速度の数字を縦に並べると、1か所だけ平らになる。
1959年のニコン Fは最高1/1000秒だった。1971年9月のF2で1/2000秒になり、1980年3月に出たF3も1/2000秒、そして1988年12月のニコン F4で1/8000秒へ跳ぶ。旗艦が代替わりするたびに1段、2段と積み上がっていく並びの中で、F2からF3のところだけが平らになっている。
9年かけて、最高速度は1段も上がらなかった。
1/1000秒、1/2000秒はいずれも公称値であって、実測値ではない。
では、9年で何が変わったのか。F2のシャッターはチタン幕の横走りフォーカルプレーンで、秒時は歯車とガバナが作る機械制御だったので、電池は露出計のためだけに載っていたが、F3では同じ横走りチタン幕をモジュール設計に改め、秒時を水晶発振で決めるクオーツ制御に置き換えたうえ、シャッターボタンそのものも電磁レリーズになった。水晶発振子や集積回路そのものは、このときすでにカメラの外側で量産されていた部品にあたる。
測光の置き場所も動いている。F2ではファインダー側にあったTTL測光とAE回路が、F3ではボディ側、ミラーボックス下部へ移り、フィルム面の反射光を測るTTLダイレクト測光になった。ファインダーを外しても露出が決まる構造にしたぶん、ボディの中には素子と回路を高密度で詰め込む必要が生まれたわけだ。
数字で見える変化もある。質量はF2が約840g、F3が約700g(いずれも公称値。どのファインダーを載せた状態かで変わる)。モータードライブは、ニコン F2用が4コマ/秒、F3用のMD-4がミラーアップ時で6コマ/秒。ファインダー内の表示は指針から液晶になり、暗いところでは照明ボタンを押さないと読めない表示に変わった。
速度は据え置き、制御と測光と表示とレリーズが全部電気になった。そしてこのとき、電池はもう露出計のための部品ではなくなっていた。
3V少々が落ちた瞬間に、残るもの。
底蓋の電池室に入るのは、ボタン電池のIEC型名でいうSR44またはLR44が2個。酸化銀のSR44が1.55V、アルカリのLR44が1.5Vで、2個直列でおよそ3.0〜3.1Vが回路に回る。この3V少々が、絞り優先AEの演算からシャッター幕の保持、電磁レリーズの通電まで、F3の動作のほとんどを支えている。
だから電圧が落ちたときに止まる範囲が広い。AEは働かず、シャッターボタンを押しても幕は走らず、セルフタイマーも電子式なので動かない。残るのは、ミラーアップレバーの下にあるバックアップ機械レリーズレバーで切る約1/60秒と、ダイヤルのTだけ。1/60秒のほうはダイヤルの目盛りではなく、どの速度に置いていてもレバーを使えばこの1速で走る。速度の段で言えば1速、ほかにTが1つ。
F2はここがまったく違った。機械制御なので電池は露出計専用で、抜いてしまっても全速が動き、セルフタイマーもレバー式で作動する。9年後の旗艦は、その安心を手放したうえで、1/60秒だけは必ず残すという形に設計されている。電磁レリーズが働かないときのために機械レリーズも用意されているので、「電池が切れたら何も撮れない」ではなく「電池が切れたら1速で撮る」が正確な言い方になる。
| 発売年 | 1980年 | 3月 |
|---|---|---|
| 価格 | 175,000円 | 50mm F1.4付き |
| 最高シャッター速度 | 2,000分の1秒 | |
| 自動露光の最長時間 | 8秒 | |
| ストロボ同調速度 | 80分の1秒 | |
| 電池切れ時の機械設定速度 | 60分の1秒 | ここが残された1速 |
| 電池切れ時に使える速度段数 | 1速 | ほかにダイヤルのT |
| 使用電池の本数 | 2個 | SR44 または LR44 |
| 電池1個の電圧 | 1.55V | 酸化銀。規格呼称 G13 |
| 電源電圧(2個直列・上限) | 3.1V | |
| 露出補正範囲 | 2EV (±) | |
| フィルム感度下限 | 12ASA | |
| フィルム感度上限 | 6,400ASA | |
| ボディ質量 | 700g | |
