32,768Hzではなかった。
いま量販店で売られているクオーツ時計の裏を開ければ、銀色の小さな缶が出てくる。中身は32,768Hzで屈曲振動する音叉型の水晶片で、この数字は2の15乗にあたるから、周波数を半分にする回路を15段重ねれば、ちょうど1Hz——1秒に1回のパルスになる。
ところが1969年12月25日に発売されたセイコー クオーツアストロン 35SQの水晶は、8,192Hzで振動していた。2の13乗である。分周段数は13段。後に16,384Hz(2の14乗、14段)へ引き上げられたが、32,768Hzが標準になるのはさらに後の話で、世界初のクオーツ腕時計は、いまの標準の4分の1の速さで震えていたことになる。
2の累乗であることが、なぜそこまで重要なのか。電子回路で周波数を割るときの基本の素子がフリップフロップで、これは入力パルス2回につき出力を1回反転させる、つまり周波数を正確に2分の1にする。1段で2分の1になるので13段で8,192分の1、8,192を2の13乗で割れば1がきれいに残る。
もし水晶の周波数が10,000Hzだったらどうなるか。2で割り続けても10,000→5,000→2,500→1,250→625で、そこから先は整数にならない。10進のカウンタを組めば割れる。ただし35SQのムーブメントに載っていたのは、トランジスタ76個とコンデンサ29個という、個数を数えられる規模の回路だった。
| 発売年 | 1969年 | 12月25日 |
|---|---|---|
| 発売時価格 | 450,000円 | 当時 |
| 水晶発振周波数(初期型) | 8,192Hz | 2の13乗 |
| 分周段数(初期型) | 13段 | フリップフロップ |
| 水晶発振周波数(後期型) | 16,384Hz | 2の14乗 |
| 分周段数(後期型) | 14段 | |
| ステップモーター駆動 | 1秒に1回 | |
| 月差 | 5秒 | ±、公称 |
| 日差換算 | 0.2秒 | ± |
| 精度(ppm換算) | 1.9ppm | 月差±5秒から算出 |
| ケース素材(金の純度) | 18K | 18KYG金無垢 |
| ケース径(公式記載A) | 35mm | 50周年ページ |
| ケース径(公式記載B) | 36mm | 公式内で不一致 |
| 石数 | 8石 | |
| トランジスタ数 | 76個 | ハイブリッドIC |
| コンデンサ数 | 29個 | ハイブリッドIC |
| 初回生産数 | 100本 | |
| 開発拠点 設立年 | 1959年 | 諏訪精工舎 |
| 未来技術遺産 登録年 | 2014年 | 国立科学博物館 |
| 同時期の機械式の日差 | 20秒 | 比較対象 |
| 機械式に対する精度倍率 | 100倍 | 約 |
では、なぜ13段だったのか。水晶は周波数が高いほど安定する一方、高くすれば分周段数が増えて素子も電流も増える。その綱引きの、1970年における答えが13段である。そして8,192Hzは、行き止まりではなかった。35SQの後期型は16,384Hz、2の14乗へ上がっている。スイス電子時計センター(CEH)が1970年に出したベータ21も8,192Hzだったという説がある。事実なら、日本とスイスが同じ時期に同じ数字へ行き着いたことになる。
360Hzは、割り切れない。
クオーツ以前に、電子式腕時計はすでに存在していた。ブローバ アキュトロン、1960年発売。テンプの代わりに金属の音叉を電磁石で鳴らし、その振動を時間の基準にする方式で、振動数は360Hzである。機械式に対し、日差±2秒(月差±60秒)を謳った。
しかし360という数字を素因数分解すると2³×3²×5になる。2の累乗ではない。したがってフリップフロップを何段重ねても1Hzには着地しない——2で3回割れば45Hzになり、そこで行き止まる。
| 機械式テンプ 28,800振動/時 | 4Hz | |
|---|---|---|
| 機械式テンプ ハイビート36,000振動/時 | 5Hz | |
| ブローバ アキュトロン 音叉(1960年) | 360Hz | 2³×3²×5 |
| セイコー 35SQ 水晶(1969年) | 8,192Hz | 2の13乗 |
ブローバがどうしたかというと、爪とインデックス車という機械で減速した。音叉の先端に付いた爪が、微細な歯を刻んだインデックス車を少しずつ送り、そこから先は普通の輪列で針を回す。電子式を名乗りながら、最終的な減速は歯車だったのであり、インデックス車の歯数は300歯とされるものの、確定はしていない。いずれにせよ、肉眼では歯が見えない水準の加工が要る。
