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S20は、どこから来たか?

レース用エンジンを、公道用に落とした4年間。

SERIESハコスカの心臓 VOL.1

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S20は、どこから来たか?

1967年のレギュレーション改正で、プリンス系ワークスは2シーズン使ってきたクロスフローのヘッドを外し、市販と同じカウンターフローSOHCへ戻すことになった。

手にしていた技術を、規則の側から取り上げられた形になる。

日産 S20型の開発は、この後退の直後に立ち上がっている。後退の反動と読めるが、そう書いた資料があるわけではない。

1970年10月、2ドアハードトップの日産 スカイライン2000GT-Rは154万円。そのうち70万円がエンジン単体の値段だったという話が、いまも語られ続けている。当時の価格表にもサービス周報にも出てこない数字だが、語り継がれてきた理由は分かる。ポートの段差を手で研磨して、1日4基。合計2,029台では、実車に出会えないまま名前と写真だけが頭に入っていた人のほうが多い。

「排ガス規制がGT-Rを殺した」。その一文だけでは、S20型が生まれるまでの経緯も、生産を終えるまでの事情も説明しきれない。レギュレーションの変更から開発、生産終了まで。まずは日付を並べ、伝説の陰に隠れた4年間の事実を確かめたい。

※本記事にはアフィリエイト広告(プロモーション)を含みます。

1967年、ワークスは技術を一段戻された。

S20型の話は、S20が作られる前の後退から始まる。

1965〜1966年シーズン、プリンス系のワークスはS54型スカイラインGTの搭載エンジンに手を入れていた。市販のG7型は吸気と排気が同じ側にあるカウンターフローのSOHC。ワークス用として用意されたのは、吸気と排気を左右に振り分けたクロスフローのヘッドだった。市販車とワークス車で燃焼室とガス交換の思想が別物になっていた期間が、この2シーズンにあたる。

それが1967年、レギュレーション改正でG7型に戻される。クロスフローのヘッドを外し、カウンターフローSOHCへ回帰した。手にしていた技術を、規則の側から取り上げられた形になる。一度上がったものを下ろす作業は、上げるときより気持ちの置き場所が難しい。

ワークスがGR7Bダッシュでクロスフロー化(開始)1965年R380用GR8型(S20のベース)1966年レギュレーション改正でG7型へ回帰1967年後退S20型搭載のPGC10デビュー1969年
S20に至るまでの後退と再出発1967年の一段の後退が、S20開発の直接の引き金になったとされる。年号だけを並べても順序は分かる。出典: 日産・S20型エンジン/日産・スカイラインGT-R(Wikipedia)

S20の開発は、この後退の直後に立ち上がる。ベースになったのは、プリンス自動車工業 R380に積まれた1966年前後のレース専用エンジン、GR8型である。これは市販車のエンジンを速くしたのではなく、レース専用エンジンを市販車に降ろす方向で設計された。プリンス社内での呼称はGR8B型。日産との統合後に、S20という日産式の型式名が与えられている。

結果として、国内量産車で1気筒4バルブDOHCが成立した。ヘッドの中に吸気2・排気2のバルブを収め、2本のカムで直接叩く構成である。1969年の国産乗用車の標準が何だったかを思い出せば、この構成が置かれていた位置は分かる。

82.0×62.8mm——比1.306が7000rpmを決めている。

S20型の排気量は1989cc(1969年の発売時公称値)で、当時の2000ccクラス上限に11cc残して張り付けた数字である。ボアは82.0mm、ストロークは62.8mm、この2つを割ると1.306になる。

ストロークが短いほど同じ回転数でのピストン平均速度は下がるため、62.8mmという短さは、回転を上げても往復運動部の負担が積み上がりにくいことを意味する。一方でボア82.0mmという口径は燃焼室の平面積を稼ぐので、1気筒4バルブという構成が成立するのはこの口径があってこそで、バルブを4枚並べる面積がそもそも足りていなければ意味がない。

最高出力は160PS/7000rpm、最大トルクは18.0kg-m/5600rpm(いずれも1969年の発売時公称値)だが、注目すべきはトルクピークが5600rpmという高さにあることで、低速で粘る性格を最初から捨てている。7000rpmで出力の頂点を打つエンジンとして、ボアとストロークの比から一貫しており、圧縮比も9.5:1として語られてきた。

