光は、どこで電気になるか。
キヤノン A-1の受光素子は、SPC——シリコンフォトセルと呼ばれる。日本語の資料ではSPD(シリコンフォトダイオード)と書かれることもあるが、キヤノンが使った表記はSPCのほうで、呼び名よりも、この素子が回路に対して何を差し出すかが以降の経路すべてを決めている。ボディは幅141×高さ92×奥行48mm、質量620g、その内側の話になる。
機械式一眼レフの露出計で長く使われてきたCdS、つまり硫化カドミウムの受光素子は、光が当たると自分の抵抗値を下げるので、あらかじめ電圧をかけておけば明るいほど大きな電流が流れ、その電流がメーターのコイルを振らせる構成になる。光の量は抵抗という中間の量を一度経由してから、針の位置という連続量になって目に届いていたわけだ。CdSは暗い場所から明るい場所へ移ったときの追従が遅く、落ち着くまでに数秒を要することがあるとされるが、これも抵抗体の性質に由来する。
対するSPCは入射光に応じた光電流を生む半導体受光素子で、受けた光量に比例した光電流がそのまま素子から流れ出すため、信号処理回路を介して露出演算に利用できる信号となり、針を振らせるための回路ではなく、計算するための回路をその先に置けるようになった。VOL.1で数えた5つのAEは、モードの数が先にあったのではなく、この一点の上に積み上がっている。
測り方はTTL開放中央部重点平均測光で、レンズを開放にしたまま、画面中央に重みを付けて平均する。絞り込まずに測れるからファインダーが暗くならず、キヤノンFDマウントが開放F値と設定絞り値を機械的にボディへ伝えるので、演算側は測光値・フィルム感度・レンズの絞り情報という3種の入力を揃えられる、という順序になっている。
扱える光の幅は、ASA100・F1.4レンズでEV−2から18あたりまでとされ、幅にして20段ぶん。感度ダイヤルはASA6から12800まで刻まれていて、log2(12800÷6)で11段ぶんにあたるが、常用がASA100だった時代に上下へこれだけ振った設定幅が刻まれていたことになる。実写で端まで使う機会は乏しく、刻印の幅は、実用の幅よりも広いところに引かれていた。
そのSPCは、A-1で初めて載ったわけではなく、2年前の1976年4月に出たキヤノン AE-1がすでに使っている。
| 発売年 | 1978年 | 1978年4月 |
|---|---|---|
| ボディ当時価格 | 83,000円 | ボディのみ |
| 質量 | 620g | 電池別 |
| 幅 | 141mm | |
| 高さ | 92mm | |
| 奥行 | 48mm | |
| 最長秒時 | 30秒 | 電子制御 |
| 最短秒時の分母 | 1,000分の1秒 | 1/1000秒 |
| シャッターダイヤル総ポジション | 18ポジション | 秒時16+B+X |
| 秒時ポジション数 | 16段 | 区間数は15 |
| X接点同調速度の分母 | 60分の1秒 | 1/60秒 |
| ファインダー視野率 | 93.4% | |
| ファインダー倍率 | 0.83倍 | 50mm無限遠時 |
| ファインダー内表示項目数 | 2項目 | 速度と絞り値 |
| 電源電圧 | 6V | 4LR44/4SR44 |
| フィルム感度下限 | 6ASA | |
| フィルム感度上限 | 12,800ASA | |
| 露出補正範囲 | 2EV | ±2EV・1/3段刻み |
| 測光連動範囲 下限 | -2EV | ASA100・F1.4時 |
| 測光連動範囲 上限 | 18EV | ASA100・F1.4時 |
| AEモード数 | 5モード | VOL.1で検証 |
| モータードライブ MA 連写速度 | 5コマ/秒 | 別売 |
| パワーワインダー A 連写速度 | 2コマ/秒 | 別売 |
| 巻き上げ角 | 120度 | 分割巻き上げ可 |
| 予備角 | 30度 | |
| 生産終了年 | 1985年 | 1985年 |
つまりA-1で光が電気になったのではなく、電気になったあとの行き先が変わった、と言ったほうが正確で、その行き先の最初の出口が、ファインダーの下端だった。
針が示していたもの。
電流になった光は、経路の終わりでもう一度、人の目に見える形へ戻ってくる。機械式機ではそれが針で、A-1では数字だった。
指針式のメーターが運んでいた情報は、実のところ2種類ある。ひとつは針の位置で、適正からどれだけずれているかを目盛りとの関係で示し、もうひとつは針が動く速さで、被写体の明るさが増えているのか減っているのかが、覗いているあいだに分かった。目盛りと目盛りの中間に針が止まればその中間であることもそのまま読めたから、針が見せていたのは最初から最後まで連続量だったことになる。
