トランクに、バイクを積む前提。
ブルドッグの話をする前に、この車の出発点を1つだけ。
1981年10月29日、ホンダが出したリリースの表題が、これである。「世界初の4輪・2輪同時開発」。シティという車と、モトコンポという50ccのバイクを、同じ日に発表して同じ日に売り出した。
| 型式 | 12 (AB12) | |
|---|---|---|
| 全長 | 1,185mm | 全幅535mm・全高910mm |
| 乾燥重量 | 42kg | 車両重量45kg |
| 排気量 | 49cc | AB12E型 空冷2サイクル |
| 最高出力 | 2.5馬力 | |
| 燃費 | 70km/L | 30km/h定地走行テスト値 |
| 最小回転半径 | 1.3m | 登坂能力0.19(約11度) |
| 価格 | 80,000円 | シティRタイプは78万円 |
モトコンポは「トランクバイク」と名付けられている。全長118.5cm、乾燥重量42kg、49ccの2サイクルで2.5馬力、価格は8万円だった。ハンドルもステップも折りたためて、たたむと直方体に近い形になる。燃料もオイルもバッテリーも、液が洩れない機構が入っている。横に寝かせて積むからだ。
そしてシティの側にも仕掛けがある。「シティには、モトコンポを搭載する時に利用できるアンカーナットを装備。専用ベルト(オプション)でしっかりと固定できる設計となっている。」車の床に、バイクを縛るためのネジ穴が最初から開いていた。
ホンダはこの組み合わせをこう説明している。「4輪に2輪を搭載して行動することにより、バイクの機能とクルマの機能が掛け算的に広がり、アウトドアライフの新しい使い勝手を創りだす」。そして「2輪車、4輪車を持つホンダの強みをフルに発揮した世界で初めての試み」。
面白いのは、販売計画の数字である。
シティが月間8,000台に対して、モトコンポは月間10,000台。本体より、トランクに積むバイクのほうを多く売るつもりでいた。車を買った人が積むだけでなく、バイク単体でも売れると踏んでいたことになる。
背の高い箱に、折りたためるバイクを積んで出かける。その使い方を前提に、車の床のネジ穴まで設計してある。2年後にその車の上級版が110馬力になり、フェンダーを張り出させ、ブルドッグと呼ばれることになるわけだが、土台にあったのはこういう発想だった。
1みんなの写真
ブルドッグは、発売前から刷ってあった。
1983年10月26日、報道各社にシティ ターボIIの資料が配られる。発売は11月10日だから、まだ誰も買えない。そのスタイリングの説明に、こう書いてあった。「大地に足を踏んばり、いままさに走りださんと身構える“ブルドッグ”のイメージ」。そのイメージを形にしたものとして、張り出したフェンダー、下へ伸びたエアロスカート、そしてパワーバルジの3つが挙げてある。
愛称は、たいてい外から付く。乗った人間が言い出して、雑誌が拾って、いつのまにか定着する。ところがこの車は逆だった。作った側が先に名前を出し、それを受け取った側がそのまま呼び続けた。犬に喩えるという発想を、メーカーが自分から差し出している。
効き目は早かった。メーカーが出した愛称が、4か月後にはレースの名前になっている。
ちなみに空気の抜け方についても、この車は初代シティの資産を引き継いでいる。揚力係数ゼロ——背が高いのに前後が浮かない、という初代の看板が、そのまま上級版にも掲げられた。トールボーイという背の高い箱は、見た目に反して空力で無理をしていない。
なぜフェンダーは膨らんだのか。
答えはタイヤの位置にある。
ホイールベース2,220mmには指一本触れておらず、初代シティから同じ数字が続いている。手を入れたのは左右の幅のほうで、前輪の間隔を30mm、後輪の間隔を20mm広げ、前が1,400mm、後ろが1,390mmになった。先代のシティターボは前後とも1,370mmだったから、前だけ10mm多く開いたことになる。
そこへ185/60R13という太いタイヤを、5J×13のホイールに組んで履かせる。先代は165/70HR12だったから、幅が20mm増えた。軸を外へ広げて、そこに太い靴を履かせれば、足はボディの輪郭からはみ出す。はみ出したものは覆わなければならず、あのブリスターフェンダーがその板である。
