一生、夢中。

CARS|JAPANESE|ホンダ シティ ターボII

ブルドッグは、まだ死んでない。

1983年のシティ ターボIIから、令和のSuper-ONEへ。

SERIESホンダ シティ ターボII 解体新書 VOL.3

SHARE
ブルドッグは、まだ死んでない。

鉄の鎧をまとった犬が、こちらへ向かって走ってくる。

1983年のテレビで流れた、シティ ターボIIのCMである。このキャラクターを描いたのは、『AKIRA』を発表する前の大友克洋だった。音を付けたのは、寺尾聰の「ルビーの指環」を編曲した井上鑑である。

2年前の初代シティのCMには、イギリスのスカバンド、マッドネスが出演していた。毎晩テレビで見たあの犬の顔は、車の名前より先に浮かぶ。ただし、配役の基準は知名度ではない。売れているかどうかではなく、日本の茶の間でまだ見慣れていないかどうかで選び、それを1,231ccの実用車の上級版でやっていた。

40年以上が経過し、ホンダはSuper-ONEというEVのプロトタイプを発表する。その純正外装パーツ一式に付いた名前がBULLDOG STYLE、コンセプトはREIWA BULLDOG。開発チームは当時のカタログを開くところから始めている。

マッドネスから大友克洋へ、そして令和のEVへ。シティが生み出したブルドッグというキャラクターは、40年以上の時間を超え、再びホンダの新しいクルマに姿を現した。

※本記事にはアフィリエイト広告(プロモーション)を含みます。

鉄の鎧を着た犬が、走ってきた。

初代シティのCMを覚えている人は多い。「シティは、ニュースにあふれてる。」というコピーで、イギリスのネオ・スカバンド、マッドネスが画面に出てきた。曲に合わせてメンバーが横一列に並んで足を送るその動きはムカデダンスと呼ばれ、1981年の日本のテレビには、あれが毎晩流れていた。

誤解されやすいが、彼らは無名の新人ではない。1979年11月に英国のアルバムチャートへ入った『One Step Beyond...』は最高2位まで上がり、シティが出た1981年にもチャートに戻ってきている。本国では、とっくに売れていた。ホンダ側の記録にあるのは「日本では全くメジャーではなかったが、その特異さと新しさに引かれて採用を決めた」という一行で、つまり向こうで当たっている人を、日本で広まる前に連れてきたことになる。

その企画は、社内で3度はねられている。「あんた、何考えてるんだ!」。3度目のとき、見るのを渋る担当役員を背後から抱えて画面の前に座らせた広告担当は、こう訴えたという。「若い人は、いいと言ってくれてます。年寄りは駄目と言ってます。若者の2、3割の共感を得られれば、このクルマの目的は達成されます。」返ってきたのが「そうか、分かった。私が責任を持つからやりなさい」だった。

通ってからは早く、呼び寄せてから滞在4日、実質2日半で録音もスチールもCFも撮り終えている。流れたあとに起きたことは、ホンダ自身がこう書き残した。「学園祭やパーティーなど、日本中でムカデダンスと『ホンダ、ホンダ、ホンダ』のメロディーが流行をみせた。」当時のホンダは年間30万台の壁を破れずにいて、あの掛け声には社内を元気づける意味も込められていたという。

その2年後、同じシティの上級版で、ホンダは犬を出す。

画面に現れるのは、鉄の鎧をまとったようなブルドッグ。生き物というより機械に近い造形で、その顔つきが車の前から見た姿とそのまま重なる。このキャラクターをデザインしたのは、ホンダの書き方をそのまま借りれば「『AKIRA』発表前の、大友克洋氏だった」。連載が始まったのが1982年、映画の公開は1988年である。つまり世界的に知られるより前の大友が、1.2Lのターボ車のCMのために犬を描いていたことになる。

そして音を付けたのが、井上鑑だった。寺尾聰の「ルビーの指環」を編曲した、あの井上鑑である。企画演出は李泰栄、美術は桝岡秀樹と大友克洋の連名。このフィルムは「ブルドッグ出現」という題で残っていて、第24回ACC CMフェスティバルの秀作賞を受けている。