A-1のファインダー下部に並ぶのは、7セグメント式の赤色LEDである。7本の棒の点灯の組み合わせで数字をかたどる素子なので、1桁が取りうる状態は0から9までの10通りにとどまり、絞り値のように2桁を使っても100通りしかなく、その間に中間は存在しない。光がSPCで電流になり、信号処理と演算を経て、最後に有限の数字として表示されるわけだが、表示器そのものが信号の離散化を行うと断定するのは正確ではない。
落とすことで得たものは、はっきりしている。発光する数字は暗い場所でそのまま読めるので、針のように外光の回り込みを当てにしなくてよく、シャッター速度と絞り値という2項目を同時に出せるのも、位置でしか値を示せない指針1本には無い芸当だった。30秒という長秒時まで、数字なら桁を増やすだけで表示できる。視野率93.4%、倍率0.83倍のファインダーの下端に、撮影条件が2つ並んで光るという画になった。
失ったのは、針の速さのほうである。数字は切り替わるだけなので、雲が動いて明るさが変わっていく過程は、F8がF5.6になった、という2枚の静止画としてしか届かず、AEロックを押す指のタイミングを針の動く向きで決めていた撮り方は、ここで使えなくなった。
もっとも、1978年の時点で針が古かったわけではなく、同じAシリーズには指針追針式のAT-1が1977年から並んでいたし、同じ1978年に出たニコン FEも絞り優先AEを指針式の表示で見せていて、針と数字はしばらく店頭に並存していた。赤い数字がファインダーに入ってきたことは、カメラの中だけで起きた変化でもない。
赤い数字が並んだ年。
1970年代の後半、赤い7セグメントは家の中にも入ってきていた。卓上の電卓も枕元の目覚まし時計も、夜になると数字が赤く光るようになり、数字が発光すること自体は珍しくなくなりつつあった。その赤がファインダーの中にも現れたという順序で見ると、A-1の表示は1978年の生活の側と地続きになる。
A-1が立っていた土台は、2年前のAE-1が作っている。従来機に対して約300点の部品を減らした設計で、連写一眼というコピーのテレビCMとともに売られたAE-1は発売から18か月で累計100万台に達し、2021年9月15日には国立科学博物館の重要科学技術史資料——いわゆる未来技術遺産に登録されている。
価格と質量を並べると、2年ぶんの差は小さい。AE-1がボディ81,000円で590g、A-1が83,000円で620gだから、差は2,000円と30gにすぎず、箱の外から分かる違いではないが、増えたのは表示素子と演算回路の側で、AEの数は1から5になった。
Aシリーズは1976年のAE-1から1985年までに6機種が出ていて、1977年のAT-1、1979年のAV-1、1981年のAE-1 PROGRAM、1982年のAL-1が同じ系列に並ぶ。マニュアル露出機も絞り優先専用機も同居していたなかで、A-1だけが全数ブラック仕上げで、シルバークロームの正規設定を持たない。
表示と演算を積み増した機械が、次に何を刻めるようになったか——その効き目がいちばん露骨に出たのは、シャッターダイヤルの刻印のほうだった。
30秒から1/1000秒まで。
A-1のシャッターは横走り布幕フォーカルプレーンで、幕そのものは機械だが、幕を走らせる時間を決めているのは電子回路になる。ダイヤルの上には18のポジションがあり、内訳は秒時16段とB、そしてX——1/60秒固定のストロボ同調位置で、秒時の列とは別に、同調速度が独立した刻みとして立っている。
16のポジションは、1/1000、1/500、1/250と降りてきて、1秒を越えてから2、4、8、15、30と並ぶ。カタログが15段と数えるのは刻印の数ではなく刻印と刻印のあいだの数で、16ポジションなら区間は15という引き算になる。
TIPS
15段は、隙間の数。
シャッターダイヤルのポジションは全部で18、うち秒時は16。段数は刻印ではなく刻印と刻印のあいだを数えるので、16ポジションなら15段になる。両端の比は30,000倍、対数で割れば14.873段で、15ちょうどではない。
ところが、両端の名目値どうしを割ると15にならない。30秒と1/1000秒の比は30,000倍、これを段に直すとlog2(30000)で14.873段となり、15には0.127段足りない計算になるが、この差は制御の精度ではなく、秒時の呼び名を丸めてきたことの積み上がりである。
14.87段
30秒と1/1000秒の比を、段に直した値
カタログの15段との差は0.127段。制御の精度ではなく、秒時の呼び名を丸めてきたことが積み上がった結果にあたる。
