一生、夢中。

BIKES|MOTORCYCLES

1975年も、免許は1種類。

ナナハンは、教習所では習えなくなった。

SHARE
1975年も、免許は1種類。

白いジェットヘルメットと黒い手袋。試験場のコースに引かれた白線と、一本橋の上でだけ聞こえる自分の呼吸。

1975年10月1日、二輪免許に「限定」が入った。この日を境に、ナナハンは性能ではなく紙の上で遠くなった。

ただし、この改正で新設されたのは免許の種類ではない。免許証の条件欄に書かれる一行である。中型限定の免許でホンダ CB750FOURに跨がっても、法的には無免許運転ではなかった。条件違反と無免許運転は別の枠にあり、ここが、後の20年を規定した。

この一行は、車体にも届く。ホンダ CB400FOURは408cc・37PSから398cc・36PSへ変更され、日本市場専用のフレームまで起こされた。10ccのために1PS削ったことになるが、実走で差が分かる人間はほとんどいない。中免で乗れる範囲を、条件欄より先にカタログの排気量欄で覚えた世代がいる。

400という線はどこから来て、1995年に何が変わったのか。免許制度が生み出した排気量の区切りは、メーカーの商品開発にも、ライダーが選ぶ一台にも影響を与えた。日本独自の400cc文化は、免許証の条件欄から始まった。

※本記事にはアフィリエイト広告(プロモーション)を含みます。

1975年10月1日、改正されたのは「免許」ではなく「条件」だった。

1975年10月1日、道路交通法施行規則の一部改正が施行され、自動二輪車免許に小型限定(125cc以下)・中型限定(400cc以下)・限定なしの3区分が導入された。

正確に押さえておきたいのは、免許の種類が3つに割れたのではないという点だ。運転免許の種類としては「自動二輪車免許」が1種類のまま存続し、そこに付す条件(限定)として排気量の上限が書き込まれたので、免許証の裏面あるいは表面の条件欄に「中型二輪のみ」に相当する一行が入る。それだけである。

この構造の違いは、体感としては些細だが、法的帰結としては決定的だった。免許の種類が異なる車両を運転すれば無免許運転になるのに対し、免許に付された条件に違反しただけならそれは条件違反にとどまる。中型限定の免許証を持ってナナハンに跨がった行為は、1975年から1995年までのあいだ、免許を持たない者の運転とは別の枠に置かれていた。

量刑については、諸説あるが違反点2点・罰金6000円という数字が挙げられている。ただしこの数値の出典は掲示板の書き込みであり、当時の法令・通達での一次確認には至っていないため、断定はしない。断定できるのは、条件違反と無免許運転が法的に別カテゴリだったという構造そのものである。

1995年の改正で自動二輪車免許は廃止され、大型自動二輪車免許と普通自動二輪車免許の2種類に分割されたことで、ここで初めて条件による分断が免許種類そのものの分断になり、同じ行為の帰結が条件違反から無免許運転へ跳ね上がった。なお無免許運転の違反点数が25点になるのは2013年改正以降で、1995年当時は別の値だった。分断は1975年に始まり、1995年に完成した二段構えである。

なお1995年改正については、施行日と指定教習所での大型二輪教習開始時期をめぐって「1996年施行・1997年教習開始」「1995年制定」と記述が食い違い、決着していない。制度の日付が20年で曖昧になる程度には、この改正は生活史の側に沈んでいる。

段階的に閉まった扉——1972年の小型自動二輪から数える。

1975年の3区分化は突然の断絶ではなく、それに先行して1972年には125cc以下の小型自動二輪免許が新設されており、二輪免許の細分化は段階的に進行していた。

つまり1975年の区分化は、この段階的な流れの延長線上にあり、二輪という乗り物を排気量で階層化する発想はすでに3年前から制度に入っていた。1975年に起きたのは、その階層の一番上に壁が立ったことだ。400ccという線が引かれ、その上に行くには別の試験が必要になったが、ではなぜ境界が400ccだったのか。

当時の日本市場には350〜400ccクラスの主力車が並んでおり、その並びの上端に線が引かれたことになる。商業の側の事実と、行政の側の事実が、同じ数字のところで重なっている。

結果として、この線は世界的には例外的な市場を作った。中型限定——通称「中免」——が成立させた400ccクラスという日本固有のカテゴリは、1970年代半ばから1995年半ばまで、約20年にわたって国内二輪市場の中心に座り続けたが、輸出には要らない排気量である。免許制度が需要を作り、需要が車体を作った——と読める順序になっている。