2本並べると配役の付け方が一貫していて、初代がイギリスのスカバンド、上級版が漫画家と編曲家である。売れているかどうかではなく、日本の茶の間でまだ見慣れていないかどうかで選んでいる。それを1.2Lの実用車のCMでやっていた。

そして「ブルドッグ」という語は、CMのために後から作られたものではない。発売2週間前の報道向け資料に、スタイリングの説明としてすでに印刷されていた。先に言葉があって、それをCMが犬の姿にし、さらにレースの名前になっていく。

1みんなの写真

tt

同じ土俵に、誰がいたか。

1983年の小型ターボは、この車だけではない。前にも後ろにも、同じことを考えた会社がある。

国内で先を行っていたのは三菱で、1982年2月のミラージュII 1400ターボが1,410ccで105ps、車重820kg、118万6千円だった。小さい車をターボで武装する発想は、シティターボより半年早い。

1983年6月にはマツダがファミリアにターボを追加し、1,500ccで115ps、前席に大型バケットシートを付けたXG-Rで865kg、132万4千円になる。ここに挙げた国産の中では、出力の数字はこれがいちばん大きい。

1982〜89年、国内の小型ターボ
三菱 ミラージュII 1400ターボ(1982年2月)105ps1,410cc・820kg・118万6千円
マツダ ファミリア ターボ XG-R(1983年6月)115ps1,500cc・865kg・132万4千円
ホンダ シティ ターボII(1983年11月)110PS1,231cc・735kg・123万円
ダイハツ シャレード デ・トマソターボ(1984年)80ps993cc直3
トヨタ スターレット GPターボ(1986年1月)105PS1,295cc・790kg・129万8千円。3ドアのターボS
スズキ アルトワークス RS-X(1987年2月)64PS543cc・610kg・98万5千円。軽自動車初のツインカムターボ
日産 マーチ スーパーターボ(1989年1月)110ps930cc・770kg・115万3千円。ターボ+スーパーチャージャー
1982〜89年、国内の小型ターボ出力だけならファミリアの115psが上。アルトワークスは軽自動車初のツインカムターボにあたる。出典: トヨタ自動車75年史/日産ヘリテージコレクション/マツダ公式/三菱自動車公式/スズキ公式/モーターマガジン/webCG

その5か月後に出たのが、1,231ccで110psのシティ ターボIIだった。

そして、後発もこれに続く。1984年、ダイハツがシャレードにデ・トマソの名を冠したターボを載せる。993ccの3気筒で80ps。1989年1月には日産が、マーチ スーパーターボを出す。排気量をあえて縮めているのが面白いところで、普通の987ccから930ccへ落としてあり、日産の説明はこうである。競技に出ることを考え、ターボ係数1.4を掛けても1.6Lクラスに収まるように、通常の987ccから930ccへ思いきって縮めた。そこへスーパーチャージャーとターボチャージャーを両方載せて110ps/6,400rpm、車重770kg、115万3千円。同じページは、この種のツインチャージ・エンジンを積んだ市販車は日本でこの1台だけだった、とも書いている。1986年1月、トヨタがスターレットにGPターボを追加した。1,295ccにインタークーラーを付けて標準モード105PS。3ドアのターボSで790kg、129万8千円になる。

そして1987年2月、話が一段変わる。スズキ アルトワークス。軽自動車の枠である543ccに、3気筒DOHC12バルブとインタークーラー付きターボを詰め込んで64PS/7,500rpm。この64PSを積むRS-Xで車重610kg、98万5千円になる。軽自動車で最初のターボ車はもっと早く、1983年3月の三菱 ミニカ アミL ターボで39PS。アルトワークスのほうは、スズキの言い方では軽自動車初のツインカムターボにあたる。1Lあたりに直せば117.9馬力になる。排気量の枠も規制も違う車だが、同じ割り算に載せると、シティ ターボIIの89.4から4年でここまで数字が動いている。

海を渡ると、力の作り方が違う。

同じ頃、ヨーロッパでも小さくて速い車が次々に出ている。ただし、力の作り方が違った。

1984年3月のプジョー 205 GTIは1,580ccの自然吸気で105chを出し、1986年には1,905ccの1.9が加わって130chまで上がっており、過給機は使わず排気量で押している。

