レンズが、絞りの数字をボディへ渡している。
A-1のファインダーに浮かぶ赤い7セグメントLEDの数字は、ボディが勝手に考えた値ではなく、レンズ側から機械的に渡された情報を受けて初めて成立する計算であって、FDマウントはそのための爪とピンの集合体にあたる。
1971年に登場したFDマウントは、開放F値の伝達、設定絞り値の伝達、そしてレリーズ時に絞りを絞り込む自動絞り連動レバーの駆動という3つの系統で、レンズからボディへ情報を送る構造になっている。開放測光で明るいファインダーを保ったまま、撮る瞬間だけ絞り込むという動作は、この3系統が噛み合って初めて動く。
絞り環には「A」のマークが刻まれており、ここへ合わせるとボディ側が絞りを決める仕掛けになっているが、Aマークは絞り環の機能のひとつであって、環そのものが無用になったわけではなく、数値の位置へ戻せばそのままボディへ設定絞りが伝わる。レンズは、撮影者が触っていないときも黙って数字を渡し続けている、と考えればわかりやすい。
| 発売年 | 1978年 | 1978年4月 |
|---|---|---|
| ボディ価格 | 83,000円 | 1978年4月時点 |
| FD 50mm F1.4 S.S.C.付価格 | 114,000円 | 1978年4月時点 |
| セットとボディの差額 | 31,000円 | 差引計算 |
| 質量(ボディのみ) | 620g | |
| 幅 | 141mm | |
| 高さ | 92mm | |
| 奥行 | 48mm | |
| シャッター低速側 | 30秒 | |
| シャッター高速側 | 1,000分の1秒 | 1/1000秒 |
| ストロボ同調速度 | 60分の1秒 | 1/60秒・199A/155A装着時 |
| 電源電圧 | 6V | 4LR44/4SR44等 |
| AEモードの数 | 5種 | カタログの数え方 |
| 露出補正範囲 | 2EV | ±2EV |
| ファインダー視野率 | 93.4% | |
| ファインダー倍率 | 0.83倍 | |
| 巻上レバー巻上角 | 120度 | 予備角30度 |
| セルフタイマー | 10秒 | 2秒も選べる |
| レンズ側連動系統 | 3系統 | 開放F値・設定絞り・自動絞り |
| 外装色 | 1色 | ブラックのみ |
| 生産終了 | 1985年 | 1985年 |
| 製品寿命 | 7年 | 1978年4月〜1985年 |
A-1発売時にキヤノンが標準レンズとして挙げていたのは、FD 55mm F1.2 S.S.C. と FD 50mm F1.4 S.S.C. の2本で、S.S.C.はSuper Spectra Coatingの略、旧FDの上位レンズに付いた多層膜コーティングの名である。セット価格114,000円に組み込まれていたのは後者のほうで、ボディ単体83,000円との差は31,000円になる。
黒鏡胴のNew FDが出るのは1979年6月、A-1発売の14か月あとにあたるので、時系列は間違えないほうがいい。つまりA-1は銀色の絞り環を持つ旧FD時代の機械として世に出たのであって、いま中古棚でA-1に黒いNew FDが付いている姿は、発売時のカタログには存在しない組み合わせということになる。
旧FDとNew FDは、手で触れば1秒で見分けがつく。旧FDはレンズ本体を回さず、根元の銀色のリングだけを回して締め込むブリーチロック式だが、New FDは本体ごと回すバヨネット操作に変わっており、ショーケース越しでは分からず、持たせてもらって初めて分かる違いだった。
New FD 50mm F1.4は6群7枚のガウス型で、質量235g、1979年6月時点の価格が32,000円と、A-1のセット価格から出てくる差額31,000円にほぼ一致する額であり、同じ画角のレンズがどの程度の値付けで売られていたかの目安になる。レンズが絞りを渡す構造を押さえたところで、次はフィルムを送る側の話に移る。
7.2秒で、36枚が終わる。
手で巻き上げるとき、A-1の巻上レバーは120度動く。1コマごとに親指を動かす作業は、撮る行為の区切りそのものだったが、底部に機械を付けるとその区切りが消える。
モータードライブ MAは最高5コマ/秒。底部の三脚穴に固定し、巻上は底部のカプラー経由で駆動する構造で、縦位置グリップ部にシャッターボタンを内蔵している。36枚撮りを最高速で流し切れば7.2秒で終わる計算になるが、この数字が意味するのは「速く撮れる」ことではなく、撮影の時間単位が1コマから1本へ変わることのほうだろう。