| ボディ寸法 幅 | 148.5mm | |
| ボディ寸法 高さ | 96.5mm | |
| ボディ寸法 奥行 | 65.5mm | |
| アイレベルファインダー倍率 | 0.8倍 | |
| HPファインダー倍率 | 0.75倍 | |
| 交換ファインダー | 4種類 | |
| 交換スクリーン | 19種類 | |
| 巻き上げレバー巻き上げ角(約) | 140度 | |
| MD-4の連続撮影速度 | 6コマ/秒 | |
| MD-2(F2用)の連続撮影速度 | 4コマ/秒 | 先代との差 |
| 実開発の開始年 | 1973年 | |
| 開発計画の全面改訂 | 1976年 | ここから4年で世に出た |
| 外装の最終案が固まった時期 | 1977年 | 後半 |
諸元を縦に見ると、F3が電気に預けた量が見えてくる。絞り優先AEでの自動露光は8秒まで、フィルム感度はISO(ASA)12〜6400、測光範囲はISO100・F1.4でEV1〜18、露出補正は±2EV、ストロボ同調は1/80秒とされる。これらは全部、電池が生きているあいだの仕様である。電源が落ちれば、手元に残る数字は1/60とTの2つに縮む。
プロ用機材としては、ここが議論の的になった。電子制御シャッターと絞り優先AEをニコンの旗艦に載せたのはF3が最初になるため、確かめる場所が幕の走りから電圧へ移ったと考えればわかりやすい。
同じ1/2000秒、違う残し方。
1980年3月のF3、同じ1980年のペンタックス LX、1981年のキヤノン New F-1。1年半のうちに3社の旗艦が出そろい、最高速度はいずれも公称1/2000秒で並んだ。同じ数字が3つ並んだにもかかわらず、電池を抜いたときの姿は三者でまったく違う。
LXは1/2000〜1/75秒が機械式で切れる。速い側が全部機械で、電子制御が要るのは1/60秒から低速側という構成なので、電池が切れて失うのは長秒側だけになる。電池が生きていれば、フィルム面を測るIDM方式で約125秒までの長時間自動露光ができた。使う電池はSR44/LR44を2個で、F3と同じである。同じ電池で、切れたときに残るものが正反対になった。
New F-1はさらに割り切っていて、1/2000〜1/125秒とBが機械式、電子制御が必要なのは1/60〜8秒の低速側だけという設計になっている。AEはファインダーやドライブの交換で得る方式で、質量は約795g(ファインダーとドライブの構成による)。キヤノンは1971年のキヤノン F-1で全機械式の1/2000秒を持っていて、約10年後のNew F-1でも高速側は機械のまま残した。F2からF3の9年と、F-1からNew F-1の約10年はほぼ同じ周期にあたるにもかかわらず、残したものは逆になっている。
| ニコン F3:機械設定の速度 | 60分の1秒 | ほかにT |
|---|---|---|
| ニコン F3:使える段数 | 1速 | |
| ペンタックス LX:機械式の下限 | 75分の1秒 | |
| ペンタックス LX:機械式の上限 | 2,000分の1秒 | 公称 |
| キヤノン New F-1:機械式の低速端 | 125分の1秒 | Bも機械式 |
| キヤノン New F-1:機械式の高速端 | 2,000分の1秒 | 公称 |
| キヤノン New F-1:電子制御が要る長秒側 | 8秒 | 1/60秒から |
| ニコン F2(1971年) | 2,000分の1秒 | 全速・機械制御 |
| ニコン FM2(1982年) | 4,000分の1秒 | 全速・機械制御 |
電池を抜いて残るのは、F3が1/60秒、LXが1/75秒以上、New F-1が1/125秒以上。
重さの並びも、その差を裏から見せてくれる。機械式の全速を持つF2が約840g、高速側を機械で残したNew F-1が約795g、電子制御に寄ったF3が約700g、LXが約570g、そして1982年のニコン FM2が約540g(いずれも公称値)。電気に預けた機体のほうが軽く、機械で残した機体のほうが重い、という傾向が数字の上には出ている。ただし外装材もファインダーも違うので、重さの差を制御方式だけに帰すことはできない。