1985年春、フィアット ウーノ ターボ i.e.。1,301ccにIHI製の水冷ターボと空冷インタークーラーで105CV、845kg。0-100km/hが8.3秒、最高速200km/hとフィアットが公表している。

同じ1985年3月、アウトビアンキ Y10 ターボ。1,049ccで84CV、860kg。

1987年5月にはフォルクスワーゲンが、ポロにG40を出す。こちらはターボではなく、Gラーダーと呼ばれる渦巻き型の機械式過給器。1,272ccで115PS。当初は500台の限定で、1989年までに2,000台が作られた。

同じころ、ヨーロッパにいた車
ルノー 5 ターボII(1982年)160ch1.4Lターボ・ミッドシップ/初代のコストダウン版/ルノー公表はシリーズで160〜350hp。両シリーズ合計4,857台
プジョー 205 GTI 1.6(1984年3月)105ch1,580cc 自然吸気/伊仕様は113CV・走行状態920kg
フィアット ウーノ ターボ i.e.(1985年春)105CV1,301cc ターボ+IC/845kg(フィアット公表の空車重量)/0-100km/h 8.3秒
アウトビアンキ Y10 ターボ(1985年3月)84CV1,049cc ターボ/860kg(運転者75kg込みの走行状態重量)
プジョー 205 GTI 1.9(1986年12月)130ch1,905cc 自然吸気/伊仕様は120CV・走行状態950kg
VW ポロ G40(1987年5月)115PS1,272cc Gラーダー(機械式過給)/VW公式は触媒なしで115PS・当初500台の限定/kg/psは伊仕様の116CVで算出
同じころ、ヨーロッパにいた車プジョーは自然吸気で排気量を使い、フォルクスワーゲンは機械式の過給器を選んだ。出典: Renault Classic/Stellantis Heritage/VW Newsroom・SSP Nr.79/automobile-sportive

そして、この並びの外側にもう1台、ルノー 5 ターボIIがいる。

普通のハッチバックではない。1.4Lのターボエンジンを後席の位置へ移したミッドシップで、後輪を駆動する。競技の資格を取るために作られた車だった。ルノーが公表しているのはシリーズ全体の幅で、排気量1,397〜1,527cc、出力160〜350hp、最高速200〜223km/hとある。

名前が紛らわしいのだが、このIIは性能を上げた第2世代ではない。1980年の初代はドアなどにアルミを使い、内装も専用に起こした、作り込みすぎて高くついた車だった。そこでルノーは、速さに関係のないところを普通の5へ戻す。アルミをスチールに替え、内装は量産車の部品に置き換えた。残したのは1.4Lターボとミッドシップという中身のほうで、つまりIIはコストを削った版にあたる。ルノーが公表しているのは両シリーズ合計4,857台という数字だけで、初代とIIの内訳は出していない。

同じ1983年前後に、小さなハッチバックへ大きなフェンダーを張り出させ、名前にIIを付けた車が日仏に1台ずつあった。ただし中身は正反対になる。シティ ターボIIは前輪駆動の量産車を太らせた110馬力のホットハッチで、5 ターボIIは後席をエンジンに明け渡した160chの競技車である。

先代のシティターボの資料には、加速の値が並んでいた。1982年の「0→400m 16.3sec」「0→100km/h 8.6sec」、どちらも2名乗車時のホンダ測定値である。ところが1年後、110馬力になったターボIIの欄に並ぶのは、制動停止距離14.0mと登坂能力0.66。速くなったほうの車で、載せる数字が止まる側と登る側に入れ替わっている。