順番を逆に読んでいる人は多い。格好いいフェンダーを作りたかったから、それに合わせてトレッドを広げた——という筋書きのほうが、物語としては自然に聞こえる。だが言い方は一貫している。フェンダーは「強化された前後サスペンションシステム、ワイドタイヤなどを包み左右に張り出したフォルム」——包むものが先にあって、包む板が後から来る。
広げて何が変わるか。コーナーで車が傾いたとき、外側のタイヤが踏ん張れる距離が長くなる。背の高い車ほど傾きやすいから、この10mmや15mmが効く。全幅は先代の1,570mmから1,625mmへ。車庫入れの感覚が変わるほどではないが、高速で車線を変えるときの落ち着きは、運転した人間ならすぐ分かる差だったはずだ。
1インチ上げて、ディスクを大きくした。
タイヤが12インチから13インチへ上がった。太くなったのは分かるとして、なぜ1インチ大きくする必要があったのか。
止まる側にも同じ寸法が出てくる。ディスクの内部に空気の通り道を持つベンチレーテッドディスクは、先代シティターボにもすでに付いていた。連続してブレーキを踏んでも熱が逃げる構造で、当時の小型車としては手厚い。ターボIIで変わったのは、その大きさのほうだった。入ったのは「大径13インチ用のベンチレーテッドディスクブレーキ」で、ディスクの側も13インチという寸法を前提に選ばれている。
13インチ用
大径ディスクが要求したホイール径
先代シティターボもベンチレーテッドディスクだったが、ターボIIは13インチ用の大径へ。ディスクを大きくするには、ホイールも大きくするしかない。
ホイールを1インチ大きくして、タイヤの外径をだいたい揃えようとすれば、ゴムの厚みを削るしかない。扁平率70から60へ。もっともHonda自身が185/60R13の理由として挙げているのはタイヤ側の話で、「偏平率も60%とワイドで、接地面積が広いため、パワーロスが少なく、また、制動性もハイレベルです」と書いてある。太らせた足と、大きくしたディスクと、削った扁平率が、13インチという1つの寸法で噛み合った。
パッドは大型のセミメタルで、踏力を助けるサーボには6インチが入る。ここまで足して、止まる距離はどうなったか。
初速50km/hからの制動停止距離は14.0mで、先代のシティターボも同じ14.0mだった。車重が45kg増え、最高出力が10馬力上がって、止まる距離は1cmも動いていない。増えたぶんは、ブレーキだけでなくタイヤと車重配分も含めて受け止めている。
スカートは下、車高は上へ。
鼻先には、路面へ向かって降りていくスカートが付く。見た目の話だけではなく、熱の話でもある。ターボにインタークーラーを足したぶん、エンジンルームの発熱が増えた。下から空気を引き込んで冷やし、同時に高速で前が浮くのを抑える。この2つを1枚の板で処理している。
ところが諸元表の最低地上高は、先代の145mmからターボIIの160mmへ、15mm上がっているのだ。スカートは下へ伸びたのに、車体の底は先代より高い。タイヤが12インチから13インチへ替わっている。スカートの裾は下がり、車体の底は上がるという、見た目と数字が逆を向く組み合わせになった。
160mm
最低地上高の変化
下へ大きく張り出したエアロ・フロントスカートを付けながら、車体の底は先代より15mm高い。
そしてパワーバルジ。ボンネットの上に盛り上がったあの部分で、正式にはビッグパワーバルジという。
中に入っているのは空冷式インタークーラーと、軽量化されたエアクリーナーである。吸気を45℃も冷やすための熱交換器で、板金の造形では代用できない体積がある。ターボで圧縮されて熱くなった空気を冷ますための箱を、エンジンの上に積んだ。1,231ccの横置きエンジンの上には、もうその高さしか残っていなかったのだろう。ボンネットを平らなままにすれば蓋が閉まらない。だから膨らませた。
つまりパワーバルジも、造形ではなく容積の話になる。フェンダーがタイヤを覆う板なら、バルジはインタークーラーを覆う蓋だった。表現がふるっている。「大きくもり上がった、まさに筋肉」。
TIPS
1,625mmで、止めてある。
