1980年3月、値札は175,000円。
F3が店頭に並んだ1980年3月、標準価格は50mm F1.4付きで175,000円だった。同じ年の大卒初任給は11万4,500円前後とされるから、およそ1.5倍にあたる。入社1年目の給与感覚で一括で買える機械ではなかった、ということになる。カタログを何度も開いて、ショーケース越しに値札を見て帰る。この値段は、そういう距離にあった。ちなみにボディの色はブラックだけで、シルバークロームの設定は無い。
| 発売年 | 1980年 | 3月 |
|---|---|---|
| 標準価格 | 175,000円 | 50mm f/1.4付き |
| 実開発の開始 | 1973年 | |
| 開発計画の全面改訂 | 1976年 | |
| 設計が正式に始まった時期 | 1977年 | 3月 |
| 試作機の完成 | 1978年 | 11月 |
| 自動露出の長秒側 | 8秒 | |
| 最高シャッター速度 | 2,000分の1秒 | |
| 手動の段数 | 18段 | |
| 機械式バックアップ速度 | 60分の1秒 | ほかにダイヤルのT |
| シンクロ同調速度 | 80分の1秒 | |
| ファインダー視野率 | 100% | |
| ファインダー倍率 | 0.8倍 | |
| 交換ファインダー | 4種類 | |
| 交換スクリーン | 19種類 | |
| ボディ重量 | 700g | |
| ボディ寸法 幅 | 148.5mm | |
| ボディ寸法 高さ | 96.5mm | |
| ボディ寸法 奥行 | 65.5mm | |
| 使用電池の電圧 | 1.55V | G13 酸化銀電池 |
| 累計販売台数 | 751,000台超 | |
| F3/T(チタン外装) | 1982年 | |
| F3HP(ハイアイポイント) | 1982年 | 3月 |
| F3P | 1983年 | |
| F3AF | 1983年 | 4月 |
| F3 Limited | 1993年 | |
| F3H(ハイスピード) | 1996年 | 13コマ/秒 |
| ニコン F 発売 | 1959年 | |
| ニコン F2 発売 | 1971年 | |
| ニコン F4 発売 | 1988年 | 9月 |
| ニコン F5 発売 | 1996年 | 10月30日 |
| ニコン F6 発売 | 2004年 | |
| F3 生産終了 | 2000年 | 2001年とする資料もある |
日本光学工業の設立は1917年だから、F3の発売はその63年後にあたる。マウントは1959年のF発売時に制定されたFマウントのままで、1980年の時点ですでに21年目の規格に新しい旗艦を載せたことになる。世代で数えればニコン F(1959年)、F2(1971年)に続く3代目にあたり、ここまでの更新間隔は12年と9年——ほぼ10年に一度、旗艦は入れ替わってきた。
この規則性を前提に置くと、20年という製造期間は確かに長い。ただし、長いという印象を年で割っていくと、話はもっと具体的になる。
ボディ単体の質量は700g。寸法は148.5×96.5×65.5mm。数字だけ見ればいまの一眼レフと変わらないが、当時の一眼レフはもっと小さく軽い方へ動いていた。F3はその流れに乗らなかった側にあたる。
同じ月に、いちばん小さいニコンも出ている。
1980年3月に出たニコンは、F3だけではなかった。
同じ月に、ニコン EMが日本で発売されている。小型軽量の入門機で、米国では前年の1979年3月に先に出ていた。日本へは1年遅れ、F3と同じ月である。
1980年3月のニコンは、最高峰と入門機を同じ月に店頭へ出している。F3の20年を旗艦だけの話として読むと、この月の意味が抜け落ちる。
1976年、設計は白紙に戻った。
設計が正式に始まったのは1977年3月。試作機が出来上がったのが1978年11月で、店頭に並ぶのが1980年3月になる。図面を引き始めてから3年、試作から16か月かかっている。前の代のF2が1971年だから、9年ぶりの更新にあたる。
ニコンが掲げた狙いは三つだった。高い品質と信頼性、操作が易しく汎用性があること、そして自動であること。前の二つはF2から続く話で、三つ目が新しい。旗艦に自動を持ち込む、という一行が、狙いの中に並んでいる。
F3の開発が再スタートしたのは1976年で、この時期はダイレクト測光の採用と重なっている。それまでの一眼レフは、TTL測光とAEの回路をファインダー側に持たせる構成が普通だったところ、F3ではこれをボディに移し、シャッター幕とフィルム面からの反射光を直接測るダイレクト測光を採る。測る場所がミラーの下へ降りれば、ミラーボックスまわりの構造も、ファインダーとの電気接点も、それまでの図面のままではいかない。