どれが正解という話ではなく、どこまでを電池に任せるかの線の引き方が3本あったということだ。「電池が切れたら1/60秒」と「電池が切れても1/2000秒」という2つの設計が、同じ時期の旗艦として並んでいた。
1976年、計画は一度白紙に戻された。
F3の電子化は、発売直前の思いつきではない。1972年のニコン ニコマートELで電子制御シャッターを世に出し、1973年にF3の実開発が始まり、1976年に計画が全面改訂されて再スタートを切り、1980年3月に発売された。実開発の開始から7年、改訂から4年である。
改訂の中身は、機能の置き場所の変更だった。TTL測光とAE回路をファインダーからボディへ移すと決めた時点で、ボディ内には高密度の実装が必要になり、電磁レリーズ、クオーツ制御、液晶表示という当時の新技術をまとめて引き受ける形になっていく。電子シャッターの採用は流行への追随ではなく、開発初期からの予定だった。1972年以降の一眼レフでは、電子制御はすでに例外ではなく標準の側にあったというわけだ。
では、なぜ最高速度は1/2000秒のままだったのか。ここが空白になる。幕速の限界だったのか、耐久性の確保だったのか、原価だったのか、それともプロが必要とする速度域の判断だったのか——どれも理由として成り立つが、最高速度を1/2000秒に据え置いた理由は、ニコンが公表していない。
分かっているのは順序だけで、1973年に始まった開発が1976年に組み替えられ、そのとき増えたのは速度ではなく機能だったということ。制御・測光・表示・レリーズの4か所を同時に電気にするという選択が、結果として「電池が切れたら1速」という条件を引き受けることになった、という因果までは言える。
この空白が、そのまま評価の分かれ目になる。電子制御は精度と再現性で機械制御を上回るという見方と、電池が切れたら終わりだという不安が、同じ雑誌の中で共存していた。答え合わせは、2年後に同じメーカーの下位機がやってのける。
1982年、下位機が旗艦を抜いた。
1982年、ニコン FM2が出る。機械制御で最高1/4000秒。1977年のニコン FMが1/1000秒だったので、FMからFM2で2段上がったことになる。そのとき旗艦のF3は1/2000秒のままだった。
下位機のほうが速く、しかも電池が無くても全速で動いた。
この1/4000秒は、ニコンの公式史が当時世界最速と位置づけている数字にあたる。旗艦は電子制御で1/2000秒、その下の機械制御機が1/4000秒。1982年のニコンのラインアップは、上へ行くほど速いという普通の順序が、シャッター速度に関してだけ崩れていた。しかも同じ1982年に旗艦の側で新しくなったのは、チタン外装のF3/Tと高アイポイントファインダーのF3HPで、動いたのは外装と接眼部のほうだったことになる。
ただし、これを番狂わせの話にすると順序が逆になる。FM2開発の出発点はスピードライトの同調速度で、それまでのニコン機は1/125秒が上限であり、ニコン FM、ニコン FE、F3の次に残っていた技術課題が高速シャッターだった。同調速度は幕が全開になる瞬間があるかどうかで決まるため、上げるには先幕と後幕をより速く走らせるしかなく、そのために幕材をチタンにし、ハニカムパターンのエッチングで軽くしながら剛性を確保している。同調速度は1/250秒。F3のX接点1/80秒に対して、ここも下位機のほうが速い。最高速度1/4000秒は、幕速を上げた結果として後から付いてきた数字である。
同調速度で並べると、差はさらに見やすい。FM2が1/250秒、F3が1/80秒。約1.6段ぶん、下位機のほうが明るい日中でストロボを使えたということで、屋外のポートレートや商品撮影では、この1欄が最高速度より効く場面がある。
電池の扱いも旗艦とは逆になっていて、FM2の電池はSR44を2個、用途は露出計のみ。抜いても1秒〜1/4000秒の全速が切れる。質量は約540g、感度設定はASA 12〜4000。ショーケースの上段にF3を見て、結局その下の段のFM2を買った——という選択が、性能の妥協ではなかったことが、数字の上でははっきりしている。