日産 S20型エンジン 諸元(1969年時点の公称値)
型式S20型(プリンス自動車工業の社内呼称はGR8B型)
種類水冷直列6気筒 DOHC 24バルブ
総排気量1,989cc
内径(ボア)82mm
行程(ストローク)62.8mm
ボア/ストローク比1.31算出値1.306。1を超えるショートストローク
圧縮比9.5:1
1気筒あたりバルブ数4本当時の市販車では稀
最高出力160PS7,000rpm
最大トルク18kg-m5,600rpm
リッターあたり出力80.4PS/L算出値
動弁機構DOHC・カムシャフト2本。駆動はチェーン(GR8はギア駆動)
燃料供給方式ミクニ・ソレックス N40PHH ツインチョーク キャブレター×3基
点火方式フルトランジスタ
潤滑方式オイルパン(ウェットサンプ)。GR8のドライサンプから変更
潤滑油量6L
冷却方式水冷
シリンダーヘッド材質アルミニウム鋳造
シリンダーブロック材質鋳鉄・ウェットライナー
エキゾーストマニホールド形式ステンレス等長。3気筒×2本
乾燥重量199kg
生産開始1969年1月
生産終了1973年3月1972年とする資料もあり一致していない
エンジン単体価格70万円当時。車両価格154万円の約45%
日産 S20型エンジン 諸元(1969年時点の公称値)GR8から受け継いだものと、公道用に落としたものが1枚に並ぶ。カム駆動・潤滑・キャブレターの3行が、レース用との分かれ目になる。Wikipedia「日産・S20型エンジン」および各誌の記載を突き合わせた

レース用エンジンを公道へ降ろすにあたって、どこまで落としたかを示す数字である。ハイオクを前提にした値で、レギュラー仕様はここからさらに下がる。街で使う燃料に合わせて、もう一段きつく締めたことになる。

キャブレターは三連装。直列6気筒に対してキャブが3つという構成で、吸気を3つに分けて配るという形そのものが、レース用の設計をそのまま降ろした跡である。吸気を3つに分けて各気筒へ配るという構成そのものは、残っている実車の写真から確かめられる。

同じS20でも、燃料で数字が変わる。ハイオク前提の公称が160PS/7000rpmで、レギュラー仕様は155PS、最大トルクは17.6kg-m。5PSの差が、タンクに入れるものの違いで付く。

エンジン単体の乾燥重量は199kgで、潤滑油は6.0L入る。1気筒あたり4つのバルブとツインカムを抱えた鉄のかたまりが、200kg近い。これを前輪の上に載せているので、ハコスカGT-Rの前後重量配分は、見た目のバランスよりも鼻先が重い側に寄る。

3気筒×2本の等長エキマニと、ポート段差の手研磨。

排気側の構成が、このエンジンの性格を最もよく表している。エキゾーストマニホールドは6本を1本に集合させるのではなく、3気筒ずつ2本にまとめてある。効いているのは、3気筒×2本という分け方である。直列6気筒の点火順序では、前3気筒と後3気筒をまとめると排気の間隔が等しく並ぶ。この分け方には、音の前に理屈がある。

直列6気筒の点火順序では、前3気筒と後3気筒をそれぞれまとめると排気の間隔が均等に並ぶため、等長にする意味が出てくる。各気筒の排気パルスが集合部に届くタイミングが揃えば、次の気筒の排気が抜けるときの負圧が使えるからで、長さを揃えるという作業は単に「見栄えのする取り回し」の話ではない。

ポートも同じ思想で処理されている。S20の組立工程には、ヘッドのポートとインテークマニホールドの合わせ面に生じる段差を研磨で除去する作業が含まれていたとされる。鋳物の位置公差で必ず出るわずかな段差を手作業で消すのは、段差が流れの剥離を生み、剥離が充填効率を落とすためで、7000rpmで吸気の慣性を使い切る設計なら、その段差は無視できない。

これを市販工程に入れた結果が、1日4基である。工場ではなく、工房の速度である。

1日4基という速度は、生産台数の総数と桁で並ぶ。ただし稼働日数や試作分の扱いが分からないため、掛け算での検算はできない。日産 PGC10(4ドアセダン)が832台、KPGC10(2ドアハードトップ)が1197台、合計2029台。1969年から1972年9月までの約3年半で、この数である。

PGC10(4ドアセダン)832台1969〜1970年KPGC10(2ドアHT)1,197台1970〜1972年初代合計2,029台KPGC110(ケンメリ)197台1973年
初代GT-Rの生産台数と後継の落差単位は台。初代の合計2029台に対し、KPGC110は197台。桁が一つ違う。出典: 日産・スカイラインGT-R(Wikipedia)/Bingo Sports/AUTO MESSE WEB

70万円と154万円——車両価格の約45%が心臓だったという話。

PGC10のセダンは1969年の発売時価格で150万円、1970年10月に追加された2ドアハードトップのKPGC10は154万円で、セダンより4万円高い。

この154万円のうち、エンジン単体が70万円。割合にして約45%になり、車両の半分近くが心臓の値段だったことになる。セダンとの差額4万円が車体側の違いだとすれば、買う側が払っていたものの重心は、明らかに前にあった。