1馬力が運ぶ荷物で、並べ直す。

加速時間が揃わないなら、1馬力が何kgを運ぶかという割り算で並べるしかなく、その値は小さいほど身軽だと読める。

ホンダ シティ ターボII6.68kg/ps735kg÷110PS。空車重量日産 マーチ スーパーターボ7kg/ps770kg÷110ps。空車重量VW ポロ G407.76kg/ps900kg÷116CV。運転者75kg込みの走行状態重量プジョー 205 GTI 1.97.92kg/ps950kg÷120CV。伊仕様・運転者75kg込みの走行状態重量フィアット ウーノ ターボ i.e.8.05kg/ps845kg÷105CV。フィアット公表の空車重量プジョー 205 GTI 1.68.14kg/ps920kg÷113CV。伊仕様・運転者75kg込みの走行状態重量スズキ アルトワークス9.53kg/ps610kg÷64PS。空車重量アウトビアンキ Y10 ターボ10.24kg/ps860kg÷84CV。運転者75kg込みの走行状態重量
1馬力が、何kgを運ぶかここに並べた9台では、シティ ターボIIがいちばん身軽になる。ポロ G40とY10 ターボの2台だけ、運転者75kgを積んだ走行状態の重量で割っている。計算値(車重÷最高出力)。諸元は各社公式および専門媒体

先頭がシティ ターボIIの6.68kg/psで、735kgを110PSで割った値である。

次がマーチ スーパーターボの7.00、ウーノ ターボ i.e.が8.05、アルトワークスが9.53。ここまでが空車重量で割った値である。

ところが欧州勢は、手に入る重量が運転者75kgを積んだ走行状態のものになる車が多い。同じ物差しで揃えると、ポロ G40が7.76、205 GTI 1.9が7.92、205 GTI 1.6が8.14、ウーノが8.71、Y10 ターボが10.24。運転者ぶんだけ不利な数字である。1980年代の欧州車と日本車を並べると、こういうズレが必ず出てくる。

ここに並べた8台の中では、1983年のシティ ターボIIより身軽な車がない。6年あとのマーチ スーパーターボでも、0.3kgぶん届いていない。

スズキ アルトワークス117.9PS/L543cc・64PSルノー 5 ターボ114.5ch/L1,397cc・160chVW ポロ G4090.4PS/L1,272cc・115PSホンダ シティ ターボII89.4PS/L1,231cc・110PSフィアット ウーノ ターボ i.e.80.7hp/L1,301cc・105hpアウトビアンキ Y10 ターボ80.1CV/L1,049cc・84CVプジョー 205 GTI 1.968.2ch/L1,905cc・130ch。自然吸気プジョー 205 GTI 1.666.5ch/L1,580cc・105ch。自然吸気
排気量が大きいほど、密度は低い小さいエンジンから絞り出すという発想が、この時期の日本にどれだけ効いていたか。計算値(最高出力÷排気量)

さらに、力の作り方も並べると分かれてくる。プジョーは自然吸気の1.9Lから130chを引き出し、排気量を使って出している一方、フォルクスワーゲンは機械式の過給器で低い回転から押す。そして日本勢は、小さい排気量に過給機を付けて絞り出す側に寄っていて、1.2Lで110PS、543ccで64PSという値になる。1Lあたりの出力で見ると、マーチ スーパーターボが118.3、アルトワークスが117.9、ポロ G40が90.4、シティ ターボIIが89.4、ウーノが80.7、Y10が80.1、205 GTI 1.9に至っては68.2しかない。

排気量の大きいヨーロッパ勢のほうが、密度は低い。小さいエンジンから絞り出すという発想が、この時期の日本にどれだけ強く効いていたかが、この数字に出ている。

3つめの割り算も出しておく。1馬力あたり、いくら払ったか。発表時の東京価格で割ると、シティ ターボIIは123万円を110で割って11,182円。ミラージュが11,295円、ファミリアが11,513円、スターレットが12,362円。ここに挙げた国産の中では、これがいちばん安い馬力になる。

その記録を破るのが、やはりマーチ スーパーターボである。115万3千円を110で割ると10,482円。リッター出力でも円/馬力でも、1989年の日産がシティ ターボIIの上に出た。残ったのは1馬力あたりの重さだけで、6年前の1.2Lが、まだそこを守っている。

鈴鹿に、チョロQが来た。

発売から4か月後の1984年3月、鈴鹿サーキットに同じ顔の車が集まる。全日本F2選手権の前座という枠で、シティ ターボIIだけのレースが始まった。車両を仕立てたのは無限で、仕様はN2。翌1985年には名前が「シティ・ブルドック・レース」へ改まる。