フェンダーを外へ張り出させて、全幅は1,570mmから1,625mmになった。55mm増えている。ただし、いくらでも広げられたわけではない。当時の小型自動車の枠は長さ4.7m以下、幅1.7m以下、高さ2.0m以下で、これを1mmでも超えると区分が変わる。1,625mmは、枠まで75mm残した位置になる。太いタイヤを入れて、フェンダーで覆って、それでもナンバーの区分は動かさない。あの張り出しは、上限いっぱいまで攻めた形ではなく、枠の内側で作れる幅の中に収めた形だった。ちなみに8年後、ホンダは全幅1,765mmのプレリュードを「3ナンバー専用ボディ」と自ら名乗って出す。枠を超えること自体が売り文句になる時代が、すぐ後に来ていた。
足まわりは形式こそマクファーソン・ストラットのまま据え置かれたが、バネは専用のハードタイプに替わり、前後にハードスタビライザーが入った。初代シティから続くプログレッシブコイル——縮むほど硬くなるバネ——を硬い側に振り直したわけだが、乗り心地についての言い分が、また1983年らしい。「その走りは、まさに“しなやか”の4文字に尽きるほど。」
オレンジに光る、3つの計器。
ドアを開けて座ると、まず目に入るのが計器盤になる。
速度計はデジタルで、数字が並んで表示される方式が、1983年当時は未来の顔だった。その横にタコメーターが並び、さらにもう1つ、この車ならではの計器が付く。グラフィック・ターボメーターである。
| 速度計 | デジタル・スピードメーター | |
|---|---|---|
| 過給圧計 | グラフィック・ターボメーター | |
| 回転計 | タコメーター | |
| 照明 | 2か所 | メーターとヒーターコントロールパネル。ともにオレンジ |
| ステアリング | 小径超太グリップ(アルミ調) | |
過給圧が上がっていく様子を、目盛りが伸びていく形で見せるのだ。アクセルを踏み込めば伸び、緩めれば戻り、スクランブル・ブーストを効かせれば、そこからさらにもう一段伸びる。エンジンの中で起きていることを運転しながら目で追える計器が、1.2Lの実用車に付いていた。
照明はオレンジ。メーターも、ヒーターのコントロールパネルも、まとめてオレンジに光る。夜の車内が何色だったかというのは、意外と記憶に残るものである。
ハンドルは「小径超太グリップ・3本スポークステアリング」でアルミ調。小さく、太く握れて、スポークが3本。足元にはフットレストが付き、集中コントロールスイッチにはレーンチェンジャーとパッシングが組み込まれている。座ってから手足が触れるところに、ひととおり専用の部品が入っていた。
第3腰椎から仙骨まで、面で支える。
ドアを開けると、話が変わる。
運転席のシートは、横Gで体が逃げないように作り直され、背中とサイドでパッドの密度を変えて、座面は厚く、脇は硬く、ハイバックにして前後方向のホールドも上げている。ここまでは、スポーツシートの説明としてよくある話になる。
ところが説明がもう一段降りていき、支えている場所を骨の名前で書いてあるのだ。「第3腰椎から仙骨にかけての腰の部分を均一に支持」。
第3腰椎は腰のいちばん反るあたりで、仙骨はその下の骨盤とつながる板状の骨になる。つまり腰の反りから尻の付け根までを、一枚の面で均等に受けるという設計だった。長距離を走っても腰が痛くならないのは、体重が一点に集まらないからである。1.2Lの実用車の上級グレードで、腰椎の番号まで出してくる。
中身の作り方も書いてある。「サイドと背中の部分でパッド材の密度を変え、クッション部分を厚くしながら、サイド部分の剛性を上げるよう設計」。同じウレタンを使い分けて、当たる部分は柔らかく、支える部分は硬くする。厚みで調整するのではなく、密度で調整しているところが効いている。
表皮は「モケット&トリコットコンビ表皮」。モケットは毛足の立った起毛生地で、電車の座席に使われているあれに近く、摩擦が大きいぶん体が滑りにくい。トリコットは伸びる編み地で、複雑な曲面に張り込んでもシワが出にくい。座面の要るところにモケット、形の出るところにトリコット。2種類の生地を使い分けて、1枚の椅子に仕立てている。本文のほうはこれを「ハイクォリティなモケット表皮の使用」と短く書いているが、装備表まで降りると、実際は2素材の組み合わせだったことが分かる。
内装全体の考え方も、そこに続いている。「シートとインストルメントパネル、ドアライニングから、センターコンソール、ステアリング、チェンジノブに至るまで、室内全体をトータルにカラーコーディネイト」。ドアの内張りは「成型ドアライニング(コンビマテリアル)」で、こちらも複数素材の組み合わせ。床とラゲッジのカーペットはニードルパンチ、チェンジレバーのノブはソフトの専用デザイン。手と体が触れるところを、材質から決めていったインテリアだった。
