鉄の鎧を着た犬が、走ってきた。
初代シティのCMを覚えている人は多い。「シティは、ニュースにあふれてる。」というコピーで、イギリスのネオ・スカバンド、マッドネスが画面に出てきた。曲に合わせてメンバーが横一列に並んで足を送るその動きはムカデダンスと呼ばれ、1981年の日本のテレビには、あれが毎晩流れていた。
誤解されやすいが、彼らは無名の新人ではない。1979年11月に英国のアルバムチャートへ入った『One Step Beyond...』は最高2位まで上がり、シティが出た1981年にもチャートに戻ってきている。本国では、とっくに売れていた。ホンダ側の記録にあるのは「日本では全くメジャーではなかったが、その特異さと新しさに引かれて採用を決めた」という一行で、つまり向こうで当たっている人を、日本で広まる前に連れてきたことになる。
その企画は、社内で3度はねられている。「あんた、何考えてるんだ!」。3度目のとき、見るのを渋る担当役員を背後から抱えて画面の前に座らせた広告担当は、こう訴えたという。「若い人は、いいと言ってくれてます。年寄りは駄目と言ってます。若者の2、3割の共感を得られれば、このクルマの目的は達成されます。」返ってきたのが「そうか、分かった。私が責任を持つからやりなさい」だった。
通ってからは早く、呼び寄せてから滞在4日、実質2日半で録音もスチールもCFも撮り終えている。流れたあとに起きたことは、ホンダ自身がこう書き残した。「学園祭やパーティーなど、日本中でムカデダンスと『ホンダ、ホンダ、ホンダ』のメロディーが流行をみせた。」当時のホンダは年間30万台の壁を破れずにいて、あの掛け声には社内を元気づける意味も込められていたという。
その2年後、同じシティの上級版で、ホンダは犬を出す。
画面に現れるのは、鉄の鎧をまとったようなブルドッグ。生き物というより機械に近い造形で、その顔つきが車の前から見た姿とそのまま重なる。このキャラクターをデザインしたのは、ホンダの書き方をそのまま借りれば「『AKIRA』発表前の、大友克洋氏だった」。連載が始まったのが1982年、映画の公開は1988年である。つまり世界的に知られるより前の大友が、1.2Lのターボ車のCMのために犬を描いていたことになる。
そして音を付けたのが、井上鑑だった。寺尾聰の「ルビーの指環」を編曲した、あの井上鑑である。企画演出は李泰栄、美術は桝岡秀樹と大友克洋の連名。このフィルムは「ブルドッグ出現」という題で残っていて、第24回ACC CMフェスティバルの秀作賞を受けている。
2本並べると配役の付け方が一貫していて、初代がイギリスのスカバンド、上級版が漫画家と編曲家である。売れているかどうかではなく、日本の茶の間でまだ見慣れていないかどうかで選んでいる。それを1.2Lの実用車のCMでやっていた。
そして「ブルドッグ」という語は、CMのために後から作られたものではない。発売2週間前の報道向け資料に、スタイリングの説明としてすでに印刷されていた。先に言葉があって、それをCMが犬の姿にし、さらにレースの名前になっていく。
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同じ土俵に、誰がいたか。
1983年の小型ターボは、この車だけではない。前にも後ろにも、同じことを考えた会社がある。
国内で先を行っていたのは三菱で、1982年2月のミラージュII 1400ターボが1,410ccで105ps、車重820kg、118万6千円だった。小さい車をターボで武装する発想は、シティターボより半年早い。
1983年6月にはマツダがファミリアにターボを追加し、1,500ccで115ps、前席に大型バケットシートを付けたXG-Rで865kg、132万4千円になる。ここに挙げた国産の中では、出力の数字はこれがいちばん大きい。
| 三菱 ミラージュII 1400ターボ(1982年2月) | 105ps | 1,410cc・820kg・118万6千円 |
|---|---|---|
| マツダ ファミリア ターボ XG-R(1983年6月) | 115ps | 1,500cc・865kg・132万4千円 |