背が高くて、ホイールベースが短くて、前輪が駆動する。サーキットでは、この素性がそのまま画になった。コーナーへ飛び込むたびに車体が大きく傾き、内側の後輪が持ち上がる。揃いのカラーリングの箱が、何台も同じ格好で曲がっていく。

そして、このレースには1/1タカラチョロQ号が出ている。ホンダ自身が、このレースについて書き残していることは多くない。舞台と、始まった時期と、そして「1/1タカラチョロQ号の参戦でも話題になった」という一行である。玩具を実車の大きさで作って、本物のサーキットへ持ち込んだ。鉄の犬のCMを流していた会社の車で、玩具の等身大が走る。1980年代のホンダとシティという車の性格が、この一件に凝縮している。

2みんなの写真

tt

1986年9月、静かに終わった。

カタログから名前が消えたのは1986年9月で、発売から3年に満たない。

シティ ターボII 発表1983年10月26日。発売は11月10日ブルドッグレース 初開催1984年3月・鈴鹿サーキットカタログ掲載の終了1986年9月2代目シティ 登場1986年10月31日。トールボーイをやめた
ブルドッグの、3年に満たない生涯背の高い箱と、あの顔と、外して持ち出せる後席は、1代限りで終わった。出典: Honda オートアーカイブ/ニュースリリース

1986年10月31日、シティは2代目へ移り、全高1,470mmが1,335mmへ、135mm低くなった。Honda自身の書き方は「ロー&ワイド」で、走り出そうとするランナーに喩えたクラウチングフォルムという造語まで用意されている。背を高くして床を広く使う、という初代の考え方がここで降ろされ、トールボーイは1代限りで終わっている。

シティシリーズが積み上げた台数
昭和56年10〜12月15,745台初代シティ発売から3か月
昭和57年 1〜12月123,492台9月にシティターボが加わる
昭和58年 1〜9月80,554台ターボII発表の前月まで
累計219,791台1983年9月時点
シティシリーズが積み上げた台数ターボIIが出る前月までに、シティは22万台近く街へ出ていた。出典: Honda プレスインフォメーション ci83-015

売れなかったわけではない。シティシリーズは1981年11月11日の発売から1983年9月までに累計219,791台。ターボIIの販売計画は月間3,000台で、初代シティの登場時の計画が月間8,000台だったから、上級版1タイプでその4割近くを見込んでいたことになる。

終わってからのほうが、この車は長く語られた。レースの映像が残り、現存車の記事が出続け、そして呼び名だけが残っていく。ブルドッグ。メーカーが資料に書き、CMが犬の姿にし、レースの名前になったその語が、40年後まで生き延びた。

6年後、過給をやめた。

1,231ccから110馬力で、1Lあたりに直すと89.4馬力になる。1983年の時点で、これは過給機を使ってようやく届く数字だった。

その6年後、ホンダは同じ密度を過給機なしで出してくる。

1989年4月に出たホンダの2代目インテグラは、1,595ccのB16A型で160PS/7,600rpm、1Lあたりちょうど100馬力に届いていた。ニュースリリースの表題が、そのまま宣言になっている——「NA(自然吸気)エンジンでリッターあたり100馬力を実現した世界初の新型エンジンを搭載」。

1983 シティ ターボII(ER・ターボ)89.4PS/L1,231cc・110PS。計算値1989 インテグラ(B16A・自然吸気)100PS/L1,595cc・160PS/7,600rpm1991 ビート(E07A・自然吸気)97.6PS/L656cc・64PS/8,100rpm。計算値1995 インテグラ タイプR(B18C)111PS/L1,797cc・200PS/8,000rpm1997 シビック タイプR(B16B)116PS/L1,595cc・185PS/8,200rpm1999 S2000(F20C)125PS/L1,997cc・250PS/8,300rpm
1Lから取り出す馬力の、16年1983年のターボが届いた89.4PS/Lを、6年後には過給機なしで超えていく。出典: Honda ニュースリリース/Honda公式テクノロジー