一方でオーディオの欄には、ボディソニック・システムが並んでいる。音を振動に変えて、座っている体に直接伝える装置だ。13万5千円高の受注生産。腰を均一に支える設計と、体を震わせる装備が、同じ車の装備表に同居していたことになる。
そして後席が、この車でいちばん人に話したくなるところかもしれない。
「なんと、リアシートは取り外しが可能。外にもち出せば、どこへ出かけても専用席になるのです。」
なんと、と自分で書いているが、後席を引き抜いて河原なり海辺なりへ持っていって座る、そういう使い方を前提にした椅子である。3ポジションのピローまで付いていて、110馬力のターボ車の後席が、屋外用の腰掛けを兼ねている。室内の考え方そのものが「運動性をつきつめていくと快適性につながる」だったというから、そういうことになるのだろう。
2みんなの写真
ポケッテリアは、上級版の発明ではない。
| バンパー | エアロタイプ大型弾性バンパー(スカート一体成型)・ボディ同色 | |
|---|---|---|
| ボンネット | ビッグパワーバルジ | |
| ウインドウ | 2面 | FMG接着(フロント、リアクォーター) |
| グリル | 非対称フロントグリル(樹脂製) | |
| その他 | 4点 | サイド大型エンブレム/リアサイド・ルーバー/サイドシルチッピング塗装/マフラーカッター |
クールポケット、ワイドトレイ、ドライバーズトレイ、車検証ポケット、アシスタントポケット、センターポケット、ミニポケット、ドライバースポケット、ドアポケットが2つ、リアサイドポケットが2つ、シートサイドポケットが2つ、シートアンダーポケット、スペアタイヤバケット。
数えると16になる。
これはターボIIが考えたものではない。同じ資料のシリーズ一覧を見ると、燃費重視のEタイプには「ポケット16のポケッテリア」、Rタイプや商用のシティプロには「ポケット12のポケッテリア」と、グレードごとに数まで添えて並んでいる。収納はシティというシリーズ全体の看板で、上級版がそれを借りたわけではない。小さい車を広く使うには、物を置く場所を作るしかない。背を高くして床を広く取り、そのうえで壁という壁にポケットを付ける。トールボーイという設計思想は、外の寸法だけの話ではなかった。
面白いのは、110馬力の上級版が、いちばん多い側の16に付いていることである。走りに振ったグレードだから収納は削る、という発想が無い。むしろ名前まで引き継いでいる。ポケッテリア。ポケットとカフェテリアを掛けた造語だろうが、実用車の装備表に堂々と載っていた。
中でもクールポケットは説明が要る。エアコンが効いているとき、その冷気を引き込んで中を冷やす仕掛けになっている。夏に缶を入れておく場所である。1983年の1.2Lに、冷蔵する小物入れが付いていた。
一方でオーディオの欄を見ると、AMラジオもFM付きカセットも注文装備になっている。110馬力で、非対称グリルで、後席が外せて、ポケットが16個ある車が、ラジオなしでも出荷できた。何を標準にして何を選ばせるかの線引きが、いまとはまるで違う。
4方向に動く、屋根の窓。
装備表の記号を見ていくと、この車の売り方が分かってくる。△が注文装備、▲が「装着車を設定しています。ご注文時にお申しつけください」——つまり工場で組み込む仕様車になる。
その▲が付いているのが2つある。ボディソニック・システムと、4ウェイスモークドガラス・サンルーフ。
TIPS
フェンダーミラーも、選べた。
装備表のいちばん下に、小さな但し書きがある。「※フェンダーミラー装着車も選べます。」ターボIIの標準は調整ノブ付リモコンドアミラーで、あの顔はドアミラーを前提に描かれている。それでも、ボンネットの上へ突き出す前の時代のミラーを、注文で選べるようにしてあった。ブリスターフェンダーを張り出させ、ボンネットにバルジを盛り、グリルまで左右非対称にした車に、フェンダーミラーを付けて出荷することもできたわけだ。顔は意匠だけで決まっていたのではなく、法規と、買う人の慣れの上にも載っていた。ただし中古で探しても、まず出てこない。現存する個体が少なくほとんど流通していないので、もし見かけたら相当に貴重なものと考えていい。