| ホンダ シティ ターボII(1983年11月) | 110PS | 1,231cc・735kg・123万円 |
| ダイハツ シャレード デ・トマソターボ(1984年) | 80ps | 993cc直3 |
| トヨタ スターレット GPターボ(1986年1月) | 105PS | 1,295cc・790kg・129万8千円。3ドアのターボS |
| スズキ アルトワークス RS-X(1987年2月) | 64PS | 543cc・610kg・98万5千円。軽自動車初のツインカムターボ |
| 日産 マーチ スーパーターボ(1989年1月) | 110ps | 930cc・770kg・115万3千円。ターボ+スーパーチャージャー |
その5か月後に出たのが、1,231ccで110psのシティ ターボIIだった。
そして、後発もこれに続く。1984年、ダイハツがシャレードにデ・トマソの名を冠したターボを載せる。993ccの3気筒で80ps。1989年1月には日産が、マーチ スーパーターボを出す。排気量をあえて縮めているのが面白いところで、普通の987ccから930ccへ落としてあり、日産の説明はこうである。競技に出ることを考え、ターボ係数1.4を掛けても1.6Lクラスに収まるように、通常の987ccから930ccへ思いきって縮めた。そこへスーパーチャージャーとターボチャージャーを両方載せて110ps/6,400rpm、車重770kg、115万3千円。同じページは、この種のツインチャージ・エンジンを積んだ市販車は日本でこの1台だけだった、とも書いている。1986年1月、トヨタがスターレットにGPターボを追加した。1,295ccにインタークーラーを付けて標準モード105PS。3ドアのターボSで790kg、129万8千円になる。
そして1987年2月、話が一段変わる。スズキ アルトワークス。軽自動車の枠である543ccに、3気筒DOHC12バルブとインタークーラー付きターボを詰め込んで64PS/7,500rpm。この64PSを積むRS-Xで車重610kg、98万5千円になる。軽自動車で最初のターボ車はもっと早く、1983年3月の三菱 ミニカ アミL ターボで39PS。アルトワークスのほうは、スズキの言い方では軽自動車初のツインカムターボにあたる。1Lあたりに直せば117.9馬力になる。排気量の枠も規制も違う車だが、同じ割り算に載せると、シティ ターボIIの89.4から4年でここまで数字が動いている。
海を渡ると、力の作り方が違う。
同じ頃、ヨーロッパでも小さくて速い車が次々に出ている。ただし、力の作り方が違った。
1984年3月のプジョー 205 GTIは1,580ccの自然吸気で105chを出し、1986年には1,905ccの1.9が加わって130chまで上がっており、過給機は使わず排気量で押している。
1985年春、フィアット ウーノ ターボ i.e.。1,301ccにIHI製の水冷ターボと空冷インタークーラーで105CV、845kg。0-100km/hが8.3秒、最高速200km/hとフィアットが公表している。
同じ1985年3月、アウトビアンキ Y10 ターボ。1,049ccで84CV、860kg。
1987年5月にはフォルクスワーゲンが、ポロにG40を出す。こちらはターボではなく、Gラーダーと呼ばれる渦巻き型の機械式過給器。1,272ccで115PS。当初は500台の限定で、1989年までに2,000台が作られた。
| ルノー 5 ターボII(1982年) | 160ch | 1.4Lターボ・ミッドシップ/初代のコストダウン版/ルノー公表はシリーズで160〜350hp。両シリーズ合計4,857台 |
|---|---|---|
| プジョー 205 GTI 1.6(1984年3月) | 105ch | 1,580cc 自然吸気/伊仕様は113CV・走行状態920kg |
| フィアット ウーノ ターボ i.e.(1985年春) | 105CV | 1,301cc ターボ+IC/845kg(フィアット公表の空車重量)/0-100km/h 8.3秒 |