それでも、この比率が語り継がれてきた理由は工程から説明できる。ポート段差の手研磨と熟練工による組み立てを、市販エンジンの工程に残したまま量産した。手を動かした時間がそのまま原価に乗る構造で、削りようがない。1日4基という生産速度と車両価格の45%という比率は、同じ現象を別の側から見た数字と考えられる。

PGC10 新車価格(1969年)150万円KPGC10 新車価格(1970年10月)154万円S20 エンジン単体70万円
154万円のうち70万円単位は万円。心臓だけで、車両価格の約45%を占めている。出典: 日産・S20型エンジン/日産・スカイラインGT-R(Wikipedia)

実車個体の車台番号を見ると、生産ペースの手触りが少し掴める。KPGC10-000206という個体は初年度登録が1971年1月で、2ドアハードトップの追加が1970年10月だから、3か月ほどで200番台に入っている。車台番号の記号体系はKが2ドアハードトップ、PがS20搭載を示すとされ、この判別は現存個体の見極めに直結する。記号体系そのものの出どころは、第7回で扱う。

カムとキャブを替えると200PS前後まで出た、という数字も残っており、公称160PSからの上積みは40PSにあたる。手を入れる余地がそれだけ残してあったということでもあり、レース用エンジンを市販に降ろすというのは、こういう余白ごと降ろすことだった。

「1972年の排ガス規制」が指しているもの。

KPGC10の生産終了は1972年9月で、日産 C110型へのモデルチェンジによる世代交代である。

一方、新車に対する規制の実質的な節目は昭和48年——1973年4月1日以降生産分であり、環境白書に明記されている。根拠となった答申は昭和45年7月22日付の運輸技術審議会答申で、公害国会と同じ年に出ており、規制値本体の告示は昭和49年1月の環境庁告示第1号にあたる。

並べると順序が逆で、1973年4月1日の新車規制が始まる約7か月前に、KPGC10の生産ラインは止まっている。「排ガス規制がハコスカGT-Rを殺した」という説明は広く流布しているが、少なくとも新車規制の施行日とKPGC10の生産終了日の関係は、因果の順序として成立しない。生産終了の理由がモデルチェンジだったのか、規制を見越した判断が含まれていたのかは、日産の社史・公式記録での確認が必要であり、今回は断定しない。

運輸技術審議会答申(昭和45年7月22日)1970年KPGC10 追加(1970年10月)1970年KPGC10 生産終了(1972年9月)1972年モデルチェンジ使用過程車CO規制強化(1972年10月1日)1972年昭和48年規制 適用開始(1973年4月1日)1973年新車規制環境庁告示第1号(1974年1月)1974年
生産終了と規制施行の順序KPGC10の生産終了は1972年9月、新車に対する昭和48年規制の適用開始は1973年4月1日以降生産分。約7か月、順序が逆である。出典: 昭和48年版環境白書/環境省告示/国土交通省資料/日産・スカイラインGT-R(Wikipedia)

では「1972年の排ガス規制」という言い方は何を指しているのか。時期がいちばん近いのは使用過程車のCOアイドリング規制だろう。昭和45年8月1日から普通・小型自動車で5.5%だった上限が、昭和47年10月1日から4.5%へ引き下げられており、これはKPGC10の生産終了の翌月にあたる。

昭和45年8月1日〜5.5%昭和47年10月1日〜4.5%生産終了の翌月
使用過程車のCOアイドリング規制値単位は%。普通・小型自動車。1972年10月の4.5%への強化は、KPGC10生産終了の翌月にあたる。出典: 国土交通省「使用過程車の排出ガス規制値」

ただしこれは、新車の型式認定を左右する規制ではない。走っているクルマの側にかかる基準である。「1972年」という年号を規制とセットで覚えている人は少なくないが、その年に動いたのはこちらだった。

技術的に重かったのは、その先である。昭和48年規制では、それまでCO中心だった試験項目がHC・NOxへ拡大したため、多連キャブレターと大きなバルブオーバーラップを持つカムの組み合わせは、まさにHCとNOxで不利になる。吸排気が同時に開いている期間が長ければ未燃焼分が排気側に抜けるし、高圧縮・高燃焼温度はNOxを増やす。S20が最も苦手な項目が、後から試験に加わった構図になる。

さらに昭和50・51年規制ではCO・HC・NOxを1/10以下に削減する目標が置かれたが、この桁の要求に、キャブレター多連+高オーバーラップカムで応える道筋は見えにくい。同じ2000ccクラスで、ロータリー勢は別の解で規制を越えていくが、この分岐の技術的な整理は第6回で扱う。

後継の日産 KPGC110、いわゆるケンメリGT-Rは1973年に197台。初代の2029台と並べると、桁が一つ違う。この年は排出ガス規制の強化が進んだ時期にあたる。