4ウェイというのは、屋根の窓が4方向に動くという意味で、開ける、閉じる、後ろを持ち上げる、そして外して持ち出すところまで手動で動かせる屋根が、1.2Lの車に用意されていた。価格は4万円高で車重は10kg増え、735kgが745kgになるのは、この屋根のぶんだった。
初代シティのころから、この会社は屋根で遊んでいる。1982年7月にサンルーフ仕様を追加し、11月にはハイルーフ仕様を出した。1983年4月には、電動のスモークドガラス・サンルーフまで設定している。そして1984年8月、ついに屋根そのものを取り払ったシティ カブリオレが出る。背の高い箱の屋根を、あれこれいじり続けた3年間だった。
もうひとつの▲、ボディソニック・システムは13万5千円高の受注生産になる。音を振動に変えて、座っている体へ直接伝える装置で、スピーカーで耳から聴くのと同時に、背中から聴かせる。第3腰椎から仙骨までを面で支える設計をしたシートに、体を震わせる装置を組み合わせている。
| 4ウェイスモークドガラスサンルーフ設定(Rタイプ) | 1982年7月 | 7月22日発売 |
|---|---|---|
| ハイルーフ仕様設定(Rタイプ) | 1982年11月 | 11月27日発売 |
| 電動スモークドガラス・サンルーフ設定 | 1983年4月 | Rタイプハイルーフに。4月16日発売 |
| ターボIIにサンルーフ仕様 | 4万円高・車重+10kg | |
| シティ カブリオレ | 1984年8月 | 屋根そのものを取り払った |
小さな仕掛けも多い。ヘッドライトのヒューズは4系統に分けてあって、1つ飛んでも全部が消えない。ドアミラーは調整ノブ付きのリモコン式で、フェンダーミラー装着車も選べた。ルームミラーは昼夜切り換え式、ワイパーは間欠式で、リアにもウォッシャー付きが付く。ベンチレーションはバイレベルヒーターとファンベンチレーション、そしてラム圧ベンチレーション——走行風の圧力を利用して外気を入れる仕組みである。
そして装備表の最後に、テンポラリータイヤ。応急用の細いスペアタイヤで、これも注文装備だった。16個のポケットのうち1つが「スペアタイヤバケット」なのは、そのためである。
全長の47%が、居室だった。
全長3,420×全幅1,625×全高1,470mm、車両重量735kg、乗車定員5名。
| 全長 | 3,420mm | |
|---|---|---|
| 全幅 | 1,625mm | 初代シティは1,570mm |
| 全高 | 1,470mm | |
| ホイールベース | 2,220mm | 初代から変えていない |
| フロントトレッド | 1,400mm | 初代から30mm広げた |
| リアトレッド | 1,390mm | 初代から20mm広げた |
| 小型車枠までの余地(全幅) | 75mm | |
| 室内長 | 1,615mm | |
| 室内幅 | 1,310mm | |
| 室内高 | 1,175mm | |
| 乗車定員 | 5名 | |
| 車両重量 | 735kg | |
| 車両重量(サンルーフ仕様) | 745kg | |
| パワーウェイトレシオ | 6.68kg/PS | |
| タイヤ | 80H。標準車は145R12 | |
| ホイール | 5J×13インチ | |
| 最低地上高 | 160mm | |
| 最小回転半径 | 4.6m | 車体基準では5.0m |
| 制動停止距離 | 14m | 初速50km/h |
| ブレーキサーボ | 6インチ | |
| 減速比(ファイナル) | 4.07 | |
| 燃料タンク容量 | 41L | |
| 総排気量 | 1,231cc | |
| 最高出力 | 110PS | |
| 最大トルク | 16.3kg-m | 3,000rpm |
| 圧縮比 | 7.6 | |
| 10モード燃費 | 17.6km/L | 運輸省審査値 |
| 発表日 | 1983年 | 10月26日 |
| 発売日 | 1983年 | 11月10日 |
| 新車価格 | 123万円 | |
| 生産終了年 | 1986年 | |
面白いのは室内の寸法のほうで、長さ1,615mm、幅1,310mm、高さ1,175mm。全長3,420mmのうち、1,615mmが人の座る場所にあてられており、割れば47%にあたる。ボンネットにターボとインタークーラーを積み、太いタイヤを履かせて、それでも全長の半分近くが室内だった。背を高くして床を広く使う——初代シティのトールボーイという考え方が、いちばん尖ったグレードでも崩れていない。