刻みをひとつずつ見ていくと、丸めの出どころが分かる。1/125から1/60へはlog2(125÷60)で1.059段と1段より広く、1/15から1/8へはlog2(15÷8)で0.907段と1段より狭いうえ、長秒時側の8秒から15秒も同じ0.907段なので、縮んだぶんはそのまま端まで持ち越される。
1/1000秒を起点にきっちり2倍ずつ積み上げていくと、15秒と呼ばれている位置の厳密値は16.384秒、30秒と呼ばれている位置は32.768秒になる。表示の30秒と32.768秒の差は−0.127段で、両端の比から出た不足とぴたり同じ値だから、15段という数え方と14.873段という計算は、どちらも正しいまま両立している。ダイヤルに32.768と刻んだカメラは、さすがに売りにくかったはずだ。
長秒時の側は、機械式では届かない領域にあたる。歯車とアンクルで時間を作るガバナーは1秒前後が実用上の限界とされ、それより長い露光はB(バルブ)と時計に委ねるのが通例だったので、1秒から30秒までのlog2(30)で4.91段ぶんは、回路が充電時間で秒時を作るようになって初めて刻みとして数えられる範囲になった。同じキヤノンのAE-1が2秒までだったことを思えば、A-1は2年で長秒時側だけを約4段伸ばしたことになる。
巻き上げは120度、予備角30度で分割巻き上げもできるという、ここだけは手の仕事が残っている部分を挟んで、レリーズは電気へ渡される。
A-1のレリーズは電磁レリーズで、ボタンを押す力は幕を解放する力ではなく、電磁石を働かせるためのスイッチを閉じる力になっている。押し込みが浅くて済む代わり、この一段が入った時点で、シャッターは電源の側に属することになった。
6Vが切れたとき。
電源は4LR44、あるいは酸化銀型の4SR44という電池1本で、公称6V。1.5Vのセルを4個縦に積んだ積層構造で、4LR44は直径13.0×高さ25.2mm、容量は約150mAh、4SR44は約170mAhとされ、放電末期まで電圧が落ちにくいぶん、電圧で挙動が決まる回路には酸化銀型のほうが読みやすい。
機械式機が積んでいたのは1.5Vのボタン電池1個で、その仕事は露出計の針を振らせることだけだったが、A-1の6Vは電圧にして4倍にあたり、賄う先は演算回路とLED表示と電磁レリーズの全部になる。ファインダー内の表示を消すスイッチが付いているのも、バッテリーチェックが独立した機能として立っているのも、電気が有限の資源として設計の表側へ出てきたからにほかならない。
6V
A-1を動かしている電圧
露出計だけを動かしていた機械式機の1.5Vに対して4倍。この6Vが切れると、ミラーも幕も健在のままシャッターは一度も走らない。
そして、ここが機械式との境目になる。A-1には、電池が切れたときに使える機械式の秒時が用意されておらず、巻き上げレバーは引けるしミラーもシャッター幕も機械として存在しているにもかかわらず、6Vが無ければ電磁レリーズが働かないので、幕は一度も走らない。
同じ1978年に出たニコン FEが、電池切れ時にM90——1/90秒とBだけは機械で残したとされるのと比べると、線の引き方が違う。どちらが正しいという話ではなく、A-1は全部を電気の側へ渡す代わりに、5つのAEと2項目の数字表示と30秒を受け取った、という取引になっている。1971年のキヤノン F-1が機械式のプロ用機として併売されていたことを思えば、1978年の店頭には両方の思想が並んでいたことになる。
電気の系は、ボディの外へも延びている。ホットシューに専用のスピードライト 199Aを載せれば同調速度と表示が自動で切り替わり、モータードライブ MAを付ければ毎秒5コマで巻き上げるという具合に、外部機器までが同じ6Vの系に連なる構成で、電池室の蓋を開けるところから撮影が始まるという手順は、このときすでに出来上がっていた。
DUAD SELECT
押し入れから出した個体に、最初に要るもの。
A-1は6Vが無ければシャッターそのものが走らないので、確認は電池から始まる。遮光材の粉化は自分で手当てできる範囲に入っていて、業者の領分になるのはミラー駆動部の鳴きのほうだった。
放電末期まで電圧が落ちにくいため、電圧で表示と秒時が決まる回路では挙動が読みやすい。
4SR44(酸化銀電池)
公称電圧: 6V・公称容量: 約170mAh・構成: 1.5Vセル4個の積層・適合: キヤノン A-1(1978年)
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まず動くかどうかを見るための確認用として、入手性と価格で選びやすい。
4LR44(アルカリ電池)
公称電圧: 6V・公称容量: 約150mAh・寸法: 直径13.0×高さ25.2mm