| アウトビアンキ Y10 ターボ(1985年3月) | 84CV | 1,049cc ターボ/860kg(運転者75kg込みの走行状態重量) |
| プジョー 205 GTI 1.9(1986年12月) | 130ch | 1,905cc 自然吸気/伊仕様は120CV・走行状態950kg |
| VW ポロ G40(1987年5月) | 115PS | 1,272cc Gラーダー(機械式過給)/VW公式は触媒なしで115PS・当初500台の限定/kg/psは伊仕様の116CVで算出 |
そして、この並びの外側にもう1台、ルノー 5 ターボIIがいる。
普通のハッチバックではない。1.4Lのターボエンジンを後席の位置へ移したミッドシップで、後輪を駆動する。競技の資格を取るために作られた車だった。ルノーが公表しているのはシリーズ全体の幅で、排気量1,397〜1,527cc、出力160〜350hp、最高速200〜223km/hとある。
名前が紛らわしいのだが、このIIは性能を上げた第2世代ではない。1980年の初代はドアなどにアルミを使い、内装も専用に起こした、作り込みすぎて高くついた車だった。そこでルノーは、速さに関係のないところを普通の5へ戻す。アルミをスチールに替え、内装は量産車の部品に置き換えた。残したのは1.4Lターボとミッドシップという中身のほうで、つまりIIはコストを削った版にあたる。ルノーが公表しているのは両シリーズ合計4,857台という数字だけで、初代とIIの内訳は出していない。
同じ1983年前後に、小さなハッチバックへ大きなフェンダーを張り出させ、名前にIIを付けた車が日仏に1台ずつあった。ただし中身は正反対になる。シティ ターボIIは前輪駆動の量産車を太らせた110馬力のホットハッチで、5 ターボIIは後席をエンジンに明け渡した160chの競技車である。
先代のシティターボの資料には、加速の値が並んでいた。1982年の「0→400m 16.3sec」「0→100km/h 8.6sec」、どちらも2名乗車時のホンダ測定値である。ところが1年後、110馬力になったターボIIの欄に並ぶのは、制動停止距離14.0mと登坂能力0.66。速くなったほうの車で、載せる数字が止まる側と登る側に入れ替わっている。
1馬力が運ぶ荷物で、並べ直す。
加速時間が揃わないなら、1馬力が何kgを運ぶかという割り算で並べるしかなく、その値は小さいほど身軽だと読める。
先頭がシティ ターボIIの6.68kg/psで、735kgを110PSで割った値である。
次がマーチ スーパーターボの7.00、ウーノ ターボ i.e.が8.05、アルトワークスが9.53。ここまでが空車重量で割った値である。
ところが欧州勢は、手に入る重量が運転者75kgを積んだ走行状態のものになる車が多い。同じ物差しで揃えると、ポロ G40が7.76、205 GTI 1.9が7.92、205 GTI 1.6が8.14、ウーノが8.71、Y10 ターボが10.24。運転者ぶんだけ不利な数字である。1980年代の欧州車と日本車を並べると、こういうズレが必ず出てくる。
ここに並べた8台の中では、1983年のシティ ターボIIより身軽な車がない。6年あとのマーチ スーパーターボでも、0.3kgぶん届いていない。
さらに、力の作り方も並べると分かれてくる。プジョーは自然吸気の1.9Lから130chを引き出し、排気量を使って出している一方、フォルクスワーゲンは機械式の過給器で低い回転から押す。そして日本勢は、小さい排気量に過給機を付けて絞り出す側に寄っていて、1.2Lで110PS、543ccで64PSという値になる。1Lあたりの出力で見ると、マーチ スーパーターボが118.3、アルトワークスが117.9、ポロ G40が90.4、シティ ターボIIが89.4、ウーノが80.7、Y10が80.1、205 GTI 1.9に至っては68.2しかない。
排気量の大きいヨーロッパ勢のほうが、密度は低い。小さいエンジンから絞り出すという発想が、この時期の日本にどれだけ強く効いていたかが、この数字に出ている。