代償もある。最小回転半径は4.6m、車体で測れば5.0m。先代の4.5m(車体4.9m)から10cm増えた。トレッドを広げて太いタイヤを履かせれば、前輪の切れ角は食われる。狭い路地では、そのぶん不利になる。
この車の性格は、結局そこに出ている。後席を外して河原へ持っていける5人乗りの箱に、110馬力のターボと、13インチのベンチレーテッドディスクと、左右非対称のグリルを載せた。スポーツカーを作ったのではなく、実用車のまま、行けるところまで行ってみた車だった。
DUAD SELECT
5人乗りの居室を、いまの車と並べる。
全長3,420mmで室内長1,615mm、定員5名。この比率が当時どれだけ特殊だったかは、いまの軽自動車やコンパクトカーの諸元と並べると分かる。当時の記事をまとめた書籍なら、同クラスの他車の数字も一緒に載っている。
先代と、どこが違ったのか。
シティターボが出たのが1982年9月、ターボIIはその1年1か月後になる。同じ車名で、同じ1,231ccで、外から見ても兄弟だと分かるが、では何が変わったのか。
| 最高出力(100→110馬力) | 110馬力 | インタークーラー追加 |
|---|---|---|
| 過給圧(0.75→0.85kg/cm2) | 0.85kg/cm2 | 無鉛ガソリン車で世界最高 |
| フロントトレッド(1,370→1,400mm) | 1,400mm | +30mm |
| リアトレッド(1,370→1,390mm) | 1,390mm | +20mm |
| 車両重量(690→735kg) | 735kg | +45kg |
| ホイールベース(変わらず) | 2,220mm | 初代シティから同じ |
| 制動停止距離(変わらず) | 14m | 初速50km/h時 |
| 価格(109→123万円) | 123万円 | 東京・名古屋・大阪 |
エンジンは、インタークーラーが付いた。これが最大の違いで、過給圧が0.75から0.85kg/cm2へ、出力が100から110馬力へ。トルクも15.0から16.3kg-mになった。ボンネットのパワーバルジは、この部品を収めるために生まれている。
足まわりは、トレッドが前後1,370mmから前1,400mm・後1,390mmへ。タイヤが165/70HR12から185/60R13へ上がり、前輪のベンチレーテッドディスクが大径化した。ブリスターフェンダーは、この変更を覆うために外へ出ている。
変わらなかったものも多い。ホイールベース2,220mmはそのまま、変速比7項目もそのまま、サスペンション形式もマクファーソン・ストラットのまま、制動停止距離も14.0mのまま。車重は690kgから735kgへ45kg増えた。
つまりターボIIというのは、インタークーラーを積むために外まわりを作り直した車である。そう考えると、あの顔の出どころがはっきりする。ボンネットの膨らみはインタークーラーを、フェンダーの張り出しは広げたトレッドと太いタイヤを、それぞれ覆っている。1年でこれだけ変えて、価格は109万円から123万円。14万円の差だった。
1985年3月、針の計器に戻った。
シティ ターボIIは、1983年11月から1986年9月までの3年たらずのあいだに一度手が入っている。1985年3月14日に発表、翌15日発売。シリーズ全体の手直しで、E IIIとUの2タイプが加わって全7タイプになった。
その告知の末尾に、ターボIIの話が1行だけ混ざっている。
「この他、ターボIIはアナログメーターや、リアシェルフを装備。」
これが前期と後期を分ける線になる。
1983年の装備表を開くと、運転席の計器はデジタル・スピードメーター、グラフィック・ターボメーター、タコメーターの3つが並んでいた。速度計にだけ「デジタル」と付いていて、回転計には付いていない。速度は数字で読ませ、回転は針で読ませていたことになる。
TIPS
デジタルは、17か月でやめた。
