750が538,000円、350が389,000円。
1979年6月22日、ホンダ CB750Fが発売された。価格は538,000円、年間生産計画は輸出を含めて15,000台。空冷4ストロークDOHC4バルブの748ccが68PSを出し、国産大型スポーツの基準値はしばらくここに置かれていた。
その約21か月後に並んだヤマハ RZ350は389,000円で、差額は149,000円。CB750Fの72.3%の値段で買えて、排気量は347cc——750の46.4%しかない。出力も45PSだから66.2%にとどまるが、ここに一つだけ逆向きの数字が混じる。重量が143kgで、CB750Fの乾燥重量とされる228kgに対して62.7%だったことだ。出力比66.2%に対して重量比62.7%、その3.5ポイントの差が割り算の答えをひっくり返した。
もっとも、比べる相手の数字のほうが揺れている。CB750Fのパワーウェイトレシオは3.24、3.35、3.63と三通りが流通しており、原因は分母にある。乾燥228kgで割れば228÷68=3.35、車両重量247kgで割れば247÷68=3.63になり、19kgの定義差が答えを0.28も動かしてしまう。1979年のホンダのリリースに書かれているのは価格と生産計画で、重量の欄はそもそも存在しない。
それでも、値札のほうは一円単位で残っている。1PSあたりの価格を出すとCB750Fが7,912円、RZ350が8,644円。1ccあたりでも719円と1,121円で、単価ではどちらもナナハンに軍配が上がる。
| ヤマハ RZ350 1PSあたり価格 | 8,644円/PS | 389,000÷45 |
|---|---|---|
| ホンダ CB750F 1PSあたり価格 | 7,912円/PS | 538,000÷68 |
| ヤマハ RZ350 1ccあたり価格 | 1,121円/cc | |
| ホンダ CB750F 1ccあたり価格 | 719円/cc | |
| ヤマハ RZ350 車両価格 | 389,000円 | 1981年 |
| ホンダ CB750F 車両価格 | 538,000円 | 1979年 |
つまり350が安かったのは、パワーでも排気量でもなく、重さのほうだった。
3.17という数字の作り方。
RZ350の諸元表でいちばん効く数字は45PSではなく、143kgのほうである。
143を45で割れば3.17という値が出る。ヤマハがRZ250の3.97kg/PSと同じ物差しでこの値を並べており、逆算しても辻褄は合う。35PS×3.97=138.95はRZ250の公称車両重量139kgとほぼ一致し、143÷3.17=45.11は45PSと整合する。どちらも乾燥ではなく車両重量で計算されている、ということになる。
分母の作り方は、フレームに出た。RZ250のフレームは13kgで、空冷のヤマハ RD400比で20%軽い。エンジン単体でも12%軽く、水冷化して冷却水とラジエーターとホースを足したうえで、元より軽くなっている。橋本秀夫の言い方はこうだった——「当時はアルミなども贅沢な材料だったから使いにくくて、鉄という素材をどこまで使いこなして良い結果に結びつけるか、というところが勝負でしたね」。
この軽さが350にそのまま引き継がれる。出力は35PSから45PSへ10PS増、率にして28.6%。対して重量は139kgから143kgへ4kg増、率にすればわずか2.9%にとどまったので、割り算の結果は3.97から3.17へ、20.2%改善した。
ただし単位排気量あたりで見ると、350は250に負けている。45PS÷0.347Lで129.5PS/L、RZ250は35PS÷0.247Lで141.5PS/L。エンジンとしての密度では250のほうが高く、それでも走らせたときの数字で350が勝つのは、100ccを足す代償が車体側でほとんど発生しなかったからにほかならない。
参考までに、CB750Fが3.17に並ぶ条件も計算できる。68PSのままなら車重215.6kgが必要で、乾燥228kgでも12.4kg足りない。228kgのままなら71.9PSが要るので、公称68PSでは3.9PS及ばないことになる。どちらから詰めても、絶望的な距離ではないのに届いていない。
ボアを10mm広げただけではない。
RZ350のボア×ストロークは64mm×54mm。ここで見るべきはボアの64mmではなく、ストロークの54mmがRZ250とまったく同じだという点にある。
ちなみに、RZ250は54×54のスクエアである。350はボアだけを10mm広げて247ccを347ccにしたので、ボア/ストローク比は1.000から1.185へ動き、はっきりショートストローク型になった。
ストロークを据え置くと、クランクの回転半径が変わらないから、クランクケースの基本寸法もエンジンの全高も動かない。搭載位置もフレームの取り付け点も、そのまま流用できる。100cc増やして4kg増で済んだ理由の大半はここにあり、増えたのはシリンダーの肉厚とピストン・燃焼室の直径、それに冷却水の通り道ぶんだけということになる。
さらに、2ストローク特有の事情もある。バルブを持たないこの形式では、ポートの高さと開いている時間がピストンの上下位置だけで決まるため、ストロークを変えれば掃気と排気のタイミング設計をやり直すことになる。市販レーサーのヤマハ TZ250/TZ350で積み上げた水冷2気筒の知見を使い切るうえでも、ストロークを固定してボアで稼ぐのは最短の道だった。
1気筒あたりに直せば173.5cc、22.5PS。最高出力は8,500rpmで発生し、最大トルク3.8kg-mは8,000rpm、その差はわずか500rpmしかない。回して使う以外に選択肢がないエンジンだったことを、諸元表がそのまま白状している。
そして、45PSは止めなければならない。RZ350のフロントブレーキは、250のシングルディスクからダブルディスクへ変わった。増えた10PSの代償は、前輪に円盤1枚として現れたわけだ。RZ250の354,000円との差35,000円を10PSで割れば3,500円/PSだが、その35,000円の中身はシリンダーの拡大よりも、ディスクとキャリパー、マスターシリンダーまわりの原価が効いていたと考えられる。
なお、数字を一度ここで上から並べておきたい。型式4U0、1981年時点の公称値である。ヤマハ RZ250の型式は4L3で、欧州では同じ350がRD350LCの名で売られた。LCはLiquid Cooled——水冷であることだけを車名にするほど、当時の2ストにとってこの変更は大きかった。
| エンジン形式 | 2気筒 (水冷2ストローク並列・ピストンリードバルブ) | |
|---|---|---|
| 総排気量 | 347cc | |
| ボア | 64mm | RZ250比+10mm |
| ストローク | 54mm | RZ250と共通 |
| ボア/ストローク比 | 1.19 | 換算値 |
| 1気筒あたり排気量 | 173.5cc | 換算値 |
| 最高出力 | 45PS | 8,500rpm |
| 1気筒あたり出力 | 22.5PS | 換算値 |
| 最大トルク | 3.8kg-m | 8,000rpm |
| 出力/トルク発生回転差 | 500rpm | 換算値 |
| リッター出力 | 129.5PS/L | 換算値 |
| 車両重量 | 143kg | |
| パワーウェイトレシオ | 3.17kg/PS | ヤマハ公式 |
| 単位重量あたり排気量 | 2.43cc/kg | 換算値 |
| 燃料タンク容量 | 16L | 確度低 |
| フロントブレーキ ディスク枚数 | 2枚 | RZ250は1枚 |
| リアサスペンション形式 | RZ250から継承 | |
| 発売価格 | 389,000円 | 1981年 |
| 1PSあたり価格 | 8,644円/PS | 換算値 |
| 1ccあたり価格 | 1,121円/cc | 換算値 |
| RZ250からの排気量増 | 100cc | |
| RZ250からの重量増 | 4kg | |
| RZ250からの出力増 | 10PS | +28.6% |
| RZ250からの価格差 | 35,000円 | 1PSあたり3,500円 |
割り切れない思いが、水冷を選ばせた。
1970年代、米国のEPA規制が2ストロークを排出ガスの面から追い詰めていった。国内各社は4ストロークへ重心を移し、ヤマハも例外ではない。
1979年、ヤマハは排気管の出口にバタフライバルブを取り付けた改良型のヤマハ RD400を出す。排気の流れを絞って規制値に収める手法だが、絞れば当然、出るものも出なくなる。残ったのは「エンジンパフォーマンスの低下を免れることはできず、開発に携わった技術者の多くが割り切れない思いを抱えていた」という一行だった。
そこへ、本社に届いた声がある。「ヨーロッパではまだ多くのライダーが2ストロークのピュアスポーツを望んでいる」——規制で殺されかけている側の技術者にとって、これほど効く報告もない。
水冷2気筒という答えは、思いつきではなかった。TZ250/TZ350という市販レーサーで、水冷の並列2気筒はすでに走り込まれている。空冷ではシリンダーが熱で歪み、ポートの縁の精度が保てず、圧縮比も安全側へ逃がすしかないところを、水温を管理できれば設計値を詰められる。冷却系ぶんの重量増は、フレームを13kgまで削ることで帳消しにした。
エンジン設計チーフは岡村忠、エンジン実験チーフは石本幹雄、車体設計チーフが橋本秀夫。1979年のパリショーで発表されたRZ250が国内で発売されたのは、1980年8月だった。
「これが最後だ」と言われて作った。
橋本がプロジェクトリーダーに呼ばれたとき、渡された指示は仕様書ではなく一言だった。「これが最後の2ストロークスポーツだ。とにかく俺たちにできることはすべてやろう」。
この号令は、比喩ではなく作業指示として実行されている。モトクロッサーとロードレーサーで使っていたモノクロス式リアサスペンションが、市販ロードスポーツとして初めて量産車に降りた。65/55Wのハロゲンヘッドライト、軽量キャストホイール、チューブレスタイヤ——できることはすべて、の中身はこの粒度だった。
価格が安かった理由も、本人が語っている。「私は絶対に自分でこのバイクを買うと決めていましたから、価格を高くするわけにはいかなかった」。設計者が自腹で買う前提で原価を睨んだ結果が、354,000円であり、389,000円である。
狙った乗り味も具体的だった。「高速道路をビューンと走って、サービスエリアに入ったらすぐにソバが食べられるバイクにしたいと思っていたんですよ」——理由は続きにある。「それまでの2ストロークは、振動で手がしびれて箸が持てないって言われていましたから」。3.17kg/PSと同じ設計思想の下に、箸が持てるという目標が並んでいたことになる。
そして、戦っていた相手は他社ではなかった。当時のヤマハ発動機は2ストロークを担当する第3技術部と、4ストロークを担当する第4技術部がフロアを壁で隔てており、互いのライバル心はかなり露骨だったという。テストコースで鉢合わせしたときの言葉が残っている——「向こうの650ccに負けてなるか」。ナナハンキラーという渾名が外から付く前に、社内には廊下の向こうの650ccという仮想敵がいたわけだ。
なお、この一台を「火を消さないため」の延命策と説明する向きに対して、橋本ははっきり否定している。「それは正しくない。正真正銘、ヤマハ最後の2ストロークスポーツとして取り組んだわけです」。
計画台数の、3倍から4倍。
最後のつもりで打った一台は、売れた。1980年8月に発売されたRZ250は、当初の企画台数の3〜4倍という数を出してしまう。生産計画を三重四重に踏み越えた「最後」が、次の企画書を書かせることになった。
RZ350の投入は、RZ250の発売から約7か月後の1981年3月。応答としては、かなり速い。
店先の空気そのものが、いまとは密度が違っていた。国内二輪の出荷台数は1982年に328万5,000台でピークを打ち、現在はそこから約8割減という水準にある。RZ350が並んだ1981年は、その頂点の前年にあたる。16歳で原付免許を取り、18歳で中免を取りに行った時期と、日本で二輪が最も売れた年が、そのまま重なっている世代がいる。
3,285,000台
1982年の国内二輪出荷台数(ピーク)
RZ350が並んだ1981年の翌年に、国内二輪の出荷台数は頂点を打った。現在はここから約8割減という水準にある。
その1982年6月3日、ホンダはCB750Fの改良型を発売している。挙げられていたのは乗り心地と操縦性能の向上で、パワーウェイトレシオの話ではない。王座を奪われたという筋書きで語られがちだが、数字の土俵がそもそも違っていた。
同じ年の熱は、紙の上にも降りていた。1981年の週刊少年ジャンプに池沢さとしの『街道レーサーGO』が載り、高校生の主人公が駆るのがRZ350。発売の年に少年誌の主役になった量産車は、そう多くない。
TIPS
冬は、ラジエーターを塞ぐ。
2ストは水温が上がりきらないと本来の走りが出ず、冬の高速道路は外気温が低いうえに風が当たり続けるので、放っておくと低いまま安定してしまう。そこでラジエーター前面をガムテープで塞ぐ。貼るのは下から——上から貼ると温度の振れが大きくなる。RZ250で3分の2まで塞いだ例があるが、適量は気温と走り方で変わるので、貼ったら停めたままにせず、走って水温計を見ながら足し引きする。
そして模型の棚にも残っている。ハセガワ 1/12 RZ350(4U0)1981年式(品番BK15、本体3,400円・税込3,740円、完成全長174mm)は、250のキットに対して350用シリンダーブロック、リアホイール、ハンドル基部、フロントブレーキディスクの4点を追加部品として持つ。実車の250→350の差分が、そのままランナー上の差分になっているというわけだ。ニューヤマハブラックの1982年式は品番21763で、別キットとして用意された。
DUAD SELECT
250との差分を、手で確かめる。
RZ350が250から何を変えたかは、追加された部品を数えるのが最も早い。ハセガワの1/12キットは、250のキットに対して350用シリンダーブロック、リアホイール、ハンドル基部、フロントブレーキディスクを足す構成になっていて、実車の差分とそのまま重なる。白タンクの1981年式とニューヤマハブラックの1982年式は別キットなので、同じ4U0の年式差を色で並べることもできる。
250からの追加プラ部品4点が、実車の250→350差分とそのまま一致する。本文で扱った「何が増えたか」を手元で確認できる。
ハセガワ 1/12 ヤマハ RZ350(4U0)1981年式 プラモデル
品番: BK15・縮尺: 1/12・完成全長: 174mm・価格: 本体3,400円・税込3,740円(メーカー公表、2026年9月19日時点)・対象: 1981年式 白タンク
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同じ4U0でも塗色が違う1982年モデル。1981年式の白タンクと並べると、2年しかなかった4U0の年式差が色で分かる。
ハセガワ 1/12 ヤマハ RZ350(4U0)1982年式 “ブラックカラー” プラモデル
品番: 21763・縮尺: 1/12・完成全長: 174mm(1981年式と共通)・対象: 1982年式 ニューヤマハブラック
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43馬力のほうが、速くなった。
1983年、RZ250Rが出る。最高出力は43PS/9,500rpm、車両重量145kg、価格399,000円。45PSから2PS下がった数字だけを見れば後退だが、中身は逆を向いていた。
積んだのはYPVS——量産車で初となる排気デバイスである。2ストロークの排気ポートは、高く開ければ高回転で吹け上がるかわりに低中速がスカスカになり、低く抑えれば下は出るが上が伸びない。その高さを回転数に応じて機械的に動かし、低中速では低く、高回転では高くしてしまう。点火はCDI。3年前に8,000rpmだった最高出力の発生点は9,500rpmへ、1,500rpm上の領域まで持っていかれた。リッター出力は141.5PS/Lから174.1PS/Lへ、32.6PS/L増えている。
ただし、ここで妙な逆転が起きる。RZ250Rの145kgは、100cc大きいRZ350の143kgを2kg上回った。価格も399,000円で、2年前の350より1万円高い。排気量が小さく後から出たモデルのほうが重くて高い、という並びが、装備を足し続けた結果として残っている。
それでもパワーウェイトレシオは145÷43で3.37。250ccが、CB750Fの3.35(乾燥基準)にほぼ並んだ。2年前に350がやったことを、250が単体でやってのけたことになる。
| ヤマハ RZ350 車両重量 | 143kg | 1981年 |
|---|---|---|
| ヤマハ RZ250R 車両重量 | 145kg | 1983年 |
| ヤマハ RZ350 価格 | 389,000円 | |
| ヤマハ RZ250R 価格 | 399,000円 | +10,000円 |
| ヤマハ RZ350 最高出力 | 45PS | 8,500rpm |
| ヤマハ RZ250R 最高出力 | 43PS | 9,500rpm |
| ヤマハ RZ350 PWR | 3.17kg/PS | |
| ヤマハ RZ250R PWR | 3.37kg/PS | 145÷43 |
2.7になって、825,000円になった。
RZ350の成功を受けて、1982年に一つの企画が動き出す。ケニー・ロバーツのヤマハ YZR500(OW61)のレプリカを、市販車として出すというものだった。
1984年に発売されたRZV500Rは、水冷2ストロークV型4気筒499cc。1気筒あたり124.75ccで、RZ350の1気筒173.5ccより小さい。国内仕様は自主規制枠の64PSで、乾燥重量173kg、パワーウェイトレシオは公称2.7kg/PS——173÷64=2.703だから、この数字も計算が合う。輸出仕様は2.0と公表されており、同じ173kgで成立させるには86.5PSが要る(推定値)。
なお、価格は約825,000円だった。当時の750cc4ストスポーツが約650,000円だったので、約127%、175,000円高い500ccということになる。RZ350の389,000円から数えれば2.12倍で、3年でここまで昇った。
売れ方は非対称だった。国内約3,700台に対して海外約10,200台、合計約13,900台のうち国内は4分の1ほど。RZ250の企画を動かしたのは、ヨーロッパから届いた声だった。その声が、4年越しに台数として返ってきた形になる。
もうひとつ、静かに笑える数字がある。RZV500Rの国内仕様のリッター出力は64÷0.499で128.3PS/L。RZ350の129.5PS/Lと、ほぼ同じだ。気筒数は2倍になり、V型になり、WGPレプリカになったのに、単位排気量あたりの出力はほとんど動いていない。上限を決めていたのは技術ではなく、国内自主規制の枠のほうだった。
最後のつもりが、次を始めた。
RZV500Rには「2ストロークのラストエンペラー」という呼び名が付いた。1979年の「これが最後の2ストロークスポーツだ」から数えて、2度目の最後である。
その「最後」の翌年、1985年11月にTZR250が出る。装飾としてのレプリカではなく、レーサーの走りそのものを市販車で追ったモデルで、以後の潮流はここへ移った。さらに1990年にはヤマハ R1-Zが出て、TZRのエンジンを受けた直系が続く。RZ250の発売から数えれば、TZR250まで約5年3か月、R1-Zまで約10年。最後のつもりで立てた線が、10年動き続けたことになる。
なぜそうなったのかを、橋本自身が説明している。「最初は、金平糖のようにカドが立って個性的だった2ストロークエンジンが、いつの間にか丸いアメ玉のようになりかけていた」——規制と排気デバイスで角を落とされていく過程を、これほど短く言った表現も少ない。そこへ角の立った一台が現れ、他社が同じ土俵に戻ってきた。「あの時、他社が追いかけてこなかったら、おそらく、RZは本当に最後の2ストロークスポーツになってしまったでしょうね」。
TIPS
中古で見るのは、まず止まる側。
RZ350は45PSに対してフロントがダブルディスク、RZ250はシングル。1枚か2枚かが250との最大の外観差なので、エンジンの調子より先にディスクの摩耗とキャリパーの固着、マスターシリンダーのにじみを見る。35,000円の価格差の相当部分がこの前輪に乗っていたと考えれば、どこから確認すべきかは自然に決まる。
純粋なRZ350(4U0)が売られたのは、1981年から1983年のRZ350Rまでの約2年ほどしかない。欧州ではRD350 YPVSへ引き継がれた。短い期間に、143kgと45PSと389,000円という三つの数字だけを残していったわけだ。
45PSは、いま見れば大型二輪の半分にも届かない。それでも3.17という割り算が、538,000円の748ccを正面から追い回した年は確かにあった。RZ350とRZ250を見分けたければ、前輪を見ればいい。ディスクが2枚あるほうが350で、増えた10PSは、いまも円盤1枚の形で外に出ている。
3.17が連れていった先。
143kgを45PSで割れば3.17。この一行の割り算が、1981年に350ccを750ccの土俵に上げた。ただし、その比較は同じ物差しで並んでいない可能性があり、確実に同一基準で並ぶのは、ヤマハ公式内の3.17と3.97だけになる。
RZ350が本当に成し遂げたのは、750に勝ったことではなく、100cc増やして4kgしか増やさなかったことだ。ストロークを54mmのまま動かさず、ボアだけ10mm広げた——その節約が、20.2%の改善として出た。そして「これが最後の2ストロークスポーツだ」として作られたRZ250は企画台数の3〜4倍売れ、7か月後にRZ350を、2年後にYPVSのRZ250Rを、3年後に825,000円のRZV500Rを呼び、5年3か月後のTZR250、10年後のR1-Zまで線がつながった。
最後のつもりで打った点が、次の始点になっている。持ち帰るものを1つだけ挙げるなら、いま手元のバイクの車検証にある車両重量を、カタログの最高出力で割ってみることだ。3.17より大きいか小さいか。45年前の350が、どの位置にいたかが体感で分かる。