3つめの割り算も出しておく。1馬力あたり、いくら払ったか。発表時の東京価格で割ると、シティ ターボIIは123万円を110で割って11,182円。ミラージュが11,295円、ファミリアが11,513円、スターレットが12,362円。ここに挙げた国産の中では、これがいちばん安い馬力になる。
その記録を破るのが、やはりマーチ スーパーターボである。115万3千円を110で割ると10,482円。リッター出力でも円/馬力でも、1989年の日産がシティ ターボIIの上に出た。残ったのは1馬力あたりの重さだけで、6年前の1.2Lが、まだそこを守っている。
鈴鹿に、チョロQが来た。
発売から4か月後の1984年3月、鈴鹿サーキットに同じ顔の車が集まる。全日本F2選手権の前座という枠で、シティ ターボIIだけのレースが始まった。車両を仕立てたのは無限で、仕様はN2。翌1985年には名前が「シティ・ブルドック・レース」へ改まる。
背が高くて、ホイールベースが短くて、前輪が駆動する。サーキットでは、この素性がそのまま画になった。コーナーへ飛び込むたびに車体が大きく傾き、内側の後輪が持ち上がる。揃いのカラーリングの箱が、何台も同じ格好で曲がっていく。
1,723cc
レース車両の最大排気量
ボアを広げて1,723ccまで拡大し、138psまで持ち上げた個体が残っている。1,231ccから500cc近く太った。
そして、このレースには1/1タカラチョロQ号が出ている。ホンダ自身が、このレースについて書き残していることは多くない。舞台と、始まった時期と、そして「1/1タカラチョロQ号の参戦でも話題になった」という一行である。玩具を実車の大きさで作って、本物のサーキットへ持ち込んだ。鉄の犬のCMを流していた会社の車で、玩具の等身大が走る。1980年代のホンダとシティという車の性格が、この一件に凝縮している。
TIPS
ジャンプの中でも、ブルドッグは走っていた。
『よろしくメカドック』。次原隆二が週刊少年ジャンプで1982年から連載し、1984年9月から1985年3月までタツノコプロがアニメ化した。全30話。タツノコプロ自身が「本格派カーアニメの元祖」と書き、「車種によるエンジン音の違いにまでこだわった」という。その作中でシティ ターボIIに乗るのが、「いっつぁん」こと中村一路。メカドックの経理担当で、登場シーンの7割以上はタバコをくわえているという役どころだった。そのいっつぁんが、東日本サーキット編でレースに出る。発売から1年も経たないうちに、この車は少年誌のページの中を走っていたことになる。
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1986年9月、静かに終わった。
カタログから名前が消えたのは1986年9月で、発売から3年に満たない。
1986年10月31日、シティは2代目へ移り、全高1,470mmが1,335mmへ、135mm低くなった。Honda自身の書き方は「ロー&ワイド」で、走り出そうとするランナーに喩えたクラウチングフォルムという造語まで用意されている。背を高くして床を広く使う、という初代の考え方がここで降ろされ、トールボーイは1代限りで終わっている。
| 昭和56年10〜12月 | 15,745台 | 初代シティ発売から3か月 |
|---|---|---|
| 昭和57年 1〜12月 | 123,492台 | 9月にシティターボが加わる |
| 昭和58年 1〜9月 | 80,554台 | ターボII発表の前月まで |
| 累計 | 219,791台 | 1983年9月時点 |
売れなかったわけではない。シティシリーズは1981年11月11日の発売から1983年9月までに累計219,791台。ターボIIの販売計画は月間3,000台で、初代シティの登場時の計画が月間8,000台だったから、上級版1タイプでその4割近くを見込んでいたことになる。
TIPS
屋根が10cm伸び、屋根が消えた。