1983年10月の装備表には「デジタル・スピードメーター」とある。ところが1985年3月、ターボIIは針の速度計に戻る。数字で読ませていた期間は、17か月しかない。これはホンダだけの話ではなかった。1980年代半ばの日本車はデジタルメーターを競って積んでいて、とくにスポーティな車種に多い。それが1990年代に入ると、急速に姿を消していく。理由としてよく挙げられるのが視認性で、針なら位置を一瞬見るだけでだいたいの速度が分かるのに対し、数字は読んで確かめる動作が要る。当時の表示は蛍光表示管で、作るのも直すのも高くついた。そしてターボIIの場合、速度計が針になっても、過給圧を示すグラフィック・ターボメーターだけはデジタルのまま残っている。刻々と変わる圧力はバーグラフのほうが読みやすく、一定の速度を保つ数字は針のほうが読みやすい。使い分けたことになる。
それが1985年3月から、速度計も針になる。2つとも同じ読み方に揃えた形で、過給圧を示すグラフィック・ターボメーターだけがデジタルのまま残る。針が2つとバーグラフが1つという並びが、後期の運転席になった。
外まわりも同じ日に動いていて、可倒式ドアミラーがシリーズに入った。1983年のターボIIの装備表にあるのは「調整ノブ付リモコンドアミラー」で、折れる構造ではない。非対称フロントグリルのほうは逆向きの動きで、もともとターボIIが履いていた顔がカブリオレを除く全タイプへ広がっていく。上級版の意匠が、シリーズの標準になった。静粛性と乗り心地の向上も謳われている。ターボIIの価格は123万円から123万8千円へ、8千円だけ上がった。
もっとも、この資料でいちばん静かに変わっているのは販売計画のほうかもしれない。1982年11月のシティシリーズは月間13,000台を見込んでいた。1985年3月のそれは、3,000台である。
ところで、車検証の型式は年式と関係がない。
1983年10月の発表時、ターボIIの車名・型式はホンダ E-AAだった。Hondaのアーカイブに残る1986年9月時点の諸元では、ホンダ E-FAになっている。ここだけ見ると年式で分かれたように読めるが、同じ時点のほかのタイプを引くと話が違ってくる。
E III、R、Rハイルーフ、U。どれも1986年9月時点でE-AAのままで、E-FAを名乗っているのはターボIIとカブリオレの2つしかない。
この2台に共通するのは、全幅1,625mm。ナローボディの1,570mm組がAAで、フェンダーで膨らんだ組がFA。型式は年式ではなく、車幅のほうに沿って分かれている。ワイドボディがターボIIの1台だけだった時期と、カブリオレが加わってからとで、資料に残っている型式が変わる。中古を型式で絞るなら、両方を見ておく。
そしてもうひとつ、諸元表で動いているものがあり、それが最高出力の発生回転数だった。
1983年10月は110PS/5,500rpmだったものが、1986年9月のアーカイブでは110PS/5,000rpmになっている。出力の数字は同じ110PSで、回転数だけが500rpm下がっている。ほかの項目——排気量、内径×行程、圧縮比7.6、トルク16.3kg-m/3,000rpm、車重735kg、変速比、制動停止距離14.0m——は1つも動いていない。先代のシティターボは1986年9月時点でも100PS/5,500rpmのままだから、これはターボIIだけに起きた書き換えになる。
なお、後期でサスペンションが柔らかくなり、乗り心地がマイルドになったという話も聞く。ただしこれは出どころが確かめられていない。1985年3月の資料が「静粛性や乗り心地の向上も計っている」と書いているのはシリーズ全体についてで、ターボIIの足まわりを名指しした記述はなく、諸元表に載る範囲でも数字は動いていない。
顔は、寸法の後から来た。
あの顔は、意匠として描かれたものではなかった。ホイールベース2,220mmには触らず、前輪の間隔を30mm、後輪を20mm広げ、185/60R13という太い靴を履かせる。はみ出した足を覆えば、ブリスターフェンダーは外へ出る。
全幅1,625mm。ボンネットのパワーバルジも同じで、あの中身は空気を冷やすための箱である。止まる側も釣り合いを取っていて、45kg重く10馬力上がった車の制動距離は、先代と同じ14.0mだった。それでいて後席は外して持ち出せるし、ポケットは16個あるし、定員は5名のまま。
顔だけ見ればスポーツモデルだが、中身は最後まで実用車の派生である。ブルドッグという名前は、その無理の通し方に付いた名前だったのかもしれない。この顔と、この中身が、なぜ1983年でなければならなかったのか。同じころ、同じ土俵には誰がいたのか。


まだコメントはありません。