1983年のニコン FAは電子制御で1/4000秒に達しているので、電子制御だから速くできないという単純な話でもない。1980年のF3の時点で1/2000秒に留めた判断だけが、理由の分からない形で残っているわけだ。
なおF2では、レフミラーの枠にもチタンが使われている。幕材の話と枠材の話は、ミラー駆動をニコン Fより高速にしながらファインダーのケラレをほぼ出さないための材料選択だった。チタンがどこに使われていたかを言うとき、幕と枠は分けて数える。
TIPS
日中シンクロなら、同調速度を見る。
公式史がFM2開発の出発点に挙げるのは、1/125秒だった同調速度の引き上げだった。FM2は1/250秒、F3は1/80秒。昼間にストロボを足す撮り方をするなら、最高速度より先にこの1行を見比べたほうが早い。中古に触れるなら、手持ちのストロボを付けて同調速度で1枚切らせてもらうのが確実である。
プロ機より4年早く、普及機は電子化していた。
1976年4月、キヤノン AE-1。CPUを内蔵した35mm判AE一眼レフとして、マイクロコンピューターによる集中制御を積んで登場した。ここで起きたのは、機能が増えたことではない。制御をマイコンに集めた結果、機構は5つの大ユニットと25の小ユニットに再編され、部品は従来機種から約300点減っている。
300点
キヤノン AE-1がマイコン化で減らした部品数(従来機種比)
部品が減れば組み立てと調整の工数も減る。1976年4月の発売から約1年半で累計100万台に達した。
電子化は、機能を足す話ではなく、部品を減らす手段だった。
部品が300点消えるということは、その300点ぶんの加工と在庫と組み立てと調整が消えるということで、効くのは原価と生産量の両方になる。価格は、FD 50mm F1.4 SSC付きで81,000円。F3はF1.4の50mmを付けて175,000円。どちらも開放F1.4の標準レンズ付きで、2.16倍、差額は94,000円になる。
仕様の位置関係も、そのまま階層になっている。AE-1の最高速度は1/1000秒で、旗艦の1/2000秒とは1段差。質量は590gで、F3のボディ700gより110g軽い。露出制御はシャッター速度優先AEで、絞り優先AEとマニュアルを選んだF3とは方向が逆になる。国立科学博物館の未来技術遺産に登録されたのは、発売から45年後の2021年9月15日だった。
ニコン自身の社史にも、1976年4月にマイコンを積んだシャッター速度優先AEの一眼レフが登場した、という一節が入っている。
この4年の順番が、当時の記憶の順番とも合っている。就職して最初に買った一眼レフがAE-1やFM2で、F3は雑誌の広告とカメラ屋のガラス越しに見るものだった——という世代にとって、電子化はまず自分の手の中で起きていた。マイコンと水晶発振は電卓とクオーツ時計で先に量産されていたと考えられ、カメラはその後に続いた。テレビでカメラのCMが流れ、店頭で総合カタログをもらって帰り、レンズ構成図とシステムチャートを穴が開くほど見比べるという遊び方も、この時期に広がっていた。
40,000円のボディと、自動で組まれるシャッター。
1979年、オリンパス OM-10。ボディ40,000円。徹底したモールド化設計が入り、巻き上げユニットとシャッターユニットは自動組立で作られた。人が調整しながら組む部分を設計の段階で減らしておく、という考え方で、AE-1の部品300点削減と同じ方向を、より下の価格帯でやっている。
40,000円という数字が意味するのは、一眼レフが「決めて買う道具」から「持ち歩くカメラ」へ移ったということだ。F3の50mm F1.4付き175,000円に対して、OM-10のボディはその4分の1以下。小さく、軽く、AEで撮る。旅行に持っていって、子どもの運動会で1本撮って、あとは押入れという使い方が、この価格から始まっている。