同じAシリーズ向けの巻上装置には、キヤノン AE-1と同時に開発され、A-1/AE-1/キヤノン AT-1/キヤノン AV-1の4機種に共通で装着できるパワーワインダー Aもあり、こちらの駒速は約2コマ/秒だった。36枚なら18秒かかるので、モータードライブ MAとの差は2.5倍になる。片方は「手巻きの手間を省く装置」で、もう片方は「撮り方を変える装置」だった、という分かれ方である。
ただし5コマ/秒は無条件の数値ではなく、キヤノンが挙げるのは専用電源のバッテリーパック MAなどの条件を満たしたうえでの最高駒速になる。単3電池では約3.5コマ/秒とされ、同じ本体でも電源の選び方で3割近く落ちるのだから、電池の種類がそのまま駒速に直結する機械だったことになる。
A-1のボディは620g、New FD 50mm F1.4は235gで、この2点だけで855gになるが、そこへ底部にモータードライブ MAが付き、ホットシューには155×80×60mmのスピードライト 199Aが乗る。当時のカメラ屋のショーケースに飾られたフル装備のA-1は、両手で抱えるかたちの塊だった。
5コマ/秒を使い切る撮り方をすると、フィルム代と現像代が秒単位で消えていく。理論上は1時間で500本という計算になるものの、電池もフィルム交換も追いつかないので、実際には「ここぞ」の数秒にだけ使う道具だった。巻上が電気で動くようになると、次に電気で足りないものが見えてくる——光である。
155Aと199Aで、光量が3倍違う。
キヤノン スピードライト199Aと155Aは、どちらもA-1の「専用ストロボ」として同じ枠に入り、A-1のストロボ同調速度は1/60秒となっているが、経路の見た目が同じでも、出てくる光の量はまるで違う。
199Aのガイドナンバーは30(ISO100・m)、155Aは17で、比にすると約1.76倍。数字だけ見れば2倍に届かないものの、ガイドナンバーは到達距離の指標なので、光量に直すと二乗で効いて約3.1倍になる。1.76と3.1の落差が、カタログの数字を読むときに最初につまずく場所だろう。
FD 50mm F1.4を開放で使いISO100なら、199Aは約21.4m、155Aは約12.1mまで届く計算になり、差は約9.3m。絞ってF2.8にすれば199Aが約10.7mで155Aが約6.1m、F5.6まで絞ると約5.4mと約3.0mになるので、F5.6の155Aでは、体育館の向こう側はもう光が届かない。
| 199A・F1.4 | 21.4m | GN30÷1.4 |
|---|---|---|
| 155A・F1.4 | 12.1m | GN17÷1.4 |
| 199A・F2.8 | 10.7m | GN30÷2.8 |
| 155A・F2.8 | 6.1m | GN17÷2.8 |
| 199A・F5.6 | 5.4m | GN30÷5.6 |
| 155A・F5.6 | 3m | GN17÷5.6 |
| F1.4時の差 | 9.3m | 21.4−12.1 |
フィルムをISO400に替えれば、感度4倍は2段分なのでガイドナンバーは2倍になり、199Aは実効60、155Aは34に相当する。暗い室内で使うなら、ストロボを買い換えるより先にフィルムを替えるほうが安い、という結論が数字から素直に出てくる。
199Aにはバウンス撮影の機能があり、発光部を上方向へ向けて天井へ一度当て、反射光で照らすため、被写体までの実距離より長い光路を取ることになる。199AのGN30と155AのGN17の差は届く距離の差だが、その余裕は、まっすぐ当てる以外の使い方をどれだけ取れるかの差でもあった。
調光は外光オート方式で、この世代はTTL調光に対応しておらず、自動で絞りを選べる段数は199Aが3段、155Aが2段と、上位機のほうが絞りの選択肢が一段分広い。155Aと199Aのあいだには166Aや188Aという型番も並んでおり、「専用ストロボ」という一語の下に、届く距離の違う機材が何段階も置かれていた。
TIPS
ストロボより先に、フィルムを替える。
ISO400にすると感度4倍=2段分で、ガイドナンバーは2倍になる。199Aは実効60、155Aは34相当。つまり155AでもISO400を入れれば、ISO100の199Aより遠くへ届く。中古棚で上位機の値札を見る前に、まず手元のフィルムの感度を確かめるほうが早い。
ここまでで、レンズ・巻上・ストロボが揃った。では、その一式はいくらになったのか。
ボディ83,000円は、入口の値段だった。
1978年4月、A-1のボディは83,000円、FD 50mm F1.4 S.S.C.付きが114,000円。カタログのシステムチャートは、この114,000円を出発点にして、巻上・ストロボ・データバック Aへと線が伸びていく図として組まれていた。