この構造の副産物が、アキュトロン特有の見た目と音になった。秒針が1秒ずつ跳ねず、滑らかに流れる連続運針。そしてチクタク音の代わりに、360Hzのハム音が手首の上で鳴り続ける。時計が音を立てるのではなく、唸る。
35SQは、その減速のほとんどを電気で済ませた。13段の分周で1Hzを作り、ステップモーターを1秒に1回だけ動かし、そこから輪列で針を回す。電子と機械の接続点が、音叉式より後ろへ移った。秒針が1秒ずつステップするか、滑らかに流れるか——この見た目の違いは意匠ではなく、どこまで電気で割ってから歯車に渡すかの違いから出ている。
そして、精度は素材の問題でもあった。アキュトロンの音叉は金属で、温度が変われば寸法が変わり、寸法が変われば固有振動数が変わる。水晶は温度による周波数変化がppmの桁に収まる。日差±2秒と日差±0.2秒——1960年と1969年のあいだに、10倍の差が開いた。
TIPS
音叉式かどうかは、秒針を10秒眺めれば分かる。
アキュトロンの秒針は1秒ずつ跳ねず、滑らかに流れる。中古の電子式を店頭で見分けるなら、まず秒針を10秒ぶん眺めること。1秒ごとに止まっていれば分周してステップモーターを叩いている系統、途切れずに動いていれば音叉式か、現代の高振動クオーツのどちらかになる。
水晶は、何度で正しいか。
水晶なら何でも安定するわけではない。切り方によって温度特性がまるで違い、腕時計に積める切り方は限られていた。
ATカットは1〜200MHzの高周波帯で使われ、温度特性は三次曲線を描くとされる。SCカットはさらに安定するが、周波数変化がゼロになる温度——ゼロ点が約85℃付近にあるとされる。その温度を保てる環境でこそ性能が出る切り方で、腕にヒーターは積めない。
| 音叉型 周波数帯 下限 | 10kHz | |
|---|---|---|
| 音叉型 周波数帯 上限 | 200kHz | |
| 音叉型 温度特性の頂点 | 25℃ | 約25℃・常温 |
| 音叉型 温度係数 | -0.04ppm/℃² | 二次曲線 |
| ATカット 周波数帯 下限 | 1MHz | |
| ATカット 周波数帯 上限 | 200MHz | 三次曲線 |
| SCカット 温度特性ゼロ点 | 85℃ | 約85℃・恒温槽前提 |
残るのが音叉型で、周波数帯は10〜200kHz、消費電力が低く、そして温度特性の頂点が約25℃にある。人肌に近い。ただし特性は二次曲線で、温度係数はおよそ-0.035ppm/℃²、つまり25℃から離れるほど加速度的に遅れる。10℃ずれれば0.035×100=3.5ppm、1日あたり約0.3秒。夏の直射日光下と冬の外気で、遅れ方が違う。
低周波であること、消費電力が低いこと、常温にピークがあること。この3つが同時に揃うのが音叉型だったから、35SQも、いま量販店に並ぶクオーツも、同じ形の水晶を積んでいる。
数字を同じ物差しに乗せると、桁の違いが見える。機械式の日差20秒は約231ppm。35SQの月差±5秒は約1.9ppm。市販の32.768kHz音叉型水晶振動子、3.2×1.5×0.65mmの表面実装品。その周波数偏差±20ppmは日差にして約±1.7秒だから、水晶片単体の素性は35SQのムーブメント完成品より粗い。ただし前者は部品単体の許容公差、後者は完成品の実力値であり、測っている対象が違うので、この二つは並べても引き算できない。
| 機械式腕時計 日差20秒(1969年) | 231ppm | 約 |
|---|---|---|
| 市販32.768kHz水晶振動子 単体偏差 | 20ppm | マイクロクリスタル製 |
| セイコー 35SQ 月差±5秒(1969年) | 1.9ppm | 約 |
| シチズン Cal.0100 年差±1秒(2019年) | 0.03ppm | 約 |
その先がある。シチズン Cal.0100は年差±1秒、約0.032ppm。発振周波数は8,388,608Hz——2の23乗で、35SQのちょうど1,024倍。分周は23段になる。周波数を上げれば安定するという原則そのものは、1969年から変わっていない。変わったのは、23段を回しても電池が保つようになったことのほうだ。
45万円の時計が、何になったか。
35SQのケースは18KYG。金無垢である。石数8石——クオーツになっても輪列には受石が要る。ケース径は35mmとも36mmとも記載されていて、数字が割れている。50年以上前の製品でこの程度の揺れは珍しくないが、世界初を名乗る製品の寸法が揃っていないのは、それはそれで面白い。