その結果として出てきた数値は、いま見ると当時の妥協点がそのまま読める。シャッターはチタン幕で最高1/2000秒、AEでは8秒までの長時間露光が使える一方、フラッシュの同調速度は1/80秒にとどまる。電池が切れたときに機械で切れるのは1/60秒の1速だけで、電源はLR44またはSR44のボタン電池を2個使う。ファインダー視野率は100%、標準のニコン DE-2で倍率0.8倍、1982年3月に加わったF3HPのDE-3はアイポイント25mmとされる。ダイレクト測光では接眼部からの入射光が測光値に影響しうるところ、F3にはアイピースシャッターが内蔵されている。
外装を担当したのはジョルジェット・ジウジアーロ。自動車のボディを描いていた人物の机の上で、カメラの外形が決まった。
20年を三つに割ると、構造が見える。
F4が発表されたのは1988年9月、発売は同年12月。量産そのものは1987年6月に始まっていて、店頭に並ぶまで1年6か月かかっている。その次のF5は1996年10月30日。さらにF6が2004年だから、F3以降の世代間隔は8年、8年、8年でほぼ一定していた。旗艦の更新そのものは、規則的に続いている。
そしてニコンは、F4をF3の上位機種として企画したと書いている。後継とは書いていない。上に積む、という言い方になる。F4は最高1/8000秒でF3より2段速く、連写は5.7コマ/秒。数字の上でも、置き換えるというより、上へ足す形をしている。
ずれているのは更新の間隔ではなく、退場のタイミングのほうだった。F3は1980年3月から1988年までの8年を単独の旗艦として過ごし、1988年から1996年までの8年をF4と並んで売られ、1996年10月末から生産終了までの約3年8か月をF5と並んで売られている。20年という数字は、8年+8年+約4年という三層で出来ていた。
あとから出たF4が先に生産を終え、F3は約4年カタログに残った。F4の生産終了は1996年、F5の登場とほぼ同時とされる。製造期間で比べれば、F3の20年強に対してF4は1988年12月の発売から約8年で、およそ2.5倍という開きになる。
ただし、終わりの年も一つに決まらない。ニコンは2000年に生産終了を公表し、2001年にもF3シリーズの生産終了を公表している。本体とシリーズを分けたようにも読めるが、そう断ってはいない。始まりは1980年3月と月まで決まっているのに、終わりは年が二つある。「20年」という数字は、その二つのあいだで確定する。比較の基準線として、ニコンFが約14年、F2が約9年、F6が2004年から2020年までの約16年とされることを並べてみると、F3の20年がいちばん長い。あとから出た二世代と、同じ棚に並んだ旗艦だった。
ニコンが挙げたのは、三点だけ。
F5が出たのは1996年10月30日。その日付を書いた同じ文章の中で、ニコンはF3を、まだ売っている製品として扱っている。後から出た旗艦の発売日の隣に、16年前の機種が現役で並んでいる。
並んでいるのは三点だった。製造コストが高いこと、補修部品の在庫確保という課題があること、それでもF3HPの販売を中止する計画はないこと(ただし地域による、という但し書きが付く)。長寿を誇る文脈ではなく、続けることの負担と、それでも続けるという方針が並んでいる書き方だった。
ニコンが自分の言葉で挙げたのは、この三点である。そして20年という期間が、結果として残った。
数え方を変えると、別の顔も出る。F3の交換ファインダーは標準のDE-2を含めて4種類、ピント板は19種類あった。20年という時間は、この組み合わせを売り続けた時間でもある。
自動露出は8秒から1/2000秒までを段なしで、手動は同じ範囲を1段ずつ刻み、測光はISO100のフィルムでEV1から18まで、感度はISO12から6400を手で合わせる。数字だけ並べるといまのカメラより狭い範囲に見えるものの、この範囲が20年動かなかった。
よく語られる三つの理由と、その周りの事実。
プロの支持、MFレンズ資産、AF移行の遅れ。中古店の店頭でも、雑誌の特集でも、この三つは繰り返し語られてきた。どれももっともらしいが、ニコンの側から出てきた言葉ではない。
周辺の事実のほうは、いくつも確認できる。AFの普及機は旗艦より先に動いていて、ニコン F-401が出たのは1987年、F4の前年にあたる。Fマウントは1959年の制定から数えて、F3が発売された1980年で21年、生産を終えたとされる2000年で41年が経っていた。水戸の工場では、F4とF3とニコン New FM2が同じ時期に作られていた。
ただし、これらは併売という事実の裏打ちにはなっても、理由の説明にはならない。同じ時期に起きていたことと、原因であることは別になる。