2年前のAE-1と並べると、この価格の位置が見えてくる。AE-1の発売は1976年4月で、同じFD 50mm F1.4 S.S.C.付きが81,000円だったから、A-1との差は33,000円、倍率にすると1.407倍になる。発売間隔はちょうど24か月で、2年で4割増しの価格帯に最上位機を置いた、という配置になっていた。
AシリーズはAE-1を起点に、AT-1(1977年)、A-1(1978年)、AV-1(1979年)、AE-1 PROGRAM(1981年)、キヤノン AL-1(1982年)と6機種が並んでいるが、A-1はその最上位にあたり、外装はブラック仕上げのみでシルバークロームが用意されなかった点でも、系列の中では例外的な扱いを受けていた。黒一色で通したカメラが最上位にある、という並びである。
DUAD SELECT
押し入れのFDレンズを、もう一度使うなら。
アダプタを介せばFDレンズは現行のミラーレス機に載るが、絞り連動は切れるので実絞りでの撮影になる。価格帯は2,000〜8,000円程度とされ、2026年11月3日時点でも入手に困らない。手元の55mm F1.2や50mm F1.4がいまどう写るかは、作例の載った本を先に見ておくと見当が付く。
手元のFDレンズを現行ボディに載せるための経路がこれしかない。
FDマウント→ミラーレス用マウントアダプタ
価格帯: 2,000〜8,000円(2026年11月3日時点)・補正レンズ: 無し・絞り: 実絞り(自動絞り連動レバー押さえ機構が必要)
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旧世代レンズを現行ボディで使う前提の作例と手順がまとまっている。
オールドレンズ・ライフ(Kindle版)
価格: 電子版のため変動(2026年11月3日時点)・形式: Kindle・内容: 作例+アダプタ運用
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FDレンズを現行ボディで使ったときの実例が載る。
オールドレンズ・パラダイス(FD収録)
価格: 版により変動(2026年11月3日時点)・判型: 単行本・収録: キヤノンFDを含む各社旧レンズ
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積み上げる側の金額は、裏の取れているものだけを並べても構造が分かる。ボディ83,000円に標準レンズを足して114,000円、翌1979年6月に出たNew FD 85mm F1.8が43,000円だったので、中望遠を1本足せば15万円を超える。ここにモータードライブ MA、スピードライト 199A、データバック Aが乗っていくわけで、システムチャートに描かれた全部を揃えた人は、ボディ代の何倍かを払ったことになる。
データバック Aは裏蓋を交換して日付をフィルムに写し込むアクセサリーで、撮影性能には一切関係しない。それでもシステムチャートに並んでいたのは、「このボディには足すべきものがある」という形でカメラが売られていたと考えればわかりやすい。写りに関わらない部位にまで型番が用意されていたことが、その売り方をよく表している。
Aシリーズの中でも、パワーワインダー Aは4機種共通で装着できた。約2コマ/秒の巻上装置はシリーズ全体の裾野を広げる位置にあり、同じ「買い足す」という言葉でも、どの型番がどの機種に載るかで買い足せる範囲は変わっていたことになる。
TIPS
モルトは、最初に溶ける。
40年以上経った個体で真っ先に劣化するのが、裏蓋の溝に入ったモルトプレーン。指で触って黒い粉が付いたら交換時期で、交換用シートは数百円から手に入る。フィルムを入れる前に裏蓋を開けて、溝を一度こすってみるのが早い。
9年で、土台ごと入れ替わった。
A-1の生産は1985年まで続いたとされ、1978年4月の発売から数えると7年前後の製品寿命にあたる長寿モデルだったが、売れている間にも足元は動いていた。
翌1986年にはFDマウント機の最上位としてキヤノン T90が登場し、その1987年にはEOS 650の登場でマウント体系そのものが置き換わって、レンズとボディの連動は機械の爪とピンから電気接点へ移る。EFマウントの電気接点は7点とされ、機械連動は全廃された。A-1が発売された1978年から数えて9年、A-1の生産終了から数えれば2年の出来事である。
9年
A-1発売からEOS登場まで
1978年4月から1987年まで。買い足していく前提のシステムが、土台ごと入れ替わるまでの期間。