価格は450,000円。1969年の大卒初任給をおよそ30,600円とすれば、14.7か月ぶんにあたる。1年と3か月ぶんの給料が、手首に乗る計算になる。
450,000円
発売時の価格
1969年12月、18金無垢のケースで450,000円。
12月の時点で組み上がっていたのは約20本とされ、100本は発売から年内までに売れた本数にあたる。その20本を12月25日に間に合わせたとすれば、1日数本の速度になる。工場ではなく、工房の速度である。
1969年の45万円以降、量販帯の価格が年次でどう動いたかは追えない。ただし製品の側の動きは、はっきりしている。1973年10月、セイコーは6桁表示の液晶デジタルウオッチ、クオーツLC V.F.A. 06LCを出した。発売から4年で、金無垢の秒針付きから、液晶に数字が並ぶ形へ移っている。6桁表示デジタルウオッチは2019年に未来技術遺産へ登録されている。
DUAD SELECT
1969年以降の型番と実機を、紙で追うなら。
35SQのあとに何がいくらで出たのか、年次の価格データは一次資料での取得が難しい。実機写真と型番、当時の実売価格まで載っているのは、結局のところ当時からの継続誌になる。アストロン50周年の特集を組んだ号も、この系統の雑誌に残っている。
アストロン50周年の特集を組んでおり、本文で参照した公式記述の周辺情報が載る。
クロノス日本版(Chronos Japan)バックナンバー
発行: シムサム・メディア・隔月刊・判型A4変型・価格・在庫は2026年9月15日時点で号により異なる
※広告(アフィリエイトリンク)
1969年以降のクオーツ機を、実機写真と型番で継続的に載せてきた日本語の数少ない誌。
世界の腕時計(ワールドフォトプレス)バックナンバー
発行: ワールドフォトプレス・ムック・号数・価格は2026年9月15日時点で号により異なる
※広告(アフィリエイトリンク)
音叉型とATカット・SCカットの温度特性を、時計以外の用途も含めて図で追える。
水晶振動子・圧電デバイスの技術解説書
内容: 圧電効果・カット角・温度特性曲線・発振回路。価格・版元は書目により異なる(2026年9月15日時点)
※広告(アフィリエイトリンク)
2019年に出たのが、セイコー SBXD002——1969クオーツ アストロン50周年記念の限定モデルで、生産は50本だけだった。Cal.3X22のGPSソーラーを積んで、3,800,000円(税別)。GPS衛星の原子時計に同期する系統の精度は10万年に1秒とされる。一方、水晶に置き換わっていった音叉は、2026年1月23日発売のブローバ チューニング フォーク スペースビュー314として990,000円(税込)で戻ってきた。
1969年の45万円、2019年の380万円、そして置き換えられた側の音叉が99万円。高い安いではなく、広まった技術が量産品の底値まで降りていき、置き換えられた側が希少品として残った、という順序の話になる。
TIPS
しまう時計は、電池を抜いてから。
長く使わない古いクオーツは、電池を抜いて保管する。液漏れが基板まで届くと、水晶が生きていても直せる相手がいなくなる。抜いた電池の型番は裏蓋の内側ではなく手元のメモに残しておくと、次に動かしたくなったときの一手が早い。
特許は、本当に無償だったか。
クオーツの歴史を語るとき、必ず出てくる一文がある。セイコーは基本特許を無償で公開し、それがクオーツの普及を加速させた——という説明である。
セイコーが公開したと書いているのは、キーテクノロジーの特許のほうだった。制度の側から見ても、特許は出願から18か月で公開特許公報として法定公開される。これは権利の放棄ではなく、権利者が実施を開放するのとは別の手続きにあたる。
つまり「公開した」から「無償で誰でも使えた」は導けない。どの特許番号を、どういう条件で開放したのか。そこまで降りた記述が出てくれば話は別だが、いまのところ「公開した」という一語が残っているだけになる。
事実として確認できるのはこちらだ。1968年を最後に、ニューシャテル天文台のクロノメーターコンクールは実質的に終わった。機械式の精度を競う場の意味が、水晶の登場で変わったとみられる。そして1983年、ASUAGとSSIHが合併してSMH(のちのスウォッチグループ)となり、同じ1983年に初代スウォッチが発売された。部品点数は51点とされる。