小型限定125cc1972年新設中型限定400cc通称「中免」限定なし(実質上限=CB750FOUR 736cc)736cc自主規制による実勢
3区分の排気量上限——線はどこに引かれたか1975年10月1日に導入された3つの限定条件の上限値。この線が約20年、日本固有の400ccクラス市場を成立させた。出典: 普通自動二輪車(Wikipedia)/webオートバイ CB750Four(K0)誕生ヒストリー

10ccのために1PSを削る——条件欄が設計図を書き換えた。

制度が車体に直接手を入れた例が、ホンダ CB400FOURである。

国内発売は昭和49年(1974年)12月、総排気量408cc、最高出力37PS、当時価格32万7000円。この時点では免許に排気量の限定がなかったので、408という数字に何の問題もなかった。

1975年10月1日の3区分化で、408ccは中型限定の枠外に落ちた。400cc以下でなければ中免ユーザーは買えないため、ホンダは1976年3月、排気量を398ccに落とした仕様を出す。最高出力36PS/8,500rpm、最大トルク3.1kg-m/7,500rpm。10ccのために1PS削った、と書けば身も蓋もないが、実際に削られたのは1PSである。

変更は排気量だけではなく、398cc版のフレームは日本市場向け専用で、「くの字型」に曲げられたパイプを持ち、そこにタンデムステップが付く。フレームはダウンチューブとクレードル部でパイプ径が違う。外装では車体色にパラキートイエローが加わってバーニッシュブルーが落ち、サイドカバーがタンク同色からブラックへ変わった。

ハンドルも世代で違い、FOUR-Iは幅705mm・高さ約40mmのセミフラット、FOUR-IIは幅780mm・高さ約111mmのスタンダードで、40mmと111mmという高さの違いに、前傾姿勢の差がそのまま出ている。

ここで効くのは10ccという差の意味で、408と398の実走差を体感できる人間はほとんどいないにもかかわらず、設計は変わり、部品番号は分かれ、車体色まで入れ替わった。走りではなく、免許証の条件欄に合わせるための設計変更だった。

出力を落としてでも、線の内側に入る必要があった。

ホンダ ドリームCB400FOUR 諸元(408cc版と398cc版)
408cc版 エンジン型式CB400FE型
398cc版 エンジン型式CB400E型
種類空冷4ストロークSOHC直列
408cc版 総排気量408cc
398cc版 総排気量398cc
排気量の差10cc中型限定の枠に入れるための差
408cc版 内径(ボア)51mm
398cc版 内径(ボア)51mmボアは変えていない
408cc版 行程(ストローク)50mm
398cc版 行程(ストローク)48.8mm縮めたのはこちら
ストロークの差1.2mmこの1.2mmで10ccを落とした
408cc版 圧縮比9.4:1
408cc版 最高出力37PS8,500rpm
398cc版 最高出力36PS8,500rpm
出力の差1PS10ccのために削った分
408cc版 最大トルク3.2kg-m7,500rpm
398cc版 最大トルク3.1kg-m7,500rpm
変速機常時噛合式リターン
全長2,050mm
全幅705mm
全高1,040mm
軸距1,355mm
燃料タンク容量14L
乾燥重量185kg
408cc版 発売1974年1974年12月5日
398cc版 発売1976年1976年3月6日
2つの発売の間隔15か月その間に免許制度が変わった
生産終了1977年
398cc版(I/II)生産台数6,213台
当時価格327,000円1974年
ホンダ ドリームCB400FOUR 諸元(408cc版と398cc版)ボアはそのまま、ストロークだけ1.2mm縮めてある。走りのためではなく、免許証の条件欄に合わせるための1.2mmだった。Wikipedia「ホンダ・ドリームCB400FOUR」

408と398の違いは、いま図面で確認できる。復刻されたサービスマニュアルやパーツリストは、部品番号の差と日本市場向けフレームのタンデムステップ部を、文章ではなく線で見せてくれる。