同じ売り場に、真逆の屋根が並んでいた。ひとつが1982年11月のRタイプ ハイルーフ仕様車で、車高を10cm上げて1,570mmにしている。全幅も1,570mmだから、正面から見ると正方形になる。Hondaのアーカイブに残るグレード名は「R MANHATTAN ROOF」。もうひとつが1984年8月発売のシティ・カブリオレで、こちらは屋根を取り払った。ボディの基本構造とソフトトップの設計はピニンファリーナに依頼していて、Honda自身がその代表作としてフェラーリ308を挙げている。正方形と、フルオープンと、ブルドッグ。1984年のシティは乗用6タイプと商用2タイプの8タイプ構成で、その全部が1冊のカタログに載っていた。そして3台とも、1986年9月に一緒に消えている。
終わってからのほうが、この車は長く語られた。レースの映像が残り、現存車の記事が出続け、そして呼び名だけが残っていく。ブルドッグ。メーカーが資料に書き、CMが犬の姿にし、レースの名前になったその語が、40年後まで生き延びた。
DUAD SELECT
あの頃の値段を、確かめる。
123万円が初任給9.3か月分だった時代の物価は、いまの感覚では掴みにくい。年表形式でまとめた本や、当時の広告を集めた資料なら、給料と物の値段が並んで載っている。
6年後、過給をやめた。
1,231ccから110馬力で、1Lあたりに直すと89.4馬力になる。1983年の時点で、これは過給機を使ってようやく届く数字だった。
その6年後、ホンダは同じ密度を過給機なしで出してくる。
1989年4月に出たホンダの2代目インテグラは、1,595ccのB16A型で160PS/7,600rpm、1Lあたりちょうど100馬力に届いていた。ニュースリリースの表題が、そのまま宣言になっている——「NA(自然吸気)エンジンでリッターあたり100馬力を実現した世界初の新型エンジンを搭載」。
積まれていたのがVTECだった。カム軸に並ぶ山を、吸気側3個、排気側3個に増やす。「中央を高速用カム、両脇を低速用カム」として、それぞれ違う形を持たせておく。低い回転では両脇の小さい山だけでバルブを開け、中央の大きい山は空振りさせておく。回転が上がったら油圧でピンを差し込み、3つを1つに束ねて中央の山につなぐ。エンジン回転速度・負荷・車速をECUが読んで、切り替える瞬間を決めていた。
そしてホンダは、この機構をわざわざターボとの対比で説明していた。
100馬力/L
過給をやめて届いた密度
1,595ccのB16A型で160PS。過給機を付けた1,231ccが110馬力だった6年後に、自然吸気で1Lあたり100馬力へ届いている。
「VTECの採用により、B16A型はターボチャージャーなどの過給器付きエンジンでは実現しにくい自然吸気エンジンならではのシャープなレスポンスを発揮しながら、リッターあたり100psとなる最高出力160psのハイパワーを達成した。」
過給機では出せない応答の速さ、という言い方である。6年前、同じ会社が1.2Lに過給機を付けて「極限に挑んだ」と書いていた。その会社が、今度は過給機を外したまま同じ密度を超えていくことになる。
そこからの伸び方が速い。1995年のホンダ インテグラ タイプRはB18C型で111PS/L、1997年のシビック タイプRはB16B型で116PS/Lと上がり、1999年のS2000ではF20C型が125PS/Lに届いた。2Lの自然吸気から250PS/8,300rpm、最大回転数9,000rpm、最大トルク22.2kgm/7,500rpmで、ホンダの書き方では「2リッター4気筒自然吸気では世界トップレベルの高性能」になる。
なお、1990年にはNSXが出る。3LのV6を横に積んだミッドシップで、280PS。そして「量産車として世界初のオールアルミ・モノコックボディ」。ホワイトボディが210kg、スチール製に比べて140kg軽い。ホンダの計算では、車全体で約200kgの軽量化が「馬力換算で40ps」にあたるという。
| 1989 インテグラ XSi | 160PS | B16A 1,595cc/7,600rpm/161万5千円 |
|---|---|---|