積まれていたのがVTECだった。カム軸に並ぶ山を、吸気側3個、排気側3個に増やす。「中央を高速用カム、両脇を低速用カム」として、それぞれ違う形を持たせておく。低い回転では両脇の小さい山だけでバルブを開け、中央の大きい山は空振りさせておく。回転が上がったら油圧でピンを差し込み、3つを1つに束ねて中央の山につなぐ。エンジン回転速度・負荷・車速をECUが読んで、切り替える瞬間を決めていた。

そしてホンダは、この機構をわざわざターボとの対比で説明していた。

「VTECの採用により、B16A型はターボチャージャーなどの過給器付きエンジンでは実現しにくい自然吸気エンジンならではのシャープなレスポンスを発揮しながら、リッターあたり100psとなる最高出力160psのハイパワーを達成した。」

過給機では出せない応答の速さ、という言い方である。6年前、同じ会社が1.2Lに過給機を付けて「極限に挑んだ」と書いていた。その会社が、今度は過給機を外したまま同じ密度を超えていくことになる。

そこからの伸び方が速い。1995年のホンダ インテグラ タイプRはB18C型で111PS/L、1997年のシビック タイプRはB16B型で116PS/Lと上がり、1999年のS2000ではF20C型が125PS/Lに届いた。2Lの自然吸気から250PS/8,300rpm、最大回転数9,000rpm、最大トルク22.2kgm/7,500rpmで、ホンダの書き方では「2リッター4気筒自然吸気では世界トップレベルの高性能」になる。

なお、1990年にはNSXが出る。3LのV6を横に積んだミッドシップで、280PS。そして「量産車として世界初のオールアルミ・モノコックボディ」。ホワイトボディが210kg、スチール製に比べて140kg軽い。ホンダの計算では、車全体で約200kgの軽量化が「馬力換算で40ps」にあたるという。

シティ ターボII以降の、主な高性能車
1989 インテグラ XSi160PSB16A 1,595cc/7,600rpm/161万5千円
1989 CR-X SiR160PSB16A 1,595cc/7,600rpm/154万7千円/195/60R14
1990 NSX280PSC30A 2,977cc/7,300rpm/1,350kg/800万円
1991 ビート64PSE07A 656cc/8,100rpm/760kg/138万8千円
1991 プレリュード Si VTEC200PSH22A 2,156cc/6,800rpm/圧縮比10.6/220万5千円
1995 インテグラ タイプR200PSB18C 1,797cc/8,000rpm/1,060kg/222万8千円
1997 シビック タイプR185PSB16B 1,595cc/8,200rpm/1,040kg/199万8千円
1999 S2000250PSF20C 1,997cc/8,300rpm/1,240kg/338万円
シティ ターボII以降の、主な高性能車軽くして、回して、密度を上げる。やっていることの筋は変わっていない。出典: Honda ニュースリリース/Honda公式テクノロジー

つまり、軽くして、回して、密度を上げるという順序である。735kgの車体に1,231ccで110馬力を積んだ1983年から、やっていることの筋は変わっていない。変わったのは、そのために何を使うかだけだった。

ついでに書いておくと、遊び心のほうも途切れていない。1991年5月、ビート。656ccのミッドシップに2座のオープンボディで、64PS/8,100rpm、車重760kgで、リッターあたりに直せば97.6馬力になる。「軽乗用車初の2シーター・ミッドシップ オープンカー」という表題で出てきた。トランクに積むバイクを同時開発した会社が、10年後には軽自動車をミッドシップにしている。

40年後、同じ顔が出てきた。

2025年のジャパンモビリティショーに、ホンダはSuper-ONEというEVのプロトタイプを出した。低く構えた車体の四隅に、四角く張り出したフェンダーが付いている。見た人たちは、すぐにシティ ターボIIの名前を出したという。