部品番号が分かれているということは、408と398が別部品として管理されていたということであり、その分岐は品番の一覧を追えば一行ずつ確認できる。

中古市場には、この10ccの痕跡がいまも残っている。流通する408ccの多くは北米・欧州向けの輸出モデルで、国内408ccは少数であり、2025年に確認された国内408cc個体の販売価格は330万円という水準にある(相場は動く)。さらに厄介なのが「408ccエンジン搭載+398cc公認登録」という車両で、車検証の型式・類別区分番号の記載を突き合わせないと素性が読めない。制度に合わせて縮めた10ccが、40年後の書類審査に残っている。

38万5000円が指し示す10年——CB750FOURとZ400FX。

免許の線が市場に何をしたかは、価格を並べると輪郭が出る。

1969年のホンダ CB750FOUR(K0)は総排気量736cc、最高出力67PS/8,000rpm、当時価格38万5000円で、国内ビッグバイクの起点である。初期型はクランクケースとオイルパンが砂型鋳造だった。極初期の約7,400台がこれにあたり、エンジンナンバー1007415から金型鋳造へ変わっている。国内仕様の型式はK0/K1/K2/K4/K6/K7で、K3とK5は国内に存在しない。欠番の理由は年次改良の周期や型式認定の都合でも起こりうるため、ここから輸出優先の体制まで読み取るのは行き過ぎだろう。

10年後の1979年に出たカワサキ Z400FX(E1)は、総排気量399cc、最高出力43PS/9,500rpm、最大トルク3.5kg-m/7,500rpm、当時価格38万5000円だった。

736ccの起点から10年後に399ccのミドルクラスが同額の値札を付けたわけで、物価上昇を考えれば当然という説明もできるが、読者が跨がった記憶の側では、10年で排気量が半分になっている。

Z400FXの成立は、CB400FOURと対照的だ。CB400FOURは日本市場専用フレームを起こして398ccを作り、2年で生産を終えた(生産終了年については1976年・1977年・「約2年半」と記述が混在しており、決着していない)。対してZ400FXは、輸出向けのカワサキ Z500のボア・ストロークを変更して399ccに落とし込み、輸出モデルと部品を広く共用している。日本の免許制度に合わせながら、専用開発の負担を輸出車と分け合う形になっているわけで、DOHC直4をこのクラスに載せられたのは、この共用があってのことだろう。

乾燥重量については出典間で不一致があり、諸元表の版によって189kgと192kgに分かれる。この程度のズレが残るのが、1979年の車両を2020年代から見るということだ。

Z400FXは最終型E4B(1982年12月)で43万5000円。398/399という数字は、免許の線が引かれてから7年で、市場の主戦場になっていた。

同じ38万5000円で買えたもの——1969年と1979年
CB750FOUR K0 排気量736cc1969年
Z400FX E1 排気量399cc1979年
CB750FOUR K0 最高出力67PS8,000rpm
Z400FX E1 最高出力43PS9,500rpm
CB750FOUR K0 当時価格(万円)38.5万円同額
Z400FX E1 当時価格(万円)38.5万円同額
同じ38万5000円で買えたもの——1969年と1979年1969年のCB750FOUR(K0)と1979年のZ400FX(E1)は、当時価格が同じ38万5000円。10年で排気量は736ccから399ccへ、出力は67PSから43PSへ。値札は動かず、中身が動いた。出典: webオートバイ CB750Four(K0)誕生ヒストリー/バイクのニュース Z400FX

398という数字を持つ車両を、机の上に置くという選択肢もある。1976年3月以降の398cc版をベースにした1/12キットは、サイドカバー黒・当時物の手曲げショート管という、まさに免許制度が生んだ姿で立体化されている。

サイドカバーの黒は408cc版にはなく、398ccへの変更と同時に入った仕様なので、この塗り分けはそのまま1976年3月以降の車両を指す。

統計の残っていない試験——限定解除審査の合格率、1%か5%か10%か。

条件欄の一行を消すための手続きが、限定解除審査である。指定教習所での教習が原則として存在しなかったため、運転免許試験場での技能審査に直接挑む道が主だった。

その合格率は、いま調べても定まらない。「概ね全受験者の1%」「5%と言われた」「試験場によって差があり、高くて10%程度」——三つの説が並立しており、警察庁『運転免許統計』の該当年版で限定解除審査の受験者数・合格者数を確認するには至っていない。全国統一の公表数値には、現時点で未到達である。

