1982年の諸元表と1983年の諸元表で同じ値が並んでいる。
変わったのは中身だった。9割を作り直したエンジンをもう一度鍛え直し、熱を受けるヘッドはチタンを混ぜた合金に、蓋はレーシングマシンと同じマグネシウムに。そして圧縮比は7.5から7.6へ、下がるどころか上がっている。吸気を45℃冷やして稼いだ余裕を、過給圧と圧縮比の両方へ配ったからだ。
10秒という数字も、同じ設計の延長線上にある。下から出して、シフトアップ1回ぶんだけ余分に押す。街で速い車の作り方が、この1,231ccに全部入っている。ただし、この110馬力がなぜあの顔になったのか。答えのほうは、タイヤの位置にある。


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