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中古個体の状態欄に併記されるモルト劣化は、裏蓋まわりの貼り替えで手当てできる範囲にある。
モルトプレーン交換用シート
用途: 裏蓋まわりの遮光材交換・対象症状: 経年による粉化・対象機: キヤノン A-1(1978年発売)
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電気が通らなくなるところ。
1978年4月に出た機械が、48年を超えた。電池を入れればLEDは点き、SPCは光に反応し、演算回路は数字を返すが、先に音を上げたのは、経路のいちばん機械寄りにあたる場所だった。
中古店と修理業者のあいだでは、シャッター鳴きと呼ばれている症状がある。巻き上げてレリーズするとミラー駆動部から高い音が出る状態を指す呼び名で、メーカーの用語ではないものの、中古在庫の状態欄にそのまま書かれるところまで定着した。原因は駆動部の潤滑切れとされ、修理業者は注油で対処するが、それで恒久的に収まるとは限らない。
TIPS
鳴きは、フィルムを入れる前に分かる。
判定に要るのは巻き上げ1回とレリーズ1回で、フィルムは要らない。2017年1月9日時点の中古在庫には、状態ランクC・9,800円の個体にシャッター鳴きとモルト劣化を併記した例がある。ショーケースの前で触らせてもらえるなら、耳を近づけて一度切れば済む。
この症状の特徴は、値札の語彙になっているところにある。2017年1月9日時点の中古在庫には、状態ランクC・9,800円の個体に、シャッター鳴きとモルト劣化を併記した例があった。モルトプレーンは裏蓋まわりの遮光に使われるウレタン材で、経年で粉化していくから、この2つが並んだ時点で値は決まる。
キヤノンによるA-1のメーカー修理は終了しているが、使用説明書はcanon.jpのフィルムカメラ商品マニュアル一覧に5.1MBのPDFとして残っていて、ファインダー内表示の全項目も電池の指定も、いま手元で開ける。直す窓口が閉じたあとに、使い方を書いた紙だけがPDFとして残るという古び方は、この世代の機材ではまだ恵まれた部類に入る。
A-1の生産は1985年に終わり、翌1986年のT90を最後にFDマウントの最上位機は打ち止めになって、1987年にはEOSシリーズが出てマウントごと入れ替わった。1978年から数えて9年、レンズとボディのあいだの連動が機械から電気の接点へ渡し直された期間にあたるが、その9年の入口で、ボディの中の経路を先に電気へ渡していたのがA-1だった。
鳴いているのは電気ではない。受光素子、演算回路、表示器が正常に動作する個体もあるが、電子部品も経年劣化や故障とは無縁ではない。古びたのは、ミラーを跳ね上げる金属と、そこに塗られていた油のほうである。
数字を表示することと、デジタル制御すること。
受光素子が光を電気信号に変え、演算回路が露出を決め、ファインダーに数字が灯る——この三つは連続した工程ではあるが、同じ現象ではない。7セグメントLEDは計算結果を人間が読める形にする表示器であって、信号が初めて離散化される場所と断定できるわけではないので、A-1の制御の特徴を説明するときには、受光、信号処理、演算、表示、シャッター駆動を分けて考える必要がある。
また、ファインダーに赤い数字が点灯することだけで電子回路の全機能が正常だとは判定できず、表示が生きていても測光の精度、シャッターの実速度、絞り連動、接点の状態にはそれぞれ別の検査が要る。古い電子制御機の状態を見極めるとき、光るかどうかは入口であって結論ではない。
赤い数字の向こう側。
光はSPCで電流になり、演算回路で段の計算を受け、7セグメントLEDの0から9として人に返り、電磁レリーズで機械へ降りる。30秒から1/1000秒までの16ポジションも、6Vという電源も、この一本を成立させるための条件として並んでいた。そして48年を経たいま、その一本のどこが残っているかは、押し入れの個体に4SR44を入れ、フィルムを通さずに巻き上げて一度切れば分かる。数字が点けば電気の側は生きていて、ミラー駆動部から音が出れば、48年ぶんはそちらに溜まっている。
A-1の光は、受光素子から電子回路へ、演算結果から表示と駆動へと渡された。針の代わりに赤い数字が現れたことは、変化の目に見える部分にすぎない。電源に依存する便利さと制約を引き受けながら、カメラは撮影者の判断を支える装置へと変わっていった。表示の点灯、露出の正確さ、シャッターの作動は別々に確かめる必要がある。だからこそ、半世紀近く前の一台を使う楽しみには、仕組みを理解する喜びも含まれている。