諸説のうち一つを選ぶと、この幅そのものが消える。20年続いた制度の審査で、合格率という最も基本的な数字が1%から10%まで10倍の幅で語られているのだから、この幅そのものが限定解除審査の実像に近い。試験場ごとの運用差が大きく統計として集約されていなかったか、あるいは集約されていても市中の資料に降りてきていない。

伝聞として語られる話もある。沖縄県の1975年10月から1976年3月までの限定なし合格者は6名で、全員が白バイ隊員、民間人は0だった——という説だが、出典はコメント欄であり、事実としては扱えない。それでも、この話が語り継がれてきた事実自体が、当時の受験者が抱いた体温を伝えている。

残っているのは、所作のほうである。白いジェットヘルメットに黒い手袋、規定の靴という装備で、一本橋、スラローム、波状路、急制動に臨む。審査は装備の点検から始まり、コースに出る前に落とされることもあった。合格率の分母は、そこにいた全員である。

装備の様式だけなら、いまも再現できる。現行の安全規格に適合した白のジェットヘルメットは、当時の姿と現在の要求を両立させる。

もうひとつの天井——免許の上に、もう一枚。

読者が跨がった時代には、天井が二重にあった。免許による400/750の線と、その上に重ねられたメーカー側の自主規制である。

1969年のCB750FOUR登場以降、排気量がナナハンを超えるモデルは海外向けに限定する方針が続いたため、国内の上限は750cc前後で頭打ちになり、1976年にはホンダ CB750FOUR、ヤマハ GX750、スズキ GS750、カワサキ Z750と、日本4メーカーの空冷4ストナナハンが出揃ったが、免許の天井の上には、もう一枚の板があったことになる。

出力にも天井があり、1980年代の馬力自主規制値は50cc:7.2PS、125cc:22PS、250cc:45PS、400cc:59PSと定められていたが、1992年には250cc:40PS、400cc:53PSへ下げられており、数字が小さくなることを、ここでは強化と呼んでいる。レーサーレプリカが最も熱かった時期に、数字は下げられた。

排気量上限の自主規制が撤廃されたのは1990年で、撤廃後の運輸省型式認定第1号となったヤマハ VMAX1200の国内仕様は97PS/7,000rpm、対する輸出仕様は145PSだったから、同じ車体に48PSもの差が与えられていたことになるが、その差の一因は、国内仕様がV-BOOSTを持たなかったことにある。排気量の上限は外れても馬力の自主規制が残っていた時期にあたるが、そちらが撤廃されるのは2007年7月で、非採用の理由がそこにあったかどうかまでは分からない。

参照値として現在を並べると、スズキ GSX-S750は749ccで112PS、リッター換算149.5PS、これに対して1969年のCB750FOURは736ccで67PSだから、同じ排気量帯で出力は約1.7倍になったことになる。67PSが「国内最強」だった時代を経験した人間にとって、この数字の並びは説明を必要としない。ただ、開発コード代わりの略称が、その後20年以上にわたって「越えられない線の向こう側」を指す言葉になったという経緯は、免許と自主規制という二重の天井の話とよく噛み合っている。

教習料金32,500円という個人証言の位置。

1970年代前半、千葉県で高校2年時に二輪免許を取得したという当事者の記述に、教習料金32,500円という数字がある。

それでも、この数字を1974年のCB400FOUR(408cc)の当時価格32万7000円と並べると比率が見えてきて、教習料金は車両価格のおよそ10分の1の水準にあったことになる。高校生が親に持ち出す交渉のスケールとして、この比率は生々しい。

1975年9月30日という日付が、その生々しさの中心にある。

裏の取れていない運用の上に、動かせない一日が乗っている。この構造をどう年表として組み立て直せるか——それが次回の主題になる。

条件欄が残したもの。

1975年10月1日に起きたのは、免許の種類が3つに割れたことではない。自動二輪車免許は1種類のまま残り、そこに小型限定(125cc以下)・中型限定(400cc以下)・限定なしという条件が付いた。中型限定でナナハンに跨がっても無免許運転ではなく条件違反にとどまる、という法的構造が20年続いた。1995年の改正で免許種類そのものが大型・普通に分割され、同じ行為が無免許運転へ移る。分断は二段構えで完成した。

この一行は、紙の上にとどまらなかった。排気量を削り、日本市場専用のフレームを起こし、値札を10年前の旗艦に揃える。どれもメーカーが自分で決めたことだが、決める理由のほうは免許の条件欄に書かれていた。いま中古で並ぶ1970年代の4気筒を見るとき、その排気量が何を避けて決まったのかは、諸元表のどこにも書いていない。