| 1989 CR-X SiR | 160PS | B16A 1,595cc/7,600rpm/154万7千円/195/60R14 |
| 1990 NSX | 280PS | C30A 2,977cc/7,300rpm/1,350kg/800万円 |
| 1991 ビート | 64PS | E07A 656cc/8,100rpm/760kg/138万8千円 |
| 1991 プレリュード Si VTEC | 200PS | H22A 2,156cc/6,800rpm/圧縮比10.6/220万5千円 |
| 1995 インテグラ タイプR | 200PS | B18C 1,797cc/8,000rpm/1,060kg/222万8千円 |
| 1997 シビック タイプR | 185PS | B16B 1,595cc/8,200rpm/1,040kg/199万8千円 |
| 1999 S2000 | 250PS | F20C 1,997cc/8,300rpm/1,240kg/338万円 |
つまり、軽くして、回して、密度を上げるという順序である。735kgの車体に1,231ccで110馬力を積んだ1983年から、やっていることの筋は変わっていない。変わったのは、そのために何を使うかだけだった。
ついでに書いておくと、遊び心のほうも途切れていない。1991年5月、ビート。656ccのミッドシップに2座のオープンボディで、64PS/8,100rpm、車重760kgで、リッターあたりに直せば97.6馬力になる。「軽乗用車初の2シーター・ミッドシップ オープンカー」という表題で出てきた。トランクに積むバイクを同時開発した会社が、10年後には軽自動車をミッドシップにしている。
40年後、同じ顔が出てきた。
2025年のジャパンモビリティショーに、ホンダはSuper-ONEというEVのプロトタイプを出した。低く構えた車体の四隅に、四角く張り出したフェンダーが付いている。見た人たちは、すぐにシティ ターボIIの名前を出したという。
| シティ ターボII 発表日 | 1983年 | 10月26日 |
|---|---|---|
| シティ ターボII 発売日 | 1983年 | 11月10日 |
| シティ ターボII 新車価格 | 123万円 | |
| 総排気量 | 1,231cc | 初代シティから増えていない |
| 最高出力 | 110PS | |
| 最大トルク | 16.3kg-m | 3,000rpm |
| 圧縮比 | 7.6 | |
| 過給圧 | 0.85kg/cm2 | |
| 初代シティターボの過給圧 | 0.75kg/cm2 | |
| 初代シティターボの最高出力 | 100PS | |
| 初代シティの最高出力 | 67馬力 | 過給機なし |
| 車両重量 | 735kg | |
| パワーウェイトレシオ | 6.68kg/PS | |
| 全長 | 3,420mm | |
| 全幅 | 1,625mm | |
| ホイールベース | 2,220mm | |
| タイヤ | 標準車は145R12 | |
| 最小回転半径 | 4.6m | |
| 制動停止距離 | 14m | 初速50km/h |
| 10モード燃費 | 17.6km/L | 運輸省審査値 |
| 初代シティ 発表 | 1981年 | 10月29日 |
| 初代シティターボ 発表 | 1982年 | 9月20日 |
| シティ ターボII 生産終了 | 1986年 | 9月 |
| シティシリーズ累計台数 | 219,791台 | 1981年10月〜1983年9月 |
| ブルドッグレース 開始 | 1984年 | 3月・鈴鹿サーキット |
| 2代目シティ 発表 | 1986年 | 10月31日 |
| Super-ONE プロトタイプ出展 | 2025年 | |
| Super-ONE 発売日 | 2026年 | 5月22日 |
| Super-ONE 価格 | 3,390,200円 | |
| Super-ONE 最高出力(通常) | 47kW | |