その一段上にいたのがキヤノン A-1で、1978年4月の発売、ボディ83,000円、50mm F1.4 SSC付きで114,000円、質量620g。AEはシャッター速度優先、絞り優先、プログラム、プリセット絞り優先、スピードライトの5モードを持っていた。旗艦がAEを1つに絞っていた時期に、その2年前の上級普及機が5つ載せていたことになる。
面白いのは、旗艦の諸元を上回っている欄があることだ。A-1は5モードのAEを積み、測光範囲はISO100・F1.4でEV-2〜18。F3のEV1〜18に対して、暗い側に3段ぶん広い。値段はレンズ付きで114,000円、ボディだけなら83,000円。F3のレンズ付き175,000円と並べると、上級機の欄はこのあたりに引かれていた。
プロ機と普及機の違いは、数字の大きさではなく、壊れないこと、交換できること、直せることに寄っていた——と読むのが筋は通る。ただし各社がそう設計理由を公表しているわけではない。確実なのは、1978年から1979年の売り場では、多機能AEと自動組立が当たり前になっていたという事実である。
1981年、プログラムAEが下から広がった。
売り場は、上から四段に分かれていた。旗艦にニコン F3、キヤノン New F-1、ペンタックス LX。その下の上級機にキヤノン A-1、ニコン FE、ミノルタ XD、X-700。数の出る普及機にキヤノン AE-1、AE-1 PROGRAM、オリンパス OM-10。そして四段目に、電池が切れても全速で動く機械式——ニコン FM、FM2。
電子化はこの四段を上から降りてきたのではなく、下から登っていった。そして機械式の段だけが、最後までシャッターを電気に預けなかった。
1981年4月、AE-1 PROGRAM。名前のとおりプログラムAEを持ち、ボディ60,000円、New FD 50mm F1.4付きで92,000円、質量565g、最高速度は1/1000秒で、測光範囲はISO100・F1.4でEV1〜18。同じ1981年、ミノルタ X-700もプログラムAEを載せて出ている。前年のF3が旗艦の電子化なら、この2台は一般ユーザーの電子化にあたる。
価格の動きも1本の線になっている。1978年のA-1はボディ83,000円で5モードAEだったが、3年後のAE-1 PROGRAMはボディ60,000円でプログラムAEを持ち、質量は620gから565gへ55g軽くなった。多機能が上から下の段へ降り、そのつど値段と重さが削られていく。
そして、旗艦の諸元表にはプログラムAEの欄が無い。F3の露出制御は絞り優先AEとマニュアルの2つで、1981年の普及機が売り文句にしていた自動は、上の段には載っていなかった。F3が手放さなかったのは、シャッター速度と絞りを自分で決めるという操作のほうだったということになる。
測光範囲で見れば、F3のEV1〜18はAE-1 PROGRAMと同じ数字である。四段の上と下で、同じ欄に同じ値が入っていた。差は数字の大きさではなく、ファインダーが外れること、モータードライブが6コマ/秒で回ること、そして電池が切れたときに何が残るかに移っていた。
2026年のショーケースで、何を見るか。
F3は約20年売られた。1988年12月にF4が出てからも、F3はカタログに残り続けた。F4の登場から数えて約12年である。旗艦としては異例の長さで、そのぶん中古の母数が多い。
20年
ニコン F3が売られた期間
1988年12月にF4が出た後も生産は続き、F3がカタログにいた期間は通算で約12年に及ぶ。旗艦としては異例の長さである。
派生はF3HP、F3/T、F3P、F3AF、F3Hと枝分かれしていくが、外装とファインダーが変わっても、基本型のF3が持っていた1/60秒とTは、そのまま残された。
中古で選ぶときに見る場所も、そこから決まる。まずファインダー内の液晶が抜けていないか、次に電磁レリーズが素直に落ちるか、そして電池を抜いた状態で、ミラーアップレバーの下のレバーを引き起こして押し下げ、幕が走るかどうか。巻き上げレバーの巻き上げ角は約140度で分割巻き上げができるので、レバーの戻りとクリック感も一緒に確かめられる。液晶と電子回路を持つ機体なので、保管の湿度管理は前提として考えたい。