設計年次の痕跡も残っていた。フィルム感度の自動認識、いわゆるDXコードが登場するのは1983年で、F3は最後までダイヤル直読のまま、ISO 12〜6400を手で合わせる機械として売られている。最後の1年に至っては、1999年発売のデジタル一眼レフ、ニコン D1(有効266万画素)と同じ年のカタログに載っていたことになる。1980年の設計図が、20世紀最後の年まで新品で買えた。
もう一つ、数え方の問題もある。F3が「先代」の位置に移ったのは1988年のF4発売だが、そのF4は1996年に消え、F3は残った。しかもその12年は一様ではない。前半の8年はF4の一代前という意味での「先代」だが、F5が出たあとの4年は、先々代ですらない、ただ売られている旧型だった。カタログに載り続けた12年のうち、後ろの4年は比べる相手がいない。
派生機は、年で並べると見えてくる。
F3の派生は発売から2か月で始まっていて、最初に出たのは市販品ではなく、NASA向けの特注だった。
通常のF3が一本36枚であるのに対して、市販の長尺マガジンにはニコン MF-4がある。裏蓋の側にもMF-6/MF-6B/MF-14が用意されていて、枚数と記録の付け方を替えられるようになっていた。
速度の側の枝がF3Hで、高速連写機として13コマ/秒とされる。通常のF3にニコン MD-4を付けたときが最高6コマ/秒、F4が最高5.7コマ/秒だから倍以上になり、1996年の受注生産機がどこにいたのかが分かる。
モータードライブの数字にも前史があり、F2用が4コマ/秒に対してF3用のニコン MD-4は6コマ/秒で、その差は2コマぶんだ。
台数は途中まで出ていて、ニコンはF3の累計販売を751,000台超と書いたものの、そこには「1992年9月時点」と添えてある。F3が店頭から消えるのは2000年だから、751,000という数字は20年のうち12年ぶんにとどまり、最後の8年ぶんが抜けている。最後の8年を数えた数字のほうは、出てこない。派生機のF3HP、F3P、F3/T、F3H、F3 Limitedに至っては、台数そのものが伝わっていない。
一台のF3が、どこまで枝分かれしたか。
F3は1本の線では終わらなかった。基本型が出た2年後から、枝が分かれていくことになる。
最初の枝は1982年3月のF3HP。高アイポイントファインダーのニコン DE-3を標準にした型で、アイポイントは25mm。眼鏡をかけたまま四隅まで見える。正面から見ると基本型と区別が付きにくいが、横から見ればファインダーの厚みが違う。以後、店頭に並ぶF3の主流はこちらになる。
同じ1982年に、そのF3HPをチタンで包んだF3/Tが出る。最初は金属地の色そのままで、1984年にブラック塗装が加わった。1983年4月にはF3AF。ボディに信号接点を足し、専用のファインダーとモーター内蔵のAFレンズを組み合わせて動く。いまの「ボディがレンズを回す」形とは別の考え方で、AFをどこに置くかがまだ決まっていなかった時期の答えになる。
報道向けのF3Pがあり、1993年にはF3 Limitedが出る。高速連写に振ったF3Hもある。F3という一つの台の上で、眼鏡、外装、ピント、速度が別々に試されていった。
そして、市販されなかった枝が二つある。一つは宇宙へ行き、一つは南極へ行かなかった。
南極へ行かなかった、F3。
NASAからの要求は、250枚撮れて、撮影の途中でもフィルムを替えられるAEカメラ、というものだった。ニコンは開発中だったF3を土台に、250枚撮りの「ビッグ」と72枚撮りの「スモール」を作り、1980年5月に納めている。F3が店頭に並んだのが同年3月だから、2か月後になる。スモールのほうは、1981年4月に打ち上げられたスペースシャトル・コロンビア号に積まれた。発売から1年1か月で、F3は宇宙に出たことになる。
もう一つの枝は、1982年に作られた。植村直己が南極大陸を犬ぞりで3,000km単独走破し、最高峰ビンソン・マシフに登るための1台で、F3を土台にチタンで外装を作ったニコン F3 チタン ウエムラスペシャルである。
だが、この計画は中止になり、カメラは冒険に使われないまま残った。
チタンで包むという発想そのものはF3が最初ではなく、世界初のチタン外装の一眼レフは前の代のニコン F2 チタン ウエムラスペシャルで、同じ人のために作られている。
そして同じ1982年に市販のF3/Tが出ているので、特定の一人のために作られた外装と店頭に並ぶチタンが、同じ年に二つ並んでいたことになる。
同じころに出た、二台のプロ機。
20年という数字は、F3だけのものではなかった。
同じ1980年に出たペンタックス LXは、生産が2001年まで21年続いていて、F3より1年長い。
翌1981年のキヤノン New F-1は1994年までの13年で、この3台のなかではいちばん短い。
F3の20年が飛び抜けて長いわけではない。LXのほうが1年長く、いちばん新しく出たNew F-1が、いちばん早く消えている。
20年前後というのは、この時期のプロ機に珍しい長さではなかった。