| Super-ONE 最高出力(BOOST) | 70kW | |
| Super-ONE 仮想ギア段数 | 7段 | |
ホンダ自身も「シティ・ターボIIの再来と囁かれてきた一台」と書いていて、理由として挙げられているのが2つある。ひとつは「ロー&ワイドスタンスを際立たせるブリスターフェンダーは、シティ・ターボIIのダイナミック・フェンダーを思わせる」。もうひとつが「Hondaが考えるFUNなEVというSuper-ONEの位置付け」で、「シティ・ターボIIもHondaの小型でFUNなクルマという考えから生まれた」。
TIPS
褒めたのは、誰だったか。
資料の後ろに受賞歴が並んでいる。顔ぶれのほうが面白い。モーターマガジン社のワールド・カー・オブ・ザ・イヤー日本自動車大賞、ピットイン誌のクルマ大賞、毎日新聞社の毎日デザイン賞。ここまでは分かる。続くのが、日本経済新聞社の'82ニューモデル採点で高性能大衆車部門第一位。東京中日スポーツ新聞社のカー・サロングランプリ。テレビ神奈川『新車情報』の大賞。そしてGORO誌の'82〜'83読者大賞。自動車専門誌と、経済紙と、スポーツ新聞と、UHF局の番組と、男性週刊誌。賞はふつう同じ業界の中で回るものだが、この車は業界の外からも票を集めている。ムカデダンスが学園祭まで届いたことと、この顔ぶれは地続きになる。
面白いのは、デザイナーが何を見て描き始めたかである。最初のラフスケッチは「四角く横に張り出したフェンダーが特徴的なシティ・ターボIIを彷彿とさせるフォルム」だった。ところがそれでは新しさが出ない。そこで狙いを定め直す。「シティ・ターボIIを知る50代の世代と、その子どもである20歳前後の若い世代の両方に共感されるデザイン」。
純正パーツを作るホンダアクセスは、もっと直接的だった。何から手を付けるべきか分からず戸惑っていた開発チームが、ヒントを求めて「シティやシティ・ターボIIのアクセサリーカタログをひもといてみた」という。そこに並んでいたのは、どれも遊びゴコロにあふれたアイテムで、当時の開発陣が「自由な発想で、そして心から楽しみながらモノづくりに向き合っていたことが伝わってきた」。
そこで決まったコンセプトが REIWA BULLDOG で、できあがった一式の名前が BULLDOG STYLE である。中身は4点で、LEDフォグライト(バイカラー)、デカール BULLDOG、テールゲートスポイラー、ブラックエンブレム。フォグライトは当初、シティ ターボIIへのオマージュとして四角い形が検討されたが、現物に付けるとしっくりこない。そこで丸型にして、イエローとクリアを切り替えられる仕様にした。イエローはシティ ターボIIから、クリアはEVの現在から。
Super-ONEは2026年5月22日に発売された。3,390,200円。専用のBOOSTモードを押すと、最高出力が47kWから70kWへ上がる。
押している間だけ力が出る、という作りではない。だが7段の疑似変速と、アクセルに合わせて鳴る音が付いている。40年前に10秒間だけ鎖を外した会社が、EVでは、変速する感覚と音を作り直した。
鉄の犬は、まだ走っている。
1983年に流れたCMで、鉄の鎧をまとった犬がこちらへ走ってきた。描いたのは、『AKIRA』を世に出す前の大友克洋である。その車は3年たらずで姿を消し、2代目シティは背を135mm下げて、高い箱をやめた。それでも、ブルドッグという呼び名は残った。
40年後、同じホンダが出したEVのアクセサリーに BULLDOG STYLE という名前が付く。コンセプトは REIWA BULLDOG。開発チームは当時のカタログを開き、そこに並んでいた遊びゴコロから発想を始めたという。
狙ったのは、シティ ターボIIを知る50代と、その子どもである20歳前後が、同じ一台を見て同じように面白がること。1,231ccから110馬力を絞り出した会社が、40年後、今度はEVでブルドッグを復活させた。エンジンはなくなっても、ブルドッグは死なない。


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