TIPS
巻き上げは、一度に140度回さなくていい。
ニコン F3の巻き上げレバーは、1コマぶんの巻き上げ角が約140度で、分割巻き上げができる。一度に140度回しきらなくても、小刻みに何度か送れば1コマぶんが完了するので、ファインダーから目を離さずに巻ける。中古で触るときは、この小刻みの送りでコマが最後まで送れるかを、レバーの戻りとクリック感とあわせて確かめる。巻き上げそのものは電池を抜いた状態でも動くため、電源を入れる前の段階で見ておける。
電源は、SR44が1.55V、LR44が1.5V。この0.05Vの差は常温ではほぼ効かないが、低温ではアルカリの電圧降下が早いとされるため、冬の屋外では電池の種類が効いてくる可能性がある。1/60秒固定で撮るということは、露出を絞りだけで作るということでもあり、そのときに基準を出せる単体露出計が手元にあるかどうかで、撮れる枚数が変わってくる。
DUAD SELECT
1速だけで撮る日のために、手元に置くもの。
F3の電源は1.55V×2で、落ちれば1/60秒とTだけが残る。だから電池は消耗品ではなく仕様の一部で、露出を自分で決める道具があれば1速でも撮り切れる。液晶と電子回路を持つ機体なので、保管の湿度も同じ管理対象になる。
F3は2個直列で使う。酸化銀は1.55Vで、低温での電圧降下がアルカリより穏やかとされる。
マクセル SR44 酸化銀電池(2個入)
電圧: 1.55V・数量: 2個・型番: SR44・用途: 2個直列で約3.1V
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1/60秒固定で撮る状況では、絞りだけで露出を作るための基準値が必要になる。
セコニック 単体露出計 L-208
型番: L-208・測定方式: 入射光・反射光
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F3は液晶と電子回路を持つため、保管湿度の管理対象になる。
東洋リビング 防湿庫 ED-25CDB
型番: ED-25CDB・用途: カメラ・レンズの保管
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2001年のニコン FM3Aは、機械制御と電子制御のハイブリッドシャッターで、電池が切れても全速が機械で動き、最高1/4000秒を持っていた。F3が引き受けた「電池が切れたら1速」という条件に対する回答のように見えるが、ニコンがそう説明しているわけではない。21年越しに、同じメーカーが両方を1台に入れた、という事実だけが並んでいる。
1976年4月に普及機が部品を300点捨てて電子に振り切り、1982年に下位機が機械制御で1/4000秒まで行った。その二つの端のあいだで、1980年3月の旗艦は電子制御と絞り優先AEを選びながら、電気が落ちても動く逃げ道を1つ残した。最高速度は9年据え置かれた。そのまま約20年ぶん作られた個体が中古に流れ、いま使う人の手でその選択が試されている。
ニコンF3が残したもの。
9年で最高速度は1段も上がらず、制御と測光と表示だけが電気になった。その代わりに、電池が切れたときに残るものが1/60秒とTの1速に縮んだ。1980年のペンタックス LXは1/75秒以上を、1981年のキヤノン New F-1は1/2000〜1/125秒とBを機械で残し、旗艦3台はどれも公称1/2000秒で並んだのに、電源を抜いた瞬間の姿は三者三様だった。
その2年後には、下位機のニコン FM2が機械制御のまま1/4000秒へ届いている。旗艦だけが9年、同じ数字のまま置かれた。手元にF3があるなら、次にやることは1つ。新しいSR44を2個入れて動作を確かめたあと、電池を抜いて、ミラーアップレバーの下にある小さなレバーを爪で引き起こし、押し下げる。約1/60秒で幕が走る。1980年のニコンが最後まで手放さなかった1速が、どういう写真になるのかが分かる。