F3が売られ続けた20年のあいだに、市場の側は動いている。1981年のキヤノン AE-1 PROGRAMとミノルタ X-700、1983年のニコン FE2とFA。旗艦の下では、二年おきに顔ぶれが変わっていた。
上の段でF3が動かないまま、下の段が入れ替わっていく。20年というのは、そういう時間の長さになる。
2026年、ガラス越しに見る数字。
発売から46年、生産終了とされる2000年から数えても26年が経っている。純正の修理受付は、すでに終わっているとされる。動く個体を買うという行為は、いま民間の修理業者の腕に依存している。
46年
ニコン F3の発売から現在までの年数
いちばん新しい個体でも、作られてから四半世紀が過ぎている。
中古で見る数値は多くない。シリアルは1200001から始まるとされ、20年生産のあいだにファインダーの刻印や裏蓋の形状など細部が積み重なって変わっているため、上位桁で製造時期の見当が付く。モルトプレーンの交換目安は10年前後。26年が経っていれば、一度は替わっていておかしくない。ファインダー内のLCD表示が薄くなっている個体もあり、これは電池を入れて覗かなければ分からない。電源はLR44かSR44が2個、MD-4を付けるなら単三が8本。
ファインダーとピント板は、中古で買うときに効いてくる。標準のDE-2以外に3種類、ピント板は19種類あるので、同じ「F3」でも覗いた感じが揃わない。売られている個体がどのピント板を積んでいるかは、外から分からない。値札にも書いていないことが多い。
DUAD SELECT
26年落ちの個体を、手元で確かめる。
純正の修理受付が終わっている以上、買う側が見る項目は決まってくる。電池が入っていれば露出計とLCDの状態が分かり、モルトは指でなぞれば分かる。刻印とスクリーンは、ショーケース越しではなく手元で拡大して見るしかない。
F3はこの2個で全機能が動き、入れないと露出計もファインダーのLCDも確認できない。
SR44/LR44 酸化銀電池(2個入り)
F3の使用個数: 2個・型番: LR44・SR44・電池切れ時に切れる速度: 1/60秒のみ
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交換目安10年前後に対して生産終了から26年が経っており、未交換の個体は前提として劣化している。
モルトプレーン 交換用シート(1mm厚・自己粘着)
厚み: 1mm・交換目安: 10年前後・F3生産終了からの経過: 26年(2026年9月16日時点)
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シリアル刻印の上位桁や貼り革の浮き、スクリーンの状態は、拡大しないと判別できない。
ピーク ルーペ(アナスチグマット 7倍)
倍率: 7倍・用途: シリアル刻印・貼り革・スクリーン確認・F3のシリアル開始番号: 1200001とされる(二次情報)
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F3が消えたあとの年も並べておく。New FM2は2001年に終わり、同じ2001年にニコン FM3Aが出て2006年に終わる。F6は2004年に出て2020年まで、約16年。長さだけならF6も相当だが、こちらはフィルム機がほぼ終わったあとの16年になる。
実機を確認したいなら、ニコンミュージアムには約450台の歴代機が並ぶ(2015年の開館時点。その後、新本社へ移転している)。ガラス越しに値札を見て帰った日と、見る場所だけが変わった。
TIPS
ファインダーを覗く前に、電池を入れる。
F3の露出計とファインダー内の表示は、液晶。1980年代の液晶なので、45年が経った個体は表示が薄いことがある。店頭でLR44かSR44を2個入れさせてもらって覗く。数字が読めるかどうかは、覗けば分かる。
ニコンF3が残した空欄。
1980年3月発売、175,000円。単独の旗艦として8年、F4と並んで8年、F5と並んで約3年8か月。合計およそ20年のうち、後半12年はF3が「先代」の位置で売られていた期間になる。上に積まれたF4のほうが先に姿を消し、その後もF3は約4年カタログに残った。
ここまでは年の引き算で出る。出ないのは理由のほうで、ニコンが公表しているのは製造コストの高さ、補修部品在庫の課題、販売中止の計画はないという三点だけ、長寿の理由を確定させた記述は無い。プロの支持もMFレンズ資産もAF移行の遅れも、語りとしては流通しているが、メーカーの公表資料には無い。
持ち帰るものを一つだけ挙げるなら、次にショーケースの前に立ったときの手順になる。値札の前に、シリアルの上位桁とファインダーのLCDを見る。電池はLR44かSR44を2個。それで1/60秒しか切れなくても、機械は生きている。