1971年のF-1とともに始まったFDマウントは、1987年のEOSまでの16年で役目を終えた。A-1が組み上げた一式——レンズが絞りを渡し、モータードライブが底から巻き上げ、ストロボがアクセサリーシューで信号をやり取りする体系は、買い足していく前提で組まれていたにもかかわらず、買い足す先の土台が9年でなくなったことになる。T90に至っては、登場からEOS 650が出るまでが約1年しかない。
ではFDレンズは使えなくなったのかというと、話はそこで終わらない。フランジバックの短いミラーレス機ならマウントアダプタを介して装着でき、FDレンズ用のアダプタは各社から出ていて入手に困るものではないが、アダプタを付けた時点で、A-1が成立させていた3系統の連動は切れてしまう。
アダプタを介すと、開放F値も設定絞りもボディへ渡らず、自動絞り連動レバーを押さえる機構がアダプタ側に要る。絞りは実絞り、つまり絞った分だけファインダーが暗くなる状態で撮ることになるので、残っているのはガラスと鏡胴だけ、と言っていい。逆に言えば、1978年のA-1で絞り環を「A」に合わせたときに何が働いていたのかは、アダプタ越しに同じレンズを使ってみると、失われた機能の形としてはっきり分かる。
TIPS
6Vが切れると、1コマも写らない。
A-1は機械式のバックアップを持たず、電源が落ちればシャッターは全速で不作動になる。4LR44/4SR44は家電量販店でもカメラ店でも買えるが、長期保管する個体は液漏れを避けるために抜いておくほうがいい。押し入れから出てきたA-1が無反応でも、まず電池を疑うところから。
中古の相場を見ておくと、A-1のボディは並品で20,000〜40,000円程度、モータードライブ MAが10,000〜25,000円程度、FD 55mm F1.2 S.S.C.は状態と派生によって40,000〜80,000円程度のレンジで掲出されている(いずれも国内中古店の提示例で、公的な相場資料はなく個体差が大きい)。1978年に114,000円だったセットの、ボディ側だけが2〜4万円で、大口径標準レンズのほうが高く付くこともあるのだから、システムの値段の重心は発売から40年余りで入れ替わっていたことになる。
A-1は電源が落ちればシャッターが全速で止まる機械で、機械式のバックアップを持たないため、6Vの電池が入っていなければ、どれだけ揃えても1コマも写らない。システムチャートの中心にボディが描かれていた理由は、結局そこにある。
モータードライブの音は、何を伝えていたか。
モータードライブMAを装着したA-1の連続撮影は、最高5コマ/秒という数字だけでは伝わりきらない。レリーズを続ける間、ミラーの上下、シャッターの作動、フィルムの送りと次のコマへの準備が連なり、撮影者の耳には断続的な機械音として届くので、電子制御で露出を決めるカメラが、結果を機械のリズムで知らせていたことになる。
36枚を5コマ/秒で割った7.2秒は、最高速度が一定で続くと仮定した理論上の計算値であり、実際の撮影時間は電源、機械の状態、立ち上がりなどに左右される。音の速さも、単純にフィルムを消費するためのものではなく、動く被写体の一瞬を選ぶために撮影者の時間感覚を変える装置だった。
1976年のAE-1で使われた「連写一眼」という広告表現が連続撮影の新しさを前面に出したのに対し、A-1の「カメラロボット」は電子制御の頭脳を訴えたもので、両者は区別しておきたい。モータードライブMAを付けたA-1には、その両方が同居していた。
フィルムを送る音が残した未来。
A-1のシステムは、レンズが絞り情報を機械的に渡し、モータードライブが底から巻き上げ、ストロボがシューで同調する——という連動の束でできていた。モータードライブ MAの5コマ/秒とパワーワインダー Aの約2コマ/秒、199AのGN30と155AのGN17。同じ「専用」の名の下でも、揃える型番によってできることは2倍以上違った。1978年に114,000円だったボディ+標準レンズは、いま2〜4万円で買えるボディと、4〜8万円することもある大口径レンズに分かれている。手元にFDレンズが残っているなら、まず絞り環を回してクリックを確かめ、「A」の位置があるかどうかを見てほしい。その刻印一つが、ボディとレンズが機械で会話していた16年の証拠になっている。
1978年、キヤノンはA-1を「カメラロボット」と呼んだ。5つのAEが露出の仕事を分け、電子回路が結果を赤い数字で示し、モータードライブが次のコマへとフィルムを送った。1987年にEOSが登場すると、FDマウントの機械的な連動は新しいEFマウントの電子的な仕組みに主役を譲る。それでもFDレンズの絞り環を回し、MAを装着し、ファインダーを覗けば、当時の未来がどのような手触りを持っていたかが分かる。電子制御のカメラが残した記憶は、赤い数字だけではない。フィルムを巻き上げる、あの機械音にもある。