数字が三つに分かれている——連勝記録の扱い方。

S20の評価と不可分なのがレースでの連勝記録だが、ここも数字が一つに定まっていない。

プリンスの丘公園の記念碑には50連勝と刻まれており、雑誌・広告・映像作品で最も広く流通したのは49連勝、そしてRacing On 444号は、49勝のうち18勝がクラス優勝であることを踏まえ、1971年7月25日を境に連勝は46で止まると指摘した。中断の原因となったレース名と順位は、はっきりしない。

記念碑の刻字50勝通説49勝Racing On 444号の再検証46勝1971年7月25日で中断49勝のうちクラス優勝18勝内訳
連勝記録が三つに分かれている単位は勝。記念碑50、通説49、Racing On 444号の再検証46出典: 日産・スカイラインGT-R(Wikipedia)

三つの数字が併存する理由は勝ち数の水増しではなく「連勝」の定義であり、総合優勝とクラス優勝を同じ1勝として数えるかどうかで答えが変わる。当時から曖昧だった定義を後から一つの数字に丸めてきた結果がこの三つの併存で、いずれもJAF公式リザルトと当時のレース記録での照合が必要になるため、確定は第4回に譲る。

1972年10月の富士マスターズ250キロでは、GT-Rの最高順位は4位。KPGC10の生産終了の翌月にあたる。

出力の数字も同じ構造で三段になっており、カタログの公称値は160PS/7000rpm、キャブレターとカムを交換した状態で200PS前後、機械式インジェクション化されていたとされるワークス仕様で250〜260PSとなる。

カタログ市販仕様(1969年)160PS公称値カム+キャブ交換(伝聞)200PS200PS前後・確度低ワークス仕様(伝聞)255PS250〜260の中央
同じ型式が担った出力の三段単位はPS。160PSはカタログ公称値出典: Rocky Auto/日産・S20型エンジン(Wikipedia)

「10000rpm常用で壊れない」という言い方も同じ構えで読む。市販車の公称最高出力回転は7000rpm、10000rpmはワークス運用の側の数字である。同じ型式が担った幅を、ひとつの数字に畳まない。

ボアアップの実例が1つある。現代のサーキット仕様として2484cc・圧縮比12:1まで手を入れられたS20が存在し、ノーマルの1989ccに対して約1.25倍の排気量になる。連勝が50か49か46かは、数え方の問題として残った。いま回っているこの1基のボアとストロークなら、実車を開ければ測れる。

S20が残したもの。

S20型の手前には、後退がある。1967年のレギュレーション改正でクロスフロー化されたワークス用ヘッドを取り上げられ、G7型のカウンターフローSOHCに戻された。その翌年、R380用のGR8型を市販車に降ろす形で1気筒4バルブDOHCが成立している。レースで取り上げられたものを、市販車に降ろす形で取り返している。ボア82.0mm、ストローク62.8mm、比1.306。7000rpmで160PS。ポート段差を手で研磨し、1日4基。車両154万円のうち70万円がエンジン。この比率は、その工程の裏返しである。

そして時系列。KPGC10の生産終了は1972年9月、新車に対する昭和48年規制の施行は1973年4月1日以降生産分。規制の線が引かれる約7か月前に、生産の線は途切れている。「排ガス規制がハコスカGT-Rを殺した」という説明は、少なくとも施行日と生産終了日の順序では成立しない。規制の時期と重なるのは、197台で終わった後継のKPGC110のほうである。

持ち帰るものを1つに絞るなら、数字を見たときに「これはカタログの公称値か、ワークスの伝聞か、記念碑の刻字か」を確認する癖である。160/200/260PS、50/49/46連勝。どれも同じ対象について語られながら、根拠の強度が違う。次の1歩としては、圧縮比・車両重量・キャブ型番の一次値を当時カタログの復刻資料で自分の手元に置くこと。通説の照合は、そこから始まる。

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この記事の夢中ポイント

  • 「1972年の排ガス規制」は一つの規制ではない。新車は昭和48年4月以降の生産分、使用過程車は昭和47年10月からCO 4.5%と、施行日も基準も別である。
  • S20のボア/ストローク比は1.306。この数字が、ピストンの平均速度と燃焼室の面積を通じて、7000rpmという設計を決めている。
  • 連勝記録は50・49・46の三つが並ぶ。記録が食い違っているのではなく、「連勝」の数え方そのものが定まっていない。
  • ハコスカGT-Rの車両価格のうち、エンジン単体が占める割合は半分近い。レース専用エンジンを公道へ降ろすというのは、買う側にとってこういう値付けになることだった。

最終更新 2026年10月28日

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最終閲覧日:2026年9月10日

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