スイス時計産業の雇用者数は、1970年前後の約90,000人から1984年前後には約30,000人へ、3分の1になったとされる。こちらはセイコー側の資料に載っている数字になる。
35SQがIEEEマイルストーンに認定されたのは2004年、贈呈式は同年11月25日に行われている。国内でも日本機械学会の機械遺産と、未来技術遺産に認定されている。ただしその年次は資料によって食い違っていて、ここは確定できなかった。
1927年から1969年まで、42年。
水晶が電圧で震えるという現象——圧電効果が見つかったのは1880年、据置型のクオーツ時計が最初に実現したのが1927年で、そこから42年かけて腕に乗ったことになる。圧電効果の発見から数えれば、89年かかっている。
途中の足跡も残っている。1963年に可搬型のクリスタルクロノメーター、セイコー QC-951が発表され、翌1964年10月の東京オリンピックはその直後にあたる。重量は約3kgとされるが、そこから金無垢の腕時計までは6年しかない。
開発拠点は長野県諏訪の諏訪精工舎で、のちのセイコーエプソンにあたる会社である。服部時計店の創業が1881年、製造部門である精工舎の創業が1892年、腕時計部門の第二精工舎が1937年——88年かけて積み上げた機械時計の会社が、水晶で自分の主戦場を壊した、という構図になる。
アストロンという名は、astro(星)にonを付けたものとされる。1969年から43年後の2012年、GPSソーラーのアストロンとして腕時計の名前に戻った。
いまの量産クオーツのカタログ値は月差±15〜20秒あたりとされ、1969年の35SQの月差±5秒より緩い。精度は上限が伸びただけで、全部が上がったわけではない。上限のほうを見るなら、グランドセイコー9Fクオーツが年差±10秒、日差にして約±0.027秒——35SQのおよそ7分の1に収まっている。
もう一つ、この時計が一日で出来たものではないことも、年表に残っている。セイコーが放送局用の水晶時計を作ったのが1958年。卓上型の一号機が1962年、クリスタルクロノメーターの発売が1964年、腕時計のプロトタイプが完成したのが1967年になる。そこから2年後に35SQが出た。1958年から数えれば11年、据置型から腕まで段階を踏んで降りてきたことになる。
小さくするために解いた問題の一つが、針を動かす仕組みだった。35SQに載ったのはオープン型ステップモーターで、コイルとステータとロータを分けて配置してある。分周で作った1Hzを受け取り、秒針を1秒ずつ送る。秒針が1秒ごとに跳ねる動かし方を、セイコーはステップ運針と呼んでいる。
数字をもう一度並べておく。1958年の放送局用から1962年の卓上型まで4年、そこからクリスタルクロノメーターまで2年、腕時計のプロトタイプまで3年、発売までさらに2年。4年、2年、3年、2年。間隔は縮んでいない。据置型を小さくする作業は、後半になるほど楽になる種類のものではなかったことになる。
作るのにかかった11年は、そのあとに起きたことと比べると短い。据置型から腕へ降ろすまでが11年、スイスの時計産業の雇用が3分の1になるまでが約14年。積み上げるのにかかった時間と、置き換えられるのにかかった時間が、ほとんど同じ幅で並ぶ。
TIPS
裏蓋を開ける前に、電池の型番を控える。
手元の古いクオーツの裏蓋を開ければ、銀色の缶に「32.768」(キロヘルツ)と刻まれた水晶振動子が見える。市販の表面実装品は3.2×1.5×0.65mmまで小さくなったが、古い時計に入っているのは円筒の缶タイプが多い。開ける前に電池の型番を控えておくと、閉じられなくなったときの復旧が早い。
35SQが残した数字。
8,192Hzは2の13乗で、フリップフロップ13段を並べれば1Hzになる数字。なぜ13段だったのかをセイコーは書き残していないが、後期型が16,384Hz、いまの標準が32,768Hzと、2の累乗を1段ずつ上がってきた。8,192は正解でも行き止まりでもなく、その並びの最初の位置にあたる。
ブローバ アキュトロンの360Hzが2の累乗でなかったために歯車を残し、水晶は音叉型が常温にピークを持っていたから腕に乗った。数字が全部、構造の理由になっている。手元に古いクオーツがあるなら、裏蓋を開けて銀色の缶に刻まれた周波数を読んでほしい。
32.768 kHz——つまり32,768Hzと書いてあれば、それは35SQの8,192Hzから2段ぶん進んだ場所にいるという意味になる。セイコーミュージアム銀座は2020年8月の開館で、入館無料・予約制。