ホンダ シティ ターボII と Super-ONE(1983年/2026年)
シティ ターボII 発表日1983年10月26日
シティ ターボII 発売日1983年11月10日
シティ ターボII 新車価格123万円
総排気量1,231cc初代シティから増えていない
最高出力110PS
最大トルク16.3kg-m3,000rpm
圧縮比7.6
過給圧0.85kg/cm2
初代シティターボの過給圧0.75kg/cm2
初代シティターボの最高出力100PS
初代シティの最高出力67馬力過給機なし
車両重量735kg
パワーウェイトレシオ6.68kg/PS
全長3,420mm
全幅1,625mm
ホイールベース2,220mm
タイヤ標準車は145R12
最小回転半径4.6m
制動停止距離14m初速50km/h
10モード燃費17.6km/L運輸省審査値
初代シティ 発表1981年10月29日
初代シティターボ 発表1982年9月20日
シティ ターボII 生産終了1986年9月
シティシリーズ累計台数219,791台1981年10月〜1983年9月
ブルドッグレース 開始1984年3月・鈴鹿サーキット
2代目シティ 発表1986年10月31日
Super-ONE プロトタイプ出展2025年
Super-ONE 発売日2026年5月22日
Super-ONE 価格3,390,200円
Super-ONE 最高出力(通常)47kW
Super-ONE 最高出力(BOOST)70kW
Super-ONE 仮想ギア段数7段
ホンダ シティ ターボII と Super-ONE(1983年/2026年)43年あいだが空いて、同じ名前の顔が戻ってきた。片方は1,231ccの実用車、もう片方は電気で走る。ホンダ公式(プレスインフォメーション1983年10月26日/シティのあゆみ/Super-ONE 商品情報)

ホンダ自身も「シティ・ターボIIの再来と囁かれてきた一台」と書いていて、理由として挙げられているのが2つある。ひとつは「ロー&ワイドスタンスを際立たせるブリスターフェンダーは、シティ・ターボIIのダイナミック・フェンダーを思わせる」。もうひとつが「Hondaが考えるFUNなEVというSuper-ONEの位置付け」で、「シティ・ターボIIもHondaの小型でFUNなクルマという考えから生まれた」。

面白いのは、デザイナーが何を見て描き始めたかである。最初のラフスケッチは「四角く横に張り出したフェンダーが特徴的なシティ・ターボIIを彷彿とさせるフォルム」だった。ところがそれでは新しさが出ない。そこで狙いを定め直す。「シティ・ターボIIを知る50代の世代と、その子どもである20歳前後の若い世代の両方に共感されるデザイン」。

純正パーツを作るホンダアクセスは、もっと直接的だった。何から手を付けるべきか分からず戸惑っていた開発チームが、ヒントを求めて「シティやシティ・ターボIIのアクセサリーカタログをひもといてみた」という。そこに並んでいたのは、どれも遊びゴコロにあふれたアイテムで、当時の開発陣が「自由な発想で、そして心から楽しみながらモノづくりに向き合っていたことが伝わってきた」。

そこで決まったコンセプトが REIWA BULLDOG で、できあがった一式の名前が BULLDOG STYLE である。中身は4点で、LEDフォグライト(バイカラー)、デカール BULLDOG、テールゲートスポイラー、ブラックエンブレム。フォグライトは当初、シティ ターボIIへのオマージュとして四角い形が検討されたが、現物に付けるとしっくりこない。そこで丸型にして、イエローとクリアを切り替えられる仕様にした。イエローはシティ ターボIIから、クリアはEVの現在から。

Super-ONEは2026年5月22日に発売された。3,390,200円。専用のBOOSTモードを押すと、最高出力が47kWから70kWへ上がる。

押している間だけ力が出る、という作りではない。だが7段の疑似変速と、アクセルに合わせて鳴る音が付いている。40年前に10秒間だけ鎖を外した会社が、EVでは、変速する感覚と音を作り直した。

鉄の犬は、まだ走っている。

1983年に流れたCMで、鉄の鎧をまとった犬がこちらへ走ってきた。描いたのは、『AKIRA』を世に出す前の大友克洋である。その車は3年たらずで姿を消し、2代目シティは背を135mm下げて、高い箱をやめた。それでも、ブルドッグという呼び名は残った。

40年後、同じホンダが出したEVのアクセサリーに BULLDOG STYLE という名前が付く。コンセプトは REIWA BULLDOG。開発チームは当時のカタログを開き、そこに並んでいた遊びゴコロから発想を始めたという。

狙ったのは、シティ ターボIIを知る50代と、その子どもである20歳前後が、同じ一台を見て同じように面白がること。1,231ccから110馬力を絞り出した会社が、40年後、今度はEVでブルドッグを復活させた。エンジンはなくなっても、ブルドッグは死なない。

あなたの夢中に追加

「あなたの夢中」は、DUADに登録すると使えます。入れた記事は、メニューの「あなたの夢中」からいつでも読み返せます。

パスワードはありません。メールアドレスを入れると、ログイン用のリンクが届きます。

登録する

もう一度読みたい記事を、あなたの夢中に。

この記事の夢中ポイント

  • 先代のシティターボには0-100km/h 8.6秒が公表されている。ところが速くなったターボIIの資料からは、加速の欄がまるごと消えている。
  • CMの鉄の犬を描いたのは『AKIRA』発表前の大友克洋。音楽は井上鑑で、その企画は社内で3度はねられていた。
  • 同じころ欧州にいた車と並べると、車重の物差しが揃わない。運転者75kgを積んだ値が混ざるので、そこは分けて出している。
  • 6年後、ホンダは過給をやめて同じ出力密度を超えていく。そして40年後、EVに付ける純正パーツの名前として、ブルドッグが戻ってきた。

最終更新 2026年10月28日

FROM DUADISTS

この記事は、DUADISTから届いた写真と言葉で更新しています。

みんなの写真

DUAD SELECT

この記事を読んで気になったものを、編集部の視点で選びました。

  • ホンダ 第2期F1活動の記録

    RA163Eの1983年シーズンを追うと、カタログに二度書かれた名前がどういう状態だったかが分かる。

    Amazonで見る
  • 80年代ホンダ 車種別総覧

    同じ年に出たCR-Xとワンダーシビックの諸元を並べれば、110馬力が二度出たことの意味が見える。

    Amazonで見る
  • 昭和・平成 物価の文化史

    初任給132,200円が何を買えた年だったかを、他の品目と並べて確かめられる。

    Amazonで見る
  • 1980年代 自動車広告集

    当時どう売られていたかは、諸元表より広告のほうに出る。

    Amazonで見る

※広告(アフィリエイトリンク)を含みます。価格・在庫は変動します。最新の情報は各販売ページでご確認ください。

みんなの写真が記事になる

この記事のテーマにまつわるものを撮影して、写真を投稿してください。編集部で確認のうえ、この記事に掲載します。

※投稿しただけでは公開されません。写真の位置情報は保存時に削除します。

写真

SNSアカウント(任意)

入れていただいた媒体では、DUADの投稿で @ を付けてご紹介します。空欄の媒体は、掲載名でご紹介します。

確認事項

みんなの言葉が記事になる

この記事を読んで気づいたこと、違うと思ったこと、実際に使用してわかったこと。あなたの言葉を聞かせてください。編集部で確認のうえ、採用した投稿をこの記事に掲載します。

※すべての投稿が掲載されるわけではありません。採用した投稿は、編集部で読みやすく整え、投稿名とともに掲載します。掲載時にはDUAD POINTを差し上げます(1記事につき1回)。

表示しない場合は「あるDUADIST」として掲載します。投稿名はマイページで変更できます。

DUAD CLUB

夢中の続きを、みんなで。

かつて夢中になったもの。

いまも追い続けているもの。

これから、もう一度始めたいこと。

DUAD CLUBは、同じ時代を生き、同じ熱を持つ人たちが集まるオンラインコミュニティです。

記事では伝えきれなかった話や、入手経路、実物を使った検証など、一人ではたどり着けない「夢中の先」を、仲間と一緒に深掘りしていきます。

  • 会員限定の記事・資料
  • 月1回のオンライン集会
  • 愛用品やコレクションの売買・譲渡掲示板
  • 取材・撮影に使用する実物や資料の情報交換

現在、開設に向けて準備中です。開始時期や参加方法を、メールでいち早くお知らせします。

参考資料・出典

本記事は、メーカー公式資料、公的統計・資料、当時のカタログ、専門媒体等を参照し、DUAD編集部が内容を確認・構成しています。ここに挙げるのは、本文の数値・年月日の根拠として実際に使った資料です。

最終閲覧日:2026年9月10日

夢中の続きを、届けます。

新しい記事が出たときにお知らせします。

いつでも配信停止できます。