あなたの夢中に追加

「あなたの夢中」は、DUADに登録すると使えます。入れた記事は、メニューの「あなたの夢中」からいつでも読み返せます。

パスワードはありません。メールアドレスを入れると、ログイン用のリンクが届きます。

登録する

もう一度読みたい記事を、あなたの夢中に。

この記事の夢中ポイント

  • 1975年の改正で免許が3種類に増えた、と語られる。実際には免許は1つのままで、そこに「小型限定」「中型限定」という条件が付いた。
  • 免許を持たずに乗るのと、条件を超えて乗るのは、法律上まったく別の違反になる。前者は無免許運転、後者は条件違反である。
  • 限定解除審査の合格率は、1%・5%・10%という三つの数字が並び立っている。警察庁の運転免許統計には、これに当たる項目が無い。
  • CB400FOURは408ccと398ccがあり、出力も価格もフレームも違う。規制に合わせて作り直された、名前だけ同じ別のバイクである。

最終更新 2026年10月28日

DUAD SELECT

この記事を読んで気になったものを、編集部の視点で選びました。

  • CB750FOUR/CB400FOUR 系のサービスマニュアル・パーツリスト復刻版

    408と398の部品番号差、日本市場向け専用フレームのタンデムステップ部を図面で確認できる。型番まで降りて読むための一次資料に最も近い市販品。

    Amazonで見る
  • アオシマ ザ☆バイク 1/12 ホンダ CB400FOUR '76 カスタム

    398cc版(1976年3月以降)をベースにした新規金型キット。免許制度が生んだ398という数字の車両を、サイドカバー黒・当時物手曲げショート管という当時の姿で手元に置ける。

    Amazonで見る
  • 白ジェットヘルメット(オープンフェイス・ビンテージ仕様)

    限定解除審査の受験者が揃えた白ジェット+黒手袋という装備。現行規格品で当時の様式だけを再現できる。

    Amazonで見る

※広告(アフィリエイトリンク)を含みます。価格・在庫は変動します。最新の情報は各販売ページでご確認ください。

みんなの写真が記事になる

この記事のテーマにまつわるものを撮影して、写真を投稿してください。編集部で確認のうえ、この記事に掲載します。

※投稿しただけでは公開されません。写真の位置情報は保存時に削除します。

写真

SNSアカウント(任意)

入れていただいた媒体では、DUADの投稿で @ を付けてご紹介します。空欄の媒体は、掲載名でご紹介します。

確認事項

みんなの言葉が記事になる

この記事を読んで気づいたこと、違うと思ったこと、実際に使用してわかったこと。あなたの言葉を聞かせてください。編集部で確認のうえ、採用した投稿をこの記事に掲載します。

※すべての投稿が掲載されるわけではありません。採用した投稿は、編集部で読みやすく整え、投稿名とともに掲載します。掲載時にはDUAD POINTを差し上げます(1記事につき1回)。

表示しない場合は「あるDUADIST」として掲載します。投稿名はマイページで変更できます。

DUAD CLUB

夢中の続きを、みんなで。

かつて夢中になったもの。

いまも追い続けているもの。

これから、もう一度始めたいこと。

DUAD CLUBは、同じ時代を生き、同じ熱を持つ人たちが集まるオンラインコミュニティです。

記事では伝えきれなかった話や、入手経路、実物を使った検証など、一人ではたどり着けない「夢中の先」を、仲間と一緒に深掘りしていきます。

  • 会員限定の記事・資料
  • 月1回のオンライン集会
  • 愛用品やコレクションの売買・譲渡掲示板
  • 取材・撮影に使用する実物や資料の情報交換

現在、開設に向けて準備中です。開始時期や参加方法を、メールでいち早くお知らせします。

参考資料・出典

本記事は、メーカー公式資料、公的統計・資料、当時のカタログ、専門媒体等を参照し、DUAD編集部が内容を確認・構成しています。ここに挙げるのは、本文の数値・年月日の根拠として実際に使った資料です。

百科事典・個人の記録5

事実に辿り着く入口として参照したもの。数値や年月日の根拠は、できるかぎり上の資料で取り直しています。

最終閲覧日:2026年9月10日

夢中の続きを、届けます。

新しい記事が出たときにお知らせします。

